「日本に鉄道は無用なり(昨日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「日本に鉄道は無用なり(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

通信者又曰く日本に鉄道論の盛なりは其原因内部の人民が市塲に徃來する〓〓の便少なきを感じたるにはあらずして目下商〓不景氣のために資本家が其資本の使用に苦み放資の資として鉄道布設を希望するにてはあらずや鉄道を布設するは莫大の資本を要す若し一時の不景氣に乗じて鉄道事業に資本を使用し盡しなば平時に在て諸般の事業に入用の資本は忽ち爲めに缺乏すべく其不都合は如何すべきや又此資本を鉄道新設に使用せば今の商況回復を妨る憂はなきやと我輩は之に答へて曰はん近來我日本に鉄道論の盛なるは我國民の知見漸く上進し〓會の文明を促し國の富強を進むるには其効力鉄道の右に出るものなしと自覺したるなり其近因は商況不景氣にして資本の使用に窮したるによるもあらん文明の春風重嶺を〓えず北海の怒濤船路を遮り〓俗の都雅ならず市貨供給の平準を得ざる皆運輸交通の不便より來るものなりと知りたるに由るもあらんかなれども兎に角に今の文明世界に於て國あり〓會ある以上は必ず亦鉄道なかるべからずと全國人民一般の確知したるに由るものにして決して一人一種族の私論たるにあらざるなり然るに今の商況不景氣に際して折角、資本を鉄道に使用し爲めに他の事業の資本を奪ひ去りたらば鉄道は成るも他の事業は停止せらるゝ不都合はなきやとの議論の如きは決して今日の日本に適せず若し日本をして三十年前の健國時代の如く全國の理財は此一國の内に限り他と相通ずる工風なからしむしか又は日本をして世界第一の富有國ならしめ他の貧弱〓〓〓〓〓〓〓を救ふ力なき〓〓塲合ならんには鉄道に放置の偏重なるは一時他の事業を停止する不都合をも惹〓さんかなれども今の世界の資本は世界廻り持の資本にして其融通自在なり日本若し資本に差支えことあれば直ちに他の富有國に就て不足の分丈けを借來る工風あり斯く申せばとて我輩は國債の方法あるをのみ云にあらず國〓なり私債なり唯日本に外國資本の注入し得べき機〓門をさへ開き置けば水は卑きに就く法則に從ひ世界に有餘の資本は日本に不足の資本を補ひ決して事業停止の不都合を見る憂なかるべし又今の不景氣に際して鉄道事業を〓さば商況回復の妨を爲すことなきやとの問に對しては我輩は決して左る事なしと斷言せんのみ我輩は鉄道事業の商況回復を妨げざるのみならず寧ろ此回復を催促する啓行者たるべしと信ずるものなり若し鉄道事業者あり數千萬の資本金を募集したる後空しくこれを庫中に埋藏して再び世間に流布することを許さざる樣の事あらんには全く我輩の説と半對の結果を現はす事もあらんと雖ども若し此事業者にして我輩の論を採用し隨て資金を募集すれば隨てこれを銕道工事に消費し一旦商況回復の氣運に向ひ他の事業の資本窮之を訴るい樣の傾もあらば直ちに〓門の水路を掃除して資本の注入に故障なからしめんとせんには目下銕道布設は商況回復を促す第一策なりと〓して不可なかるべし

通信者又曰く銕道工事中は爲めに多人數の衣食を得る者あらんと雖ども銕道一たび落成するときは前日數百人の勞力を要したる運搬事業を今は數人の運轉する列車にて事足ることとなり全國無數の運搬役夫は忽ち生計を失うべし云々と斯る議論をして我西隣の支部より來らしめば則ち可なりと雖ども今日の時勢に當りては支那人尚ほ且つ斯る議論を口にすること愧る者ある其際に堂々たる改進第一の新世界より之を聞くとは實に失望の外なきなり若し通信者の論の如くは汽船は日本形船の業を奪ふものなり人才登用は大名家老の門閥を奪ふものなり人力車は駕籠の商賣を奪ひ郵便は飛脚屋〓使ひの衣食を奪ひ蒸氣電氣〓石炭皆人の邪魔を爲さざるものなし依て皆これを禁じて永く國の〓源を塞ぐべきや如何斯の如きは今の文明世界に最も不通の議論なるべし

通信者が終結の斷案に曰く前絛々の次第なるが故に日本の銕道事業は急にすべからず先づ一ケ年に數英里〓ゝ布設するを以て適當とすべしと我輩讀て爰に至り實に〓驚落膽せざるを得ず目下着手中の中山道の銕道、東京靑森間の銕道を始め自今早々に着手すべき中國の銕道、九州の銕道、四國の銕道、信越の銕道、北陸の銕道、東海道の銕道の如き其延長數千英里を布設する上ならでは一と通り日本の銕道組織を全くすることを得ざるべし然るに若し通信者の説の如く毎年數英里の工事を〓りて徐々に進歩するを以て適當なりとするときは我日本の銕道組織は今日おり凡千年の日月を消し紀元二千八百八拾〓年の夏に至りて始めて〓〓することを得るならん我々日本人の命は甚だ短し千年は愚か百年を待つ辛抱さへ覺束なきなり

我輩は米國通信者の寄書を一讀して徹頭徹尾其論旨に服すること能はず實に法外千萬なる議論なりと云ふ外にこれを評する言葉なきなり然れども又退きて考るに此通信者は決して日本の國〓を知らざる人にあらず日本に在留すること十有餘年にして數年前始めて米國に〓り今も尚ほ日本を顧みて第二故郷の感を抱く人なり餘人は知らず此人にして斯る議論ありとは餘りに不思議の事なりと彼れ是れと思案の中不〓案し付きたるは通信者の大主意たる必ずしも銕道の一事を無用なりと云ふにあらず銕道なり汽船なり電線なり軍艦なり皆日本の爲めに無用ならざるはなし今の優勝劣敗の文明世界、此世界は早晩必ず優者に〓せん今の日本人が後れ走せながら文明の競爭塲裏に乗出し一意に他の先進者を凌駕せんとする其志は甚だ殊勝なりと雖ども天下の運命は〓に定まりたり嗚呼遲かりし五十年遲かりし今更〓に鞭うつも到底及ぶべからざるなり氣の毒ながら今の千辛萬苦も他年一日遂に水泡に〓する時あらん水泡の辛苦に心身を役せんよりは寧ろ今より足下の心を轉じ逍遙として天を樂しむ工風を求むべきなりと云ふ謎にてもあらんかと疑はるゝなり我輩は敢て五十年の後を知らず況んや百年の後をや又況んや二百年の後をや我々日本人が今月今日世界の文明塲裏に競爭せんとする辛苦は他年一日果して其効なかるべきや否や固よりこれを今日に豫言すること能はずと雖ども兎に角に今月今日の世界の實勢に於て此辛苦の効あるべきを認め得る以上は所謂逍遙として天を樂しむ道に從ふこと能はざるなり歐米人に讓らずとは我輩が兼て信じて疑はざる所なれば我輩は敢て通信者の忠告に從はず飽くまでも我日本の文明進歩を急ぎて袖手坐眠我運命の成否を天に任ずるが如き卑怯の事なからんと欲するなり(畢)