「歴史教授の新案」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「歴史教授の新案」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歴史教授の新案

凡そ歴史を學ぶの目的は既往數千百年來社會の間に起る所の現象を觀察し其成蹟に就て將來起らんとする所の人事如何を豫知するに在り故に古往今來社會の沿革、國家の興廢、事物の成敗の如き能く其原因結果を瞭然たらしめざる可らず殊に各學科上に就ては其事屡々發現し其蹟屡々同一なるを見て研磨考究竟に一定の法則を發見し苟くも此法則を一たび發見するときは未た起らざる所の處、未だ來らざる所の事も亦能く推測算定するを得て一興一敗、千變萬化一も驚くに足らず毫も怪むに足らず更に能く之を適應利用して大に將來の進歩を促し又或は禍根を未萌に防くことを得べきなり其功用隨分偉大なりと申す可し、されども理學化學の原則を發見し數理天文の定則を認識するに至ては古く既往の事を繹ねざるも只將來改良進歩の途を誤らざれば事充分にして此塲合に及ては古き歴史の詮鑿も亦太た要用ならざるに至る可し畢竟學問に貴ぶ所は既に知り得たることにあらずして將に知らんとすることに在るものなりと知る可し

然るに歴史科の要用なるに眩惑し動すれば只管古代の事物のみに注目し又は永々しき年代記を反覆して當代文明に益もなく縁もなきことを研究し歴史の眞意を得たりとする者なきにあらず是れ大なる謬見と謂う可し、前に云る如く歴史は既往の人事に鑑み將來の用をなさんとするものなれば苟くも將來の用に足らず又既に一定の法則を認識し得たるものは豈に復た歴史を詮鑿するを須ゐんや啻に世に益なきのみならず却て大障礙を與ふることある可し兎角普通の人情は舊慣に泥み目前の小利に忸れ改良進歩の氣象乏しきものなるに尚且古代の歴史を援き來りて之れが根據を立つるときは愈益々逡巡沮礙して日新の勢を減殺し動すれば復古の傾向を來すに至る仮令ひ日新進歩の大勢に抗すること能はざるも之れか爲めに多少の日月と多少の腦力を徒費する丈けは全く損耗に歸す可きものとす、殊に近代蒸氣電信等の文明の器具盛んに利用廣布せらるゝに至ては人類頓に羽翼を生し山嶽忽ち其峻險を失ひ大海亦其廣闊を失ひ人心一變して社會の事物秩序を改め天然の地理一たび破却して全く其舊形を保つこと能はず安ぞ古代の歴史に依て今代以後の事蹟を推測するを得可けんや、されば一世紀を經るに隨ひ社會の組織自ら顛倒錯雜し前世紀の事蹟も亦後世紀の事を計るに足らざるものあり古代歴史の要なき亦論なきのみ况んや歴史専修の科にあらずして普通小學等に授くる歴史談に於ておや是れ最も速かに改良せざる可らざることなり

或る教育家の説に我邦小學校に於て歴史の學科を授くるに逆行顛倒の法を用ゐては如何と云ふことあり即ち近世の歴史を前にし中古、上古の歴史を後にすること是れなり、此説頗る我輩の心を獲たるものなり夫の地理を教授するを見ずや生徒の住所即ち學校近傍の地形より説き起し生徒の現に目撃する山谷河海等に就きて概況を理會せしめ近隣の地理より都會國郡に及び漸次に地球上各國の地理大要を學ばしむ是れ則ち近より遠に及ぶの法なり而して地理と歴史とは密接の關係を有し兩科相須ちて用をなすもの頗る多し然るに地理は近傍より始め歴史は古代より始む既に其順序を紊るの憾なき能はずして其不都合も亦少からず例へば上古の歴史に於て戰爭の事を載する其國名地名さへ今時と同しからず筑紫の國と云ひ吉備の國と云ふも何れの地なるや知る可らず若し此沿革を詳記するが如き細微の事蹟に至ては兒童の輙く解し得ざる所なるのみならず亦太た用なきこととす况んや上古の事蹟近代に縁もなき永き年代の事を年目を逐ふて授くるが如きは寧ろ徒勞に屬するにはあらざる乎、故に新案の教授法に於ては先つ建國の體制、神武の東征の如きは先つ其要略のみを授け爾後年月を推して之を授くることを爲さず小學歴史第一課業には徳川氏の末世嘉永癸丑我國開港の年を以て始とし開國鎖國の説、勤王攘夷の論より幕府政權奉還 王政維新、制度更革等の事實を以てし次て奥羽の戰爭、廢藩置縣、歐米回覧、征韓論、及び佐賀、萩、熊本の小乱より西南の役に至るまで時勢の變換事物の成敗を掲げ其他蒸氣、電信、郵便、印刷等文明の利器を利用したる次第并開化進歩に赴き一般風俗の變更等を授く之を近代の歴史とす是れ猶ほ地理科に於て近隣の地理を學ぶと同様なり、扨多數の生徒中には第一課業のみを終り退學するもの多からんと雖とも近世の歴史の一斑は最早之を了知し一般の智識を得て當世の人たるに愧ぢざるべし、尚ほ進んて第二課に至ては源平の盛衰、頼朝覇主となることを始めとし南北朝の兩立より群雄割據、織豊二氏覇主となることより徳川氏の一統及び其治績を以てし、第三課に至りて神武の即位以來歴代王政の次第を順次に授けて源平の世に至る是れ猶ほ地理に於て畿内八道の地理を學ぶと同様なり其より外國地理の大要を學ぶと同しく外國歴史の大要をも學ばしむべし是れ歴史教授の新案なり、此の如くなれば則ち後來の進歩に障礙を與へずして當世の用を爲し初めて歴史を學ぶの眞面目を得るに庶幾からん乎