「兵役遁れしむ可らず」
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時事新報に掲載された「兵役遁れしむ可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
徴兵令の影響する所、日本國中に於て諸學校の官立府縣立に係り又私立に係るの故を以て其生徒從學の安心不
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓立府県立の學校に於て假令ひ其生徒に兵役猶豫の
男子は其入學する處の官私を問はず平等一樣に兵籍に入れんことを冀望するの旨は。我輩が毎度我紙上に記して
讀者の考案を煩はしたることなり。然るに近來又各地の報告を見るに、其事情我輩の曾て豫想したるよりも甚し
きものを致して、全國兵の全國たる可きは今日に於て益切なるが如し。蓋し兵役を忌むの念は殆ど人の至情とも
云ふ可きものにして、之を避けんとするの風習は獨り日本のみならず世界各國皆然らざるはなし。故に軍國經世
の要は、國中自然に尚武の元氣を養ひ、世々の流風以て兵役の恐るゝに足らざるを知らしめ、其國民の義務たる
を知らしめ、其男子の榮譽たるを知らしめ、啻に其本人のみならず、骨肉の婦人女子に至るまでも傍より鼓舞し
て役に就かしむるが如き習俗を成さしむるに在るのみ。然るに今の徴兵令に於ては、戸主たる者は役を免れ、官
立府縣立の學校に在る者は猶豫の特典を蒙る可しとあり。蓋し政府にて國中人民の戸と名くるものゝ名義を重ん
じ、又學問の敎育を貴ぶの旨ならん。一戸にして先租の墳墓に注意して時に祭祀を執行し、又人生に必用なる敎
育を受るは甚だ大切なることなれども、今日の實際に於ては人民未だ徴兵義務の重んずべきを知らずして先づ之
を避けんとするの念を起し、法律愈密なれば之を遁るゝの術も亦愈巧にして、百計千略至らざる所なし。是に於
てか先づ大に注目する所は戸主と學校とにして、此二者を利して萬一の僥倖を試る者多し。各地方の實況を聞く
に、苟も滿六十歳以上の戸主あれば、其家柄の如何を論ぜず、何か牽強附會なる由緒を申立てゝ養子たらんこと
を求め、或は六十歳未滿の父が丁年の總領を廢嫡して更に六十歳以上の戸主に養子と爲し、己れは六十歳の到る
時に次男の正に丁年なる可きを算して之に家名を讓るの謀を成し、或は近傍に風癲又は無賴漢の出奔失踪して空
中に家名のみ存する者あれば、其先租の墓所など詮索して相續の表面を裝ひ、或は六十歳以上の鰥寡にして、苟
も戸籍上に名前さへあれば、如何なる寒貧無産の者にても之を養ひ又は金圓を與へ、實は家の厄介にして表面に
は之に養父母の名を上つるの類も少なからず。其實際を言破れば無戸の戸主が無形の名を以て有形の錢穀に易ふ
るものなり。破廉恥も亦極ると云ふ可し。又府縣立の學校に少年の群集するも非常の數なり。從前各地方に敎育
の旨を奬勵して少年の就學を勸るは一朝一夕の事に非ず、百方説諭に勞して來者の少なきに苦しみたる者が、本
年春以來は入學志願の者常に校門に市を成して去らず、地方の學校素より其組織に限ありて、生徒百名に備るの
學校にして俄に二百名を容る可きに非ざるも、志願者は既に二百五十に過るが如きは、比々皆是なり。甚しきは
十九歳の少年を携へ來りて學校の受附に依賴し、學業の成否は敢て期する所に非ず、又父母の熱望する所にも非
ざれども、是非に此者を來年まで入校せしめて一ヶ年の課程を終らせたく、此儀相叶はざるに於ては故郷の父母
は必ず發狂致して何等の變を生ずるやも計り難しなど、謂れもなき癡言を陳べて學校を煩はす者あり。又從前は
府縣會にて動もすれば支出減少の事を主張して、學校費などは常に減少を蒙るの部分なりし者が、近來の民情、
學校を視ること恰も樂土の如き有樣なれば、此樂土の維持とあれば金を出すに必ず苦情はなかる可し。以來學校
費の議案は必ず滑に議決することならんと云ふ。
右は徴兵令の影響に關し地方の情況なりとて我輩に達したる報道の大略なり。此情況果して眞ならば、我輩に
於ては輕々之を看過すること能はず、國民尚武の元氣の爲に深く憂る所なきを得ざるなり。彼の戸主の名を以て
兵役を遁るゝの隠所と爲し、竊に餞を受授して戸籍を弄ぶが如きは、沙汰の限として之を論ぜざるも、府縣立學
校に入學志願の者とても之を其まゝに差置く可らず。學問奬勵の點より觀察を下せば、入校の意志如何は兎も角
も、少年の就學は則ち就學にして、全國學生の數を增して文事盛大の實相を呈することなれば、祝す可しとの説
もあれども。本來敎育の事たるや。唯字を讀み技藝を知るのみに在らず、德育も亦甚だ大切なるものにして、其
德育の最も重きものは僞を行はざるに在り。然るに今學問上の敎育は第二に置き、唯入校さへすれば兵役猶豫の
特典を得べしとて來るは、其中心一點の僞あるものと云はざるを得ず。德義を重んずる學校にして、之に學ばん
とする者が、其入校の門前に於て先づ德敎の綱領たる誠意の大義を缺く、首尾顚末の撞着甚しきものにして、之
を祝するは取りも直さず敎育の大缺典を祝する者に過ぎざるなり。抑も此少年輩とて生來日本の元氣中に在る者
にして、其天稟怯なるに非ずと雖ども、一度び兵役を遁れんとするの念慮を發起して其計略を試るときは、恰も
全璧に瑕瑾を生じたるが如き有樣にして、其怯心は生涯これを除く可らず。虎の恐る可きや否やを念頭に掛けた
ることなき者は、虎に遭ふてよく之に進むと雖ども、一度び其猛獸たるを聞き、又これを避るの術を聞き、實際
に未だ虎を見ざれども其漸く近づくを知て遁逃の術を施したる者は、生涯虎の繪を見ても之に戰慄するを常とす。
蓋し鄙怯の一念常に腦中に來往して除去すること能はざればなり。左れば今兵役を遁れんとして樣々に策略を施
すものは、既に其役の忌む可きを知り、又これを遁るゝの方便を求め、實地に其方便を試みたる者なれば、一片
の怯心は骨に徹して生涯これを除く可らず。之を小にしては本人の德を壞り、之を大にしては天下の元氣を損す。
公私の不幸これより大なるはなし。故に我輩は曾て此邊の事を論じ、常時に在ては專ら私立學校生徒の爲にした
るもの多しと雖ども、今や細事を顧るに遑あらず、眼中既に私立校なし、唯國民全體の氣を養ふが爲に、全國兵
の法を眞に全國ならしめ、丁年の男子は一名も免ずることなきを冀望するものなり。 〔七月三十日〕