「 郎松事件は清佛葛藤の大團圓にあらず 」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「 郎松事件は清佛葛藤の大團圓にあらず 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

郎松事件は清佛葛藤の大團圓にあらず 

郎松の一役、=むに垂んとしたる東京事件を再燃せしめてより已に一日餘を經過したれども===戰の確報を得ず我輩も豫め其落着如何を知る能はずと雖ども初は脱兎の如く終は處女の如きは清廷=手の外交政畧なれば今迄の劍幕は兎も角も結局佛國の要求に應して例の媾和に歸することならん、さて其媾和既に成れば昨年以來の大葛藤も忽ち絲分縷解して其大團圓を見ることならん歟我輩を以て之を見るに東京叉は郎松事件の落着の如き清佛の交際上より云ふときは纔に一小段落として見る可きものにして其大團圓に達する迄には更に叉幾多の盤根錯節ある可しと思はるゝなり盖し尋常一般の眼より見れば兵は凶器にして戰は危事なり特に海外の遠征に至ては兵卒奔合に疲し軍器糧仗に財帑を糜し一旦兵結んて解けざるときは硝爆彈雨伏屍相枕するの慘狀なきを得ず况んや東京出征の如き熱地の炎暑に暴露して其土兵等に敵するものなれば賓主地を換へ勞逸勢を異にするのみならず瘴氛毒霧疫癘を釀生し未た戰に臨まずして身先つ死するもの其幾千人なるを知らざるに於てをや古來征戰幾人か回るとは畢竟是等の慘狀を形容したるものにして佛人とても亦之を知らざるに非ず知て而して之を忍ぶものは决して偶然に非ざる可し抑も佛國が圏東の志を抱きたるは一朝一暮の事に非ず千八百六十一年早く已に交趾を取り其明年東浦塞を以て附庸國と爲してより地を亞細亞に拓くの念は日に其懐に來徃せざることなしと雖ども千八百七十年より普魯西との戰爭、其和政府の再建續てチユーニス事件等内外の國事多端なりしかば未た宿昔の志を果す能はざりしに近年歐洲無事にして兵を東するの機熟したるを見、二十年來抛擲したる圏東の念を新にして先づ手始めに東京と出掛けたるものなれば今後も種々の辞柄を設けて交趾と云はず東京と云はず苟も隙の乘す可きあらば歩々次第に猿臂を伸ばして漸く亞細亞を攫取せんとするの腦算ならん其間外交の掛引より凶器を執て危事を行ひ無事の同胞を驅逐して之を死地に陷るゝこともあらんと雖も一將功成りて萬骨枯るゝは古來軍國の習にして固より顧慮するに暇あらず乃ち清佛交際の今後益多端なる可き所以にして今日の葛藤に引續きて蔓延枝連更に幾多の新葛藤を引き起し容易に其大團圓を見る可らざることともならんか

以上は近年佛國が亞細亞の遠略を事とする所以にして誠に簡單明白なりと雖ども爰に叉清佛の葛藤をして容易に完結せざらしむるものあり何ぞや此葛藤は却て佛國の内安を助けて其政府を鞏固にするの傾きあること即ち是なり元來佛國の人民は政治に熱中するの風ありて其主義好尚も一ならず國中の黨派も隨て多く共和、帝政、保守、急進、社會の諸黨、唯其施政上の所見を異にするのみならず其政体上に就て根本の主義を異にして鼓噪喧呼各其所論を主張するが故に内閣も亦其基礎を固むるの暇なく現に東京事件未發の前は佛國内閣の變更殆んど蘭===はざる 、變あり即ち一昨年一月の末、フレシネ氏=内閣に入りてより昨年二月フヱリー氏が現内閣を組織するとて僅か一年=許りの間に内閣の交迭は三回にして其在職の時限は左の如し

宰相人名     在職時限

フレシネ氏       七ケ月七日

ジユクレール氏     四ケ月廿一日

フハーリール氏     二十三日

一昨年の春初より昨年の初めに掛けては佛國内閣の交迭右の如く頻繁にして辞令書の墨痕尚未た乾かざるに皆な其職を去りたれども現任宰相フヱリー氏が昨年二月の下浣に於てフハーリール氏に代て内閣に入るや深く前内閣に鑑みる所ありにしや就職匇々安南との談判を開き昨年四月十八日巴黎府發の電報には既に使節を安南に派遣したる由を揭載したり爾後東京事件は益喧くして佛國政府は益固く昨年二月より今に至るまで既に一年有半なりと雖ども未た交迭の兆を現はしたることなし但し現内閣の前内閣よりも鞏固なるは單に清佛葛藤の效のみに非ず其原因は固より一にして足らざる可しと雖ども河内の血戰、北寧の肉薄、興化太原の尾撃より清佛兩使臣の談判等一報東より來る毎に佛國にては萬耳之に傾くの勢あるが故に自然内政上の熱心を移して之を外征の一方に注き外の危急と聞くからには騎虎の勢にて中止せず幾千萬の軍費にても要求に應して政府に供し以て其功を全うせしめんとするより政府も内顧の患なくして自から其鞏固を加へたるならん故に内閣維持の點より見れば外國との交渉を連續して國中の耳目を外に移し以て其内安を保つこそ智者の事と云ふ可きなり佛國宰相にして果して此に見る所あらば今後も種々の辭柄を設けて清佛の葛藤を永續し一方には多年侵畧の志を成し一方には現内閣の地位を固うするの策に出つるやも亦未た測る可らず我輩甞て此に見る所ありしが故に曩に東京事件落着の報を聞きたる時も清佛の紛議は决して此に止まらず遠からずして復め雲南事件抔云へるものを生するにも至らんとて之を我紙上に論したりしが今日果して郎松事件なるものを見るに至れり左れば我輩が今日に於て前を顧みて後を推し郎松事件は清佛葛藤の大團圓に非ざる可しと臆測するも亦全く無稽に属せずと信するなり