「娼妓の増減は道徳の進退に關せず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「娼妓の増減は道徳の進退に關せず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

娼妓の増減は道徳の進退に關せず

公然色を鬻き靦然耻ぢさる者固より徳義に悖るの業にして之を買ふ者其數愈多く華街の繁榮愈其盛を極むるは亦固より道徳上進の兆にあらざるなり然れとも娼妓の數大に減し華街の景况衰額に及ぶも未た之を以て道徳の進歩を表するに足らず蓋し色情は人間の大慾にして止めんとするも止む可らず陽に之を制すれば陰に其勢を助長し左に抑ふれは却て右に大に揚り其間敢て大差なきものとす西洋諸國に於ても廢娼論を唱ふる者ありて現に公然の賣淫を禁する所なきに非すと雖とも之を其禁止せざる所に比して弊害の多少如何は輙く之を判すること能はざる程なり我邦にても維新の後一時廢娼の議論起りたることあるも遂に實行せられず賤業醜態連綿今日に至り世間にても隨分之を憂慮し彼輩をして速かに正業に就かしめ一人にても其數を減することを勉むる者なきにあらず而して其數の減少するは道徳進歩の兆なりとして之を喜ぶ者もあらんと雖とも是れ恐くは謬見たるを免れざる可し元來社會の事物は斯の如く單純簡略なるものにあらずして仮令廢娼論をして實行せしむるも隠賣私通巧みに奇計を設け弊害百出殆と計る可らさるものあらん左れば娼妓の増減は人間品行の良否に關するものに非すと謂ふも亦不可なきが如し

頃日明治元年以來東京府下貸坐敷并娼妓の數を聞くに近年頗る減退の景况を見ることあり今左に明治元年及び同四年(娼妓解放の令を發したる年)と本年六月の現員を揚く

〓〓に依れば明治元年十二月の現在數は(根津を加へず)貸坐敷九百二十六軒、娼妓八千四十六人にし〓同四年十二月の貸坐敷千○三十六軒、娼妓五千四百三十一人なり則ち貸坐敷百十二軒を、増し娼妓二千六百十五人を減したり此年は娼妓解放の令を發したる年にして花街の一大改革とし娼妓は多年の禁錮忽ち解け巨額の負債一朝に消えて自由の身となり貸坐敷即ち抱主は非常の損耗を來し破産したる者亦少からざりしと云ふ是れ其娼妓の減したるは解放に依て或は父母の許に歸り或は情夫に從良し貸坐敷の増したるは戸數の制限廢れて新に開業する小店ありたるに由るものならん、爾後十年を經て明治十四年には貸坐敷四百四十四軒、娼妓三千十一人なりしが(前表に掲けず)今明治十七年六月には貸し坐敷三百六十九軒、娼妓三千三百七十三人(根津を加へ)之を明治十四年の數に比すれば稍増したるも其娼妓の數著しく減したる解放の時に比較すれば凡三割七分九厘の減にして之を明治の初年に比すれば五割八分の減少なりとす

此表をみて讀者は如何に判定を下すべきやこれを道徳の上進に歸す可き乎將た不景氣の影響となすべき乎我輩は其原因决して以上二者にあらざる可しと信するなり何となれば則ち社会の道徳は僅々十餘年間に斯く上進するものにあらず而して農商一般最も好景氣と稱したる十三四年の頃にも其數を増すことなく今日却て多數を占めたる程なればなり左れば我輩は娼妓減少の原因は左の二項にある可しと信するなり

第一 勤番者の減少 德川氏の時代は勿論明治初年廢藩以前にありては各藩の士民所謂勤番なる者多く府下に來集し藩邸又は客舎に寄寓し隨て其從僕即ち折助の類亦少からず此等は皆其妻孥を攜へず自宅を有せず羈繋の身なるを以て永く孤枕冷衾に堪ること能はず去て花街に赴き強て一夕の春を買ふ亦人情の已む可らざるものなり爾後藩邸を撤して各故國に歸り其東京に永住する者は故郷の妻子を迎へ或は新に妻妾を聘して家居を營むことゝなり此際には故郷の舊妻を逐ひ東京の新妾を以て位を換へ隨分醜態を顕はし徳義を缺きたるものあれとも兎に角花街の遊は自から減したるものとす

第二 密賣淫の流行 明治六七年の頃より府下處々に密賣淫流行して到る處殆と其巣窟あらざるはなく其簡便と廉價とは一層人心を惹き易く一時其極に達しては銀坐街の各衢に於て公然行人の袖を援くに至る爾後〓〓廳の斷行によりて殆と其蹤を絶ちたるが如くなるも思ふに公然袖を援くの風は止みたるも只是れ密賣の本色に復し其事密々に行はれ未た全く其巣窟を剿滅するに至らざるべし往事府下密賣淫の沙汰なきにあらざるも處分頗る嚴にして探偵尤も密に猶直接の利害に切なる貸坐敷仲間をして捜索せしめたることあり其精微一滴を洩さず全都の人を〓て遊郭に入らしめたりと雖とも今日は然らず是れ其娼妓の數を今日に減したる由縁なりとす

以上に論じたる如く一は之を〓ふ者の身上に變化を來したると一は之を賣る者の地位變〓したる〓にて其減少は社會の〓〓〓〓を左迄の進退なく只その區域を廣めたるものと〓〓〓〓〓〓

地名 戸數 元年十二月  四年十二月  十七年六月

   人員

吉原 戸    三四九    七一七     八六

   人   三八四四   二八〇四   一二一二

新宿 戸    一五一     九二     六〇

   人    九七二    五八四    三〇四

品川 戸    一七五    一〇三     六二

   人   一四二五    九二三    五八二

千住 戸    一九六     九三     四九

   人   一三〇七    九三一    三六八

板橋 戸     五五     三一     一六

   人    四九八    一八九     九五

根津 戸    -       -      九五

   人    -       -     八一二

合計      九二六   一〇三六    三六九

       八〇四六   五四三一   三三七三