「清佛兩國の和戰如何」
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時事新報に掲載された「清佛兩國の和戰如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
清佛兩國の和戰如何
我輩は昨日の紙上に於て支那佛蘭西兩國間の葛藤再燃の次第を畧記し去月下旬東京の郎松に於て支那軍が佛軍を襲撃したりと云へる事は其曲清佛孰れの方に在るや未だ詳ならずと雖とも兎に角に此葛藤再燃は佛蘭西人の甚だ喜ぶ所ならんとの次第を述べたり盖し山西、北寧の略取以來次で又天津條約の議定以來は佛國人の眼中に支那人なく隨て耀武爭利の心情頻りに其懐に往來して禁すべからず天津の和約條款佛蘭西人の身に取りて利は則ち〓なり數十の人命と數十萬の金額とを消費し一擧して東洋一大王國の所有權を定む决して不廉なる賣買取引と云ふべからざるなり然りと雖とも既に幾十の人命と幾千萬の金額とを費したる以上はこれを無代價にて得たるものに比して尚ほ一着を讓るの感なきを得ず天津の和約にても今少し此方の要求を張大にしたりしとて决して故障はなかりしものを僅かに安南東京の全土を掌握し支那三省の通商權を取る位にて満足したるは此上もなき失策なりしなりと退て竊かに後悔し〓中の鼠を遁がしたるが如き状况なきにあらず此際忽ち郎松襲撃の重大事件の現はれ來るあり此事元來豫期せし所なると豫期せざりし所なるとを問ふに及ばず唯事の起りたるこそ幸なれ佛國人の心中先づ愉快の情に堪えざるものあるなり人或は謂ふく佛國人にして愉快極まるとは今回佛國政府より五千萬圓の要求は支那政府に於て異議なくこれを承諾し或は金員調達辨し難き間は福州港なり台灣島なり言ふが儘にこれが占領を許して抵抗することなきを知るが故なるやと我輩はこれに答て佛國人の着眼する所は唯結局の成敗如何に在るのみ一時抵抗の有無の如きは版圖擴張の大事業に屬する細小の枝葉に外ならずと云はんのみ併しながら抵抗の大小長短は事業成敗の遅速に關すること少なからざるを以て我輩試に今回の葛藤に關し支那政府が何の所置に出るかを推測する所あるべし
今支那政府の執權者を見るに親王軍機大臣以下諸省の総督巡撫の輩に至るまで一人として海外萬國の事情を審にする者なく唯自尊自傲徒らに他人を輕侮して自から喜び一概に人の下風に立つを慊しとせず老將左宗棠、彭玉麟の輩が醜夷伐つべしと大言して只管中國の強大を誇揚するが如きは單に内國の民心を収攬するの術策に用るものかと疑ふ者もあれとも其實は决して然らず左彭亦是支那固有の老措大のみ唯支那あるを知て世界あるを知らず文に武に天下能く中國の右に出るものなしと信して疑ふことなし左ればにや左宗棠が揚子江岸の舟子漁夫等を狩り集めたるのみにして直ちに強盛なる水軍を作り得たりと心得揚々自得の色あるが如き又彭玉麟が廣東港口を封鎖して佛國艦隊の攻撃に當ふんと企るが如き其膽力の大なる實に驚くに堪えたり斯の如きは苟くも西洋人の恐るべきを知り尚ほ故らに自家の勇武を妝ひて人を瞞着せんとする者の能く爲し得る所業にあらざるなり盲人は路に當る蛇を畏れず清廷執權の固陋輩にして自から大に其盲勇盲力を恃み佛國使臣の呈出したる償金贖罪要港占領等の要求を聞て嚇として大に怒り直ちに兵戈に訴て醜夷を懲さんと欲するが如きあらば此談判は决して調和せず兩國開戰の上にて其勝敗を决することならん然れとも清廷幸にして一李鴻章の在るあり此人よく西洋の恐るべきを知り又支那の恃むべからざるを知るが故に敢て妄りに外〓を開かず勉めて外國の交際を滑かにして容易に人の誘に應せず今回天津の和約の如きも支那の恥辱たる固より論なし然れとも尚ほ戰爭に勝る萬々なりとて辱を忍びて此和約に調印したるなり然るに約書の墨痕未た乾かざるに忽ち又郎松襲撃の沙汰ありて償金を要求せらる實に是非もなき次第なれば唯筆舌の及ぶ限を盡して其金額を減少することは勉めざるべからざるも數千萬の金を吝み又は海港占領を掛念する等のために無謀の戰を起して全國の安危存亡を顧みざるが如きは思も寄らざる所なり李氏にして〓くまで平和忍辱を主張せんか在廷の諸老臣如何に其頑迷を恣にせんとするも〓て不案内の外交事務なれば幾分か李氏のために左右せられざるを得ざるへし加之攝政西太后は李氏の言ふ所を理ありとして既に天津の和約をも締結せしめたる程なれば今にして郎松の償金を吝み俄かに前説を變するの意あるべしとも思はれず元來西太后が平和説を嘉納するは何の理由に依て然るやを知らずと雖とも西太后は元と咸豐帝の妃にして帝の即位十年英仏聯合の兵天津を攻破りて行々沿道の支那軍を破り遂に北京に入るに及びて帝恐懼狼狽し后妃諸王を召具して熱河に蒙塵し翌年遂に行在所に崩したる等當時の艱難を一々目撃實踐したる人なり今にして二十餘年前の事を回顧せば坐ろに毛髪の竪つを覺えざることならん長髪賊は中國の十六省を席卷して其暴威を逞しくし兇悪至らざる所なかりしと雖とも遂に一兵の鳳闕に迫る者なかりしなり反之西夷は空中飛行の異術にても修しあるか數百の小軍能く幾萬の天兵を撃ち惱まし闕下に直進し來りて敢て強願する所あらんとしたり今日の事別族の夷民に係るなれば或はこれに處するの法もあらんなれとも彼の咸豐十年の佛夷又來りたりとありては西太后を始め後宮の老女老宦官は皆其色を變すべきや必然ならん此等の事若し果して西太后が平和説嘉納の原因ならんには灸に懲りたる子供に線香艾を示すと一般到底主戰論の説法は無益なり在廷の諸老臣如何に其權を専らにするもまさかに西太后の勅命を拒むまでには至り得ましければ結局宣戰の沙汰は六ケ敷からんか
以上は今日我輩の推測説なりと雖とも其果して和戰孰れに决し又果して如何の結果を生すべきやは固よりこれを今日に豫知すべからず唯我輩の信する所は仮令平和に歸するも戰爭に及ぶも其勝利は必ず佛國に在りて支那に在らずと云ふの一事に在るのみ