「米國商家の氣風」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「米國商家の氣風」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米國商家の氣風

過般在米國の一友人より書を寄せ來り書中の一節或は日本商人社會 参考にもと思はるゝまゝ近淺の事ながら之を左に記して一覧に供す

(前略)當國人が商賣に熱心して巧なりとの評判は小生在郷の時分にも聞き及びたることなるが百聞の評判は一見の實を以て之を証し實以て感心の事共に御座候先つ一般に當商店頭に入て物を買はんとするに主人は無論番頭手代小僧丁稚に至るまでも十二分の愛敬を呈し客の貧富貴賤に論なく仮令ひ聊かの買物にても彼方此方と店中を引廻はし棚の隅隅までも開き求めてあらゆる其注文所望の〓を示し扨直段定まりて約條すれば其品を紙にて手奇麗に包み之を君の宿所まで送り届け申さん、手づから携へ歸らるゝとな、去りとはかさばりて途中お邪魔ならんなどゝ最も丁寧至極行届たる挨拶にて我々日本人が在郷中三都其外の塲にて買物したる時の氣搆へにては却て氣の毒にして赤面する程の次第なり斯く客人を丁寧に取扱ふは或は陽に敬して陰に錢を貪るの手段には非ずやと云ふに决して然らず我々は昨今渡米の日本人にて云はゞ紐育都下の田舎漢なれとも此田舎漢に賣る直段も純然たる米國人に賣る直段も曾て異なることなし(米國諸商店皆然るに非ず隨分掛直も申し喰はせ物もあれとも是れは客次第誰れに向ても同樣に仕向けて錢を貪らんとするまでにして外國人なるが故に特に欺かんとするなどの悪習は甚た稀なり)盖し商賣上の信を重んずるが爲ならん又小生が前年始めて當國へ着の時桑港にて感心したる一事と申すは同行の一友人某氏が新に帽子を買はんとて或る店に入りたるに主人は例の如く客を持て成し樣々の品を出して之を示す傍に氏の舊帽子を手に取り之を誉ること甚たし此帽子は既に古びて貴客の用にこそ適はざれとも性質は上品にして出來も亦佳なりとて頻りに之を稱揚する其有樣を一と通り考れば不審なるが如し全体店の主人は今正に己れの品を賣付けんとする最中なれば客の所持する古物をば散散に悪しく言ひなして自家の品を誉め誇る歟、左なくば入らざることに何等の評をも下ださゞるこそ當然なれと思ひの外、全く其反對に出るとは我々素人の考に解し難き所なれとも主人の意は唯客の氣を傷はずして何くれとなく自然に之を悦ばしむるの方便を盡すに在るのみ商賣上の〓〓に〓妙の點と申す可きものならん又過日小生が當市中歩行のとき雨に逢ふて偶々傘を携へざりしに往來の一人走り來りて己れのさし居る傘を貸さんと云ふ這は不思議に深切なる人もあるものかなと先つ心に感してよく其面を見れば曾て小生が衣服を注文したる仕立屋なり小生は固より近處の買物にて且大雨にも非ざれば懇に仕立屋の好意を謝して傘をば借用せざりしかとも曾て一度ひ着物を誂へたる縁を以て往來に己が身を濡して人に傘を貸さんとするが如きは商賣に人情を利用するものとも申す可きか其心の働の行届きて擧動の活溌なること唯感服の外ある可らず云々

右來書の趣は誠に近淺些末の事柄にして一見之を以て論柄とするに足らざるが如くなれとも天下の大事を斷するの標凖は往々些末の小事に在て存するもの少なからざれば此一片の文章も亦决して之を等閑に附す可らず文明開化の要は人情の調和して擧動の活溌なるに在り而して其調和活溌の氣風は人間交際の事實に現はれて處として功を奏せさるはなし即ち前文の次第は米國の文明開化が其國人の商賣上に現はれたるものならん例へば我日本國に於ても田舎の地方は不文にして東京は文明なりと云ふ實際に就て其有樣を見るに地方の人は其眞實の德義の厚薄に拘はらず都て言語武骨にして容貌不人情なるが如し往來の道を尋ても之を教ること丁寧ならず、見知らぬ人に逢ふても言葉を掛ること遅くして動もすれば面を反くること多し、田舎の旅籠屋に止宿し又店に入て物を買はんとするに其取扱常に粗畧にして客の意を滿足せしむるに足らず甚たしきは旅籠屋にして旅客を嫌ひ、商賣店にして物を賣ふを好まざるかと疑ふ可き程の擧動なきに非ず左れば武骨不人情は田舎地方の品格にして其程度を察するに片田舎の町村より都邑に上り、諸都邑より三都に上り、次第次第に品格を進めて武骨不人情は變して温和活溌の氣風を現はし三都の中にても東京は最上等に位するが故に人氣も亦自から殺風景ならずして都人士の交際、各商店の有樣より下流の人民に至るまでも其言語擧動に見る可きもの多し所謂東京の文明開化なるものにして世人の普く許して疑はざる所なり然るに今眼を轉して遠く北米の事情を傳聞すれば其人情の温和にして擧動の活溌なること我文明開化の中心なる東京を凌駕して却て之を田舎視するの情なきに非ず遺憾なる次第と申す可し是れも在昔鎖國の日本なれば彼れは彼れたり我れは我れたり我武骨殺風景こそ固有の妙處なれとて獨り自から得々たる可しと雖とも今や我れは國を開て外國の人を入れ其交際は月に日に廣くして繁多ならんとするの日に當り武骨の舊筆法は既に無用に屬したりと云はざるを得ず、人の德義は自から武骨の中に在て存すと云ふと雖とも交際繁〓〓〓〓〓未た德を知られずして早く既に愚鈍視せらるゝもの多し故に我日本國人も果して我國を〓國と决定したる上は固有の道德心を失はざるは勿論のことなれとも内の德義に〓て外の言語擧動に注意し其温和活溌なること彼の米國の商人の如ならんこと我公私の爲に祈る所なり