「英國は親むべし疎んずべからず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「英國は親むべし疎んずべからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英國は親むべし疎んずべからず

軍に歐羅巴と云へば合一同体のものゝ如く思はるれども其實は然らず各國獨立の体を成して互に相對峙するのみならず中にも大國あり小國あり強き者弱き者其樣一樣ならず小弱は強大に制せられ強大は小弱を〓す歐洲に國力平均なる者あれども其國力平均とは各國互に其權を均うし大小其力を平同するにあらず唯強大と強大との間に嫉妬競爭の念斷へざるが故に小弱は其間に介して僅かに其獨立を存するのみ小國が自力以て獨立するにあらず僅かに大國他力の〓保に依て獨立するのみ大國がこれを〓保するや小國の爲めを計てこれを〓保するのみ例へば和蘭、白耳義、羅馬尼亞、「セルビア」の如き小國が大國の間に介して各安穏に其獨立を維持するは其國の兵力強きが爲めにあらず大國が其國を子として愛する實〓あるにもあらず日耳曼が和蘭、白耳義を〓呑せんとする慾心あれば復た佛蘭西がこれを押領せんとする慾心あり魯西亞が羅馬尼亞を押領せんとすれば墺地利が魯權の南漸するを嫉み慾心嫉妬と相戰ひ利と權と相爭ひ其際自から國力の平均を得る者なり、されば此國力平均は特に強大國と強大國との間にのみ行わるゝ者なれども其大國中にも自から差等あり其強國中にも自から強弱ありて其地位同一ならず隨て國力の權衡毎に其最大最強の者に偏〓し恰も全歐の中心となることなり拿破〓第一世の存生中は歐洲の權衡佛國の一方に偏じ拿破〓の一擧一動悉く歐洲全体に其影響を及ぼさざるはなし恰も佛國は歐洲の中心なりしも拿破〓の死後は佛國の權勢日に衰へ彼の普佛戰爭後は殆ど全く地に落ちたり反之〓後日耳曼は恰も旭日の昇る勢にて其威權は日に益強く今日歐洲國力の權衡は日耳曼の一方に偏じ日耳曼は恰も歐洲の中心なり「ビスマルク」公の一擧一動悉く歐洲全体に其影響を及ぼさざるはなし倫敦日々新聞の電報に又通信に公の擧動を載せざるはなし甚だしきは政治にも關係なき私事を掲載して世俗の歓を買ふ者あり英魯佛の如き其國強大ならざるにあらず其威權強盛ならざるにあらずと雖ども其威勢は特に歐洲外に在て歐洲内にあらず佛蘭西は「チユロス」に東京に「マダガスカル」に其威勢を振ひ魯西亞は「アフガニスタン」の地方より英領印度を覗ひ英吉利は今正さに〓及の處置に苦心する等此三大國は其國力を企く歐洲外に向け却て内部の政略はこれを「ビスマルク」公に委任して顧みざる者の如し公は特に歐洲内のみ注目して敢て其外を顧みず啻に此三大國の外攻政客を袖手傍觀するのみならず〓にこれを〓〓する者の如しなれば歐洲の全權は日に日耳曼に〓し東洋諸國の事は英魯佛の專にする所と爲る日耳曼は歐羅巴の大國にして英魯佛は東洋の強國なり後來或は日耳曼の商船が東洋諸國に徃來〓〓すること今日の英船の如くなることもあるべし其殖民地を亞非利加の海岸に拓く日もあるべしと雖ども目下予輩未だ其實勢を〓ざるなりされば我日本の如き東洋國の最も着眼すべき者は英魯佛三國の擧動にあり近頃日耳曼が歐洲の中心となり其威勢日に強きを〓て何卒其歡心を買ひ以て我國權を擴張せんと思ふ者あるべけれどもこれ大なる〓見なり日耳曼は歐洲に在てこそ強國大國なれども東洋の諸國に對しては殆ど〓なき者なりこれが歡心を得ざればとて何程の事があるこれを度外に〓て差支なかるべし固より大國の歡心を得るは願はざるにあらず大國にあれ小國にあれ他國の歡心を得て其交際を親密にするは誠に願はしきことなれども其關係の厚薄遠近を察せざれば近きに疎にして遠きに親しく却て國の大計を過ることありされば日本人が勉めて日耳曼の歡心を得んとするは決して不可なるにあらざれども其歡心を得んとして却て英佛の如き東洋に近密の關係ある諸大國の歡心を失ふはこれを策の得たる者と云ふべからず日耳曼は疎にして遠く英吉利は親にして近し日本人が日耳曼に厚き〓を〓て英人は如何の感を爲すべきや其心に必ず謂わん日耳曼は歐洲中の強國なりと雖ども其權未だ東洋に及ばず近頃日本人が頻に日耳曼の歡心を得んことに勉強すれども我英國の歡心を得ざる以上は更に其詮なかるべしと且英國の宰相「グラツドストン」氏と普相「ビスマルク」公とは其心事毎に相投せず恰も両雄睨み合の姿なれば英國にて自由黨在朝の間は兩國の交際親厚ならずして互に猜疑の念あるを免がれざれば我日本にて餘り日耳曼のみに厚き時は却て東洋に大關係ある英佛の疑心を生じ爲めに其歡心を失う恐あり近頃佛蘭西が東京を押領せし時も支那政府は頻りに日耳曼に依頼し或は日耳曼人を聘して其士官となす〓百方手を盡したれども更に其詮なく却て益佛人の憤怒を惹〓し遂に今日の事〓とはなれり固より日耳曼は東洋に關係なきのみならず却て暗に佛人の外攻政客を以て己れが利とする者なれば敢て支那に聲援することなく袖手傍觀唯其成行を見物するのみ最初若し支那政府をして勉めて英國の歡心を買わしめ軍艦銃砲一切の器具を悉く英國に注文して以て其氣勢を張りたらば東京事件に付ても大に英國の與論を惹〓し爲めに幾分の利を得しやも亦量るべからず英國の在朝黨は自由黨にして其平生に主義とする所は人類同權萬國對等にありと雖ども單に天理の同權論に訴へて英國の與論を喚〓すこと甚だ難し必ずや利の一點に訴へ慾の一方に依頼せざるべからず支那政府をして能く此理を會得し最初より英國人の利慾心に訴へしめたらば今日の如き耻辱を蒙らざりしことならん其軍艦を「リード」氏へ注文し其銃砲を「アームストロング」に依頼し其士官を英國に聘したらば當國の議院に於ても支那に對して好意を表し幾分か支那の冤を訴ふる手〓となりしことならん或人曰く如斯些細の事に依頼して國の大計を計らんとするは想像論の甚だしき者なりと予これに答へて曰く否然らず心波〓海些細の事よりして大事を生ずるは世の中の常態なり今これを實際に証せんに佛國が愈東京を押領して支那政府に對し償金の談判にも取り掛らんとする〓の風説頻なりければ支那政府は急に兵備を整へ止を得ざんば廣東河口を塞ぎ一切船舶の出入を禁ぜんとせし其際に英國の與論忽ち沸騰し大に佛國の政〓を〓議せしは何故ぞや佛國の所置天理人道に〓りしが爲めなるか其處置同權對等の主義に背馳するが爲めなるか斷じて然らず其原因は英國が自家通商の利を失はんことを恐れてなり即ち支那最後の政〓暗に英國人の利慾心に訴へしが故なり又前年日本が「リード」氏へ軍艦の製造を依頼せしにより氏は日本に對して大に其友〓を表し昨年の議院開會中にも兩三度外務當局者に向ひ日本の絛約改正は如何なりしや〓と質問せしことありしが故に自から世人の注意を喚〓し幾分か其改正を促がす手〓ともなりしことなれども此度の新造軍艦はこれを「アームストロング」へ注文して「リード」氏へ依頼せず夫等の差響にてもあるか氏は今年の議院に於て未だ一度も日本絛約改正の質問等を持ち出せしことなしこれ獨り「リード」氏の薄〓なるにあらず天下人心の通〓なれば敢て咎むるにも及ばざることなれども此一事を〓ても些細の事よりして一國の大事となる所以の理を知るに足るべし支那政府が最初より東洋全權たる英國人の利慾心に訴へざりしは誠に失策の極と云ふべし兎に角に歐洲を一体のものと〓認する時は測らざる失策を釀し厚かるべきに薄く疎かるべきに親しく親疎厚薄の度を失し遂に容易ならざる塲合に立至ることあるべし東洋第一の日本人たる者は宜しく歐洲各國の〓態を詳かにし深く其關係の輕重如何を案じてこれが方向を定めざるべからず