「教導職を癈す」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「教導職を癈す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教導職を癈す

我政府は昨十一日を以て第十九號の布〓を發し自今神佛教導職を癈し寺院の住職を任免し及び教師の等級を進退することは總て各管長に委任しさらに又五個條の條規を定めたり其全文は本日の公報欄内に掲載しあれば就いて見つるべし

教導職を癈止のことは兼て世情に稱したる所にして決して今日突然の發令にあらず殊に近日は日本全國宗教の議論頗る喧しく單に有識者が筆舌上の論談のみならず無識固〓の宗教熱心家等が互いに自家の信奉する宗教を稱揚して他人の歸依する宗〓を罵〓し甚だしきは腕力に依〓して他の布教を訪〓する例甚だ少なからず斯の如き事態にして永く其流行を〓めず勢漸く激昻するに於いては甚だ〓に當る神官僧侶の如き〓〓〓〓〓又は〓〓〓説の學士等と違い概て皆〓〓たる勅奏判任の官吏たるが故に宗教の爭論に官吏侮辱の訴え起す等の大珍事を見ることもあるべきかと人々竊かに心痛の折柄なれば此發令の如き頗る時機に投じたるものと思わるゝなり

今此布達の文面を見るに自今神官にあれ僧侶にあれ教正、講義、調導など云う一切の教導を癈したりと雖も寺院の住職を任免し及び教師の等級を進退することは今後も矢張り政府の司掌する所にして唯これを各宗派の管長に委任し代辨處理せしむるに止まりたるものゝ如し布達第一條に各宗派妄りに分合を唱え或は宗派の間に爭論を爲すべからずとあり此一條は他の條々に記載する事柄と對照して一種異常の性質を帯び何が論達懇話の語氣あるが如くも思わるれども其意の在る所を察するに神官僧侶の身分より其教義上に關する一切の事に至るまで是迄は総て政府の直轄する所にして政府の威厳能く神官僧侶の不心得なる所業を制し得たりと雖も自今總て管長輩の支配する所と改まる以上は自然制御の行届かざる所ありて心なき輩は妄りに宗派の分離〓併を唱え又は異宗異派の間に爭論を爲す等の弊あらんことを慮りこれを未然に防ぎたるものにてもあらんか第二條に管長は神道各派に一人佛道各宗に一人を定むべしとあれども其但書に神道は數派連合して一人の管長を置き佛道は各派に一人の管長を置くも妨なしとして十分の〓地を興へたるは頗る其宜しきを得たるものならん何となれば眞宗の如き東西本願寺の両派に於けるも格別に奉する所の管長なくしては頗る不自由を感ずべければなり第三條に神佛とも管長を定むる規則は其教規宗制に由て定め内務卿の認可を得べしとありて管長を定むる法は銘々の教規宗制に由てこれを取極め唯内務卿の認可を受けるまでなり故に眞宗本願寺などにて法主を管長とし管長の職を世襲とする様の規則を定ることもあらばこれに認可を得ることもあらん第四條に管長は其立教開宗の主義に由り神道なれば教規、教師の分限及び稱號、教師の等級進退に關する條規、佛道なれば宗制、寺法、僧侶〓に教師の分限及び稱號、住職の任免教師の等級進退、寺院に属する文書實物類の保存に關する條規を定め内務卿の認可を得べしとあり追々此等の條規新定あるに付ては二十年前に僧侶神職の間に行われたる色々の名稱などの再興することもあるべく或は格式を貰うために京都に上るからとて檀家氏子に勸財する様の沙汰も始まることならんか第五條に佛道管長の輩は古來宗派に長たる者の名稱を取〓え内務卿認可の上これを稱することを得とあり是れ固より僧家の欲する所なるべければ自今〓々其由來甚だ古くして其〓却て世人の耳に新奇なること彼の公〓伯子男の類の如き種々の〓名稱の再興することもあらん以上今〓新令の大意にして其成跡を推察すれば神佛の宗教に關する制度は現行のものを改めて漸く維新以前のものに類似せしめ政府が直接に干渉することを成る丈け減少して神佛自家の取締りを銘々に工〓せしむることに〓きたるものゝ如く然り

前日の風説に依れば今回我政府が教導職を癈すると共に耶蘇教の自由信心を公許することもあるべきやの説を爲す者もありしが此第十九號布達の文面にては決して去る意味を含むものと断定すべからず唯神佛宗教の事にして從前に比し少しく政府より遠からしめたりと云う位に過ぎざるのみ耶蘇教を容るゝも又これを拒むも其邊の事には更に關係なき布達なりと知らるゝなり耶蘇信徒にして今日まで其〓籍薄中に宗旨は耶蘇教なりと〓加え得ざりしものならば今日以後も同様にして此布達のために何の變化もなからん又耶蘇信徒が今日まで耶蘇教師に葬儀を託し耶蘇教の儀式に從いて公然埋葬追善の事を爲し得ざりしものならば今日以後も同様にして此布達の爲に何の變化もなからん即ち耶蘇教の事には全く關係なき一の布達なりと云を間違いなかるべし然れども我輩竊かにこれを察するに我政府が宗教の事に關する改革は今回の一布達のみにして止まるべしとも思われず或は此布達を啓行者と爲して追々これと同一の主義精神を以て同一の方角に向い政府は念益神佛一切の宗教より遠かり各自をして自由自在に發達せしむる処置を爲すに至るやも知るべからず此等の事は固より未來の憶測に属し其果して然るや然らざるやは我輩がこれを今日に明知し得る限りにあらずと雖も我輩は唯今回我政府の処置を見て其方向の適正なるを喜び尚も同一の方角に向いて益進行するならんと信ずるのみ