「我國の局外中立」
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時事新報に掲載された「我國の局外中立」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我國の局外中立
去月下旬佛清両國の使臣郎松事件に關して談判を上海に開きしより要償の金額に就いて双方意見を異にし次て〓籠の砲撃あり次て談判の破裂あり次て清國全權大臣曾國〓は上海を去りて佛國公使舘は北京を引き上げたり又一昨日來の通信に據れば福州の海陸既に戰端を開きたりと云い又其前に支那政府は〓籠占守の佛兵を逐わんが爲め許多の兵卒を台湾に派遣せんとしたりと云い又上海河口は大船の通路を止め河底に石船を沈めたりと云い又談判破裂の後佛軍は郎松を陥いれ進んで〓西省の鎮安に向かいたりと云えば佛人は恰かも〓角の勢を爲して左右より支那を〓攻する意あるものゝ如し斯くなる上は仲裁平和などの談は既に己に断絶したること明に知る可し特に彼の平和主義を以て有名なる李鴻章の如き内閣交迭以來大に其勢力を減じ過日又招商局の汽船を米國の「ラッセル」商會に賣却したるを以て言官の爲めに弾劾され朝野の人望を失って昨今其地位すらも頗る危殆なる次第なれば今日に當て主戰〓猛進の勢を制すること杯は思いも寄らず況てや慈〓皇太后に於いても佛國の所為を嚇怒せらるゝやの風説もあり殺氣今は支那全國に布遍して最早之を制止すること能わず此勢を以て次第に進み遂に各地方の乱戰に及びて其軍器を上下することとも爲らば四百餘州版〓洪大にして平常無事の際にても尚統制し難き支那國は乱麻鼎沸忽ち無政の修羅塲と變し土匪流賊所在に起り長髪賊の餘類杯も窃に其機に乗ず可く特に本年支那の北部は雨澤甚少くして両三月来天子親から雨を祈り宗室親王を祖廟へ遣わして〓〓願いたる程なれば飢饉の災、兵禍に〓り〓〓〓奪到る所に行われ悲鴻野に滿ちて人相食う惨状なしと云う可からず支那政府は其際に立ち外には兵氣方に張る佛軍と戰い内に顧みて土匪の乱暴を制し内憂外患を處分して其〓面を失わざる覺悟あるや我輩を以て之を見れば目下支那の状勢は累卵を以て汽槌に當らんとする危險ありと思わるゝなり
右の次第なるが故に佛清の談判既に破裂したる今日に於いては我政府は在支那の日本人を擧げて之を支那政府の保護に委す可からざるは申す迄もなく現に歐米各國政府も其在清居留地を保護して〓〓爰に應ずるが爲め各真支那海の軍艦を集めて協同聯合艦隊を組成し英國水師提督「ドウエル」氏を推して其司令長と爲したれば〓きに扶桑天城の二艦を率いて支那に赴きたる我松村海軍少將も其聯合艦隊中に加わりて目下上海を碇泊し英、米、獨、魯等の諸軍艦と萬一の變に應じて各其居留人を保護する見込なるが如し但し今度佛清両國の關係は初めより唯両國のみの間柄にして我國の如きは固より之に干興す可きに非ず故に両國〓其開戰を布告するに至りたりとて我國より之を見るごときは佛清共に先ず以て同様の友邦なれば公に局外中立を守り萬國公法上、中立たる責任を盡して之を傍觀する一事あるのみ左れば我日本より既に二軍艦は唯在清日本人を保護するが爲めに派遣すつものにして佛清の戰爭に關係するものに非ず即ち両今我國の地位は佛清に對して純然たる局外中立なりと雖も我輩を以て之を見るにこの局外中立を守らんとするに當ては多少の困難を生ぜざるを得ず元來局外中立とは文明國間に起りたるものにして其文明國の戰爭は政府人民と心を一にし内國の政治には變更なく唯其敵國と爭うものなれば之を傍觀する各國の人民も其開戰國の無政に投じて奇利を占め奇功を立てるが如き變〓の事相を見る可からず例えば歐洲の大陸にて佛獨の二國が互いに戰端を開くことありとするも双方の内治には自から〓綱あるが故に他國の人をして功利を其間に博せしめず人も亦取りて其機に乗ぜんとすることなく之を傍觀する英、露、伊、墺等の諸國をして其局外中立を守らしむ可しと雖も今度、佛清の關係は其一方の支那國に於いて開戰と同時に内乱を生じ天下事を好むものをして恰かも其無政に投じて大に爲す所あらしむる機會ある可きが故に今後の時勢萬一を憶測して過慮を運らすごときは我國の人民にても両國の海戰を相圖とし奇貨居る可しとて或は奇功を立てるが爲め或は奇利を獲るが爲め種々様々の目的を抱いて支那に赴くものなしとも云う可からず固より我政府にても佛清の宣戰とあれば必ず局外中立を布告して同時に其條例を定め両開戰國に對する義務作法を我人民に布告して丁寧に示〓することならんと雖も或は我國人にして目下彼の地に在る親戚朋友の安否を訪ねるがため又は隣国の珍事を見物するがために渡航を企る者もあらん殊に功名榮利に奔走する人情として何時しか支那行を思い立ち一葉の輕船に駕して早く己に五百里外に出で各其爲さんと欲する所を爲すものなきを期す可からず然るに支那國内にては戰乱正に〓にして混雑の餘り外國人とあれば其何國人たるを辨せず一概に之を誰敵視し彼此の區別を立てざるの有様なれば我國の軍艦は縦い支那海に在りと雖も從來在清の日本人も少なからず特に新若の日本人は何處より上陸して何處に奔走するやも知り難きが故に一二艘の軍艦にては自然不手〓わりの塲合もありて處々巡檢する其間に一方にては日、支人民の間に葛藤を生じ戰時殺伐の人情として針小の細事より一塲の大粉〓を惹き起すこともあらん要するに歐洲大陸の戰爭は皆な正則の戰爭なれば之を傍觀する隣国にても亦正則の局外中立を守ることを得れども今度佛清の關係は一種特別の變例なれば我國に於いても或は正則の局外中立を守り難き塲合に立ち至ることもあらん〓、是即ち我輩の憶測過〓する所なり人或は云いた佛清〓宣戰すれば我政府にては沿海の警備を嚴にし人民の外航を制す可く縦い之を制せざるも日本人は從來功利に怯なるが故に海外に去りて奇利奇功を求むる杯とは思いも寄らず先ず以て安心す可しとの説もあれども我輩の所見は之に異なり論者の説に沿海の警備を嚴にすれば人民外航の患なしと云えど三千七百里の日本海岸、警備何程に嚴なればとて外航の船を〓ふ餘地あるを免れず又日本人は何程功利に怯なればとて奇利奇功の爲めには海外に赴くを憚らず現に一両年前より我日本人が竊に朝鮮所属の〓陵島に入り其木材を彩伐したりとの風聞に由り我政府は特に官員を該島に遣わして其日本人を引き上げたるに非ずや〓〓たる〓陵〓其木材の利は固より言うに足らざれども我國の人民は奮て其地に赴きたり支那一旦開戰に因て無政の境界に陥いらば宛然九十萬方里の一大〓陵〓を現出するものにして其利は固より木材の此に非ず活〓敢爲なる日本人に眼より見たらば馬頭の米轟も〓ならざる可し左れば佛清の開戰は我日本國に取りて楚越の事に非ず仮令え些少の事件にても枝より枝を生じて何等の變劇を演ずるに至る可きも測る可からず注意に注意を加えても尚及ばざるを恐るゝ所なり固より我政府に於いても預め之に應ずる方略あらんと雖も差當り數艘の軍艦(若しも軍艦の繰合に都合もあらば尋常の汽船に陸軍兵を〓したるものにても用に適することならんと信ず)を支那に派遣し目下在清の二艘に差し加えて英、米、獨、魯等の軍艦と〓勢を張り今方に差し掛りたる佛清の擧動に對して各港在留の我日本人を庇護し事の全く鎮まる迄は完璧として之を保全する用意なくんば支那に對して局外中立を守ること決して容易ならずと思わるゝなり