「清佛兩國の葛藤再び起る」
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時事新報に掲載された「清佛兩國の葛藤再び起る」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
清佛兩國の葛藤再び起る
東京事件に關し清佛兩國間の葛藤久しく解けず昨年中一時の状况にては或は兩國の間に公然干戈を動かすに至るべきかと掛念せらるゝ程の勢なりしも頓に何たる變化もなく荏苒歳月を經過するの際去る五月天津に於て突然両國の和親條約〓ひ自今安南東京全土を擧けて佛蘭西共和國の附庸と爲し支那兵は時を失はずして東京の境上を退き廣東、廣西、雲南の三省を開きて佛人貿易の地と爲すべしと定まりしは實に意外の落着にして當時此和約の報道を聞き人々皆其手廻はしの早きに驚かざるものなかりしなり和議成りて未だ二閲月忽ち支那より飛報の到來するあり曰く東京に於て黒旗又は支那の兵士等佛軍を襲撃し死傷夥しと同時に歐洲より到來したる電報には佛國は東京遠征の用意頻りなりとあるなど頗る世人をして恠訝の思を抱かしめたり尋て支那又は歐洲より到來する報道には皆東京に於て清佛兩軍闘争の次第を記さゞるはなく或は七百の佛軍郎松に於て四千乃至六千の支那軍に襲撃せられ死傷百餘名ありたりと云ひ或は多數の佛軍突然廣西の境上に現はれ支那軍に向ひて居城を明渡すべしと要求したれとも其言に從はざるを以て佛軍は直ちに支那の屯營に向ひて砲撃を始めたりと云ひ或は佛國政府は其使臣に訓令して清廷に損害要償の談判を開かしめたりと云ひ或は佛國艦隊は支那の北方に進航すべき旨訓令を受けたりと云ふなど物情甚だ〓かならず最後に歐洲よりの電報に佛國の首相フエリー氏は國會下院に於て郎松事件は支那伏兵の所爲なり佛國政府は清廷に向ひて償金を要求したりと陳述したる由を記し巴里諸新聞の報道に依れば償金の高は五千萬圓にして要償の抵當には福州港を占領すべしとあるに至て郎松襲撃並に償金要求の事は事實相違の流言にあらざることを知るを得たり盖し佛國首相が國會に於て明言したることは普通の風説と同一視すべきものにあらざればなり支那佛蘭西の葛藤果して又今日に再燃したること明白なり
去る五月天津に於て清佛の和約成るや支那全國の文武吏員等はこれを聞て悦ぶ者なし盖し此和約は攝政西太后の旨を奉して直隷総督李鴻章が専ら談判周旋したるものにして清廷の大臣等は此議に輿かり知る者なし殊に廣東の軍務総督彰玉麟の如きは痛く和議を排して戰を主張し書を朝廷に上りて佛夷の討伐せざるべからざる理由を述る等和約の沙汰を聞て不平憤懣髪冠を衝くの有樣なり又老將左宗棠の如きは最初より戰を主張して恭親王、李鴻章等の平和策を悦はず病と稱して両江総督の任をも辞したる後恭親王其職を退けられて醇親王これに代り權柄頑固黨の手裏に歸するの今日に至りて左氏の病も忽ちに平癒し直ちに北上して軍機大臣の重職に任せられ其權勢正に甚た盛なり故に仮令西太后の懿旨なりとは云へ滿廷の輿論は大に和議を非難するものにして既に李鴻章を弾劾して和約の非を鳴らしたる者さへある程なれば天津條約を實施するに其力の甚た微弱なるは固より恠しむに足らず彼の東京の襲撃の如きは邊陲の都督等未た天津和約の沙汰を聞かず又未た退軍の訓令をも受取らざる際に敵軍の來るを見てこれを襲撃したるものか又或は將軍外に在る時は君命も奉せざる所ありなどゝ自己の一見識を以て依然邊境の戰備を持續し偶ま敵軍の乗すべきを見て一撃してこれを鏖にするの策を試みたるものか今日固より其情實を得ること難しと雖とも兎に角に支那の將卒等は和約を悦ばずして戰議を賛成し機會もあれば折角に調集したる軍備を取て一たびこれを敵に試みんことを希ひて止まざることならん
又佛國の内情を察するも先年普魯西と戰ひて一敗地に塗れ數年前までは其雷名全歐洲に轟きて大に威福を恣にしたる堂々たる佛蘭西國が彼の日耳曼帝國の勃興以來はこれを顧る人さへなく復讐の戰を開かんと欲するも力足らず果ては小弱の隣邦西班牙にまでも輕侮せらるゝに至りたること其遺恨云ふべからず乃ち大に外征の擧を企て外に得る所の功名を以て内に誇揚し以て其威權を恢復せんことを欲しチユニス國を征しマダガスカル嶋を撃ち更に東して安南東京を奪〓せんとする等其雄〓野心際限あることなし然るに東京の占領直ちに支那政府と違言を生し其抵抗の力决して尋常ならず流石の佛国政府も中ころにして少しく其輕擧を悔るの色ありと雖とも漸くにして又其〓を决し斷然其〓を〓かんとするに至りて其事〓外に易く〓々更に〓〓を〓るものなく當面の人馬兵備は〓唯幻影一枚のものにして我旗色を望見して忽ち消失するものたることを覺知りたり是に於てか佛國人の慾情前日に十倍し支那帝國を取て第二の印度と爲し第一は從前の儘に英國の所轄に存し第二は佛國自から新に其主人たらんと欲するの意志さへなきにしもあらず仮令俄かに支那帝國を奪ふの策成らずとするも數千萬の償金を要求し數ケ所の要地を占領する位の事は一弾を放たず一兵に〓らずして辨すべきものなりと固信せり故に彼の郎松襲撃の如きも佛軍の方より故らに支那軍を誘致して遂に開戰に至らしめしか或は佛軍自から支那兵營を襲撃して敗北したるものか此邊疑なきを得ず思ふに其内部の情實は到底これを今日に探知すべからざるべし唯兎に角に郎松襲撃の電報は巴里の首相をして躍踊屐齒の折るゝを覺えざらしめしならんと察せらるゝのみ