「佛清事件臆測論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「佛清事件臆測論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛清の事件は今日既に破裂に及びて今日までの有樣は既に讀者の知る所なれども唯今後の

成行如何なる可きや、戰爭大なる可きや小なる可きや、長く持續す可きや速に落着す可き

や、又兩國何れの利なる可きや云々の問題は誰れの心頭にも浮ふ所にして我輩も讀者と共

に之を推考せんと欲すれども今日は以て明日を測る可らず况んや今回の事は一切軍機に關

するものにして其機變瞬間に動く可きが故に鬼~に非ざるより以外は之を前知するの明あ

る可らず然りと雖ども方今世と都鄙の別なく口を開けば必ず此事件を語らざるものなし、

之を語れば必ず今日にして明日を問はざるものなし、又漫に之に答るものも少なからず固

より臆測推量の言のみなれども人心の傾向する所無言に附するを得ざるものならん我輩も

亦其問答中の人なれば即ち爰に一説を記して讀者の高評を乞はんとす

抑も郎松の事變に就て佛蘭西の申條は本年五月十一日天津に於て佛艦の司令官「フルニエ

ー」と支那の大臣李鴻章と取替はしたる條約に從ひ東京屯住の清兵は六月六日同十六日の

兩日に退去する筈なり然るに同月二十日過に至りても尚去らざるが故に之を促したるに清

兵之を肯せず遂に砲戰に及て佛人の損害を被りたることなれば罪は支那政府の違約に在り

とて損害〓償の金額を申出でたることなれども支那政府に於ては全く意見を異にし天津の

條約は豫定條約にして確定條約に非ず云はゞ斯く斯くの條約を三箇月後に確定す可しとの

條約なれば其豫定條約の第二條に直に東京屯在の清兵を呼還すと記しあるも目下直にと云

ふ意味に非ず然るに佛蘭西より理不盡に其退去を促して事變を生したるものなるが故に若

し賞金となれば我方より佛に向て要求す可き筈なれども清廷にて察する所、是れは本來佛

蘭西政府の意に非ず其兵士出張先きの間違ならんと認定するが故に寛仁大慶なる清國政府

は償金などの事を云はず且佛蘭西公使は清兵退去の日限約束などゝ申せども此方に於ては

曾て之を知らず尤「フルニエー」が李鴻章と談判條約了り、去るに臨て其日〓〓事ども申

出たれども鴻章が固より之に應ず可きにも非ざれば双方より書面が取替はしたる事もなし

尚念の為に總理挺門より李鴻章の許へ尋ね遣はしたるに〓人より〓〓〓〓〓〓〓〓の〓も

〓〓にして〓〓に〓ずは〓て〓約等の不〓なしと申張り尚其次第柄は詳に記録して李氏の

答辨書をも添へ在北京諸外國公使に贈りて且つ云く清國は飽くまでも平和を主とし貿易の

ため又交際の爲に忍ふものなれば各國政府に於ても必す之を賛することならん斯くまでに

しても佛人が飽くことを知らずいよいよ乱を好て和を破るときは清廷に於ても最早止むを

得ず兵力に訴るの外なしと雖ども畢竟其本を尋れば佛人の好乱に原因するものなれば或は

兵乱のために各國人民の身体私有に損害を及ほすことあるも責に任する者は佛にして清に

非ず云々の旨を照會し又本月二十日曾國セン〔草冠+全〕が「パテノートル」と談判調は

ずして上海を去るときにも各國公使に書を贈り清廷は今回の事件に付き一意平和を主とし

て遂に米國公使の仲裁を依頼するまでに盡力したれども佛蘭西の意素より乱を執て動かず

談判の未决中妄に我台灣の鶏籠港に砲撃して無辜の人民を殺し又東京の方に於ては海防よ

り進軍する等其乱暴無状なる唯乱是れ好むものなれば清廷に於て平和を維持するの方便も

最早盡き果て此上は唯兵力に訴るの外なしと雖も畢竟この乱や佛の好む所にして佛の企て

たる所のものなるが故に在清各國人民に於て或は之が爲に損害を被ることあるも其責に任

するものは佛蘭西政府なり云々の意を述へたりと云ふ

右等の樣子を見れば支那人が平生の傲漫自大にも似す各國公使に對しては神妙に辭を盡し

て自國の苦情を訴へ自から哀憐の情を呼ぶものゝ如く又其戰乱に及ふの後損害の責に任ず

る者は佛蘭西なり清國に非ずと云ふが如きは萬國公法上に於て聊か後難を豫防するの意も

伺見る可し左れば今回支那政府が斷然佛蘭西の要求を謝絶して兵端を開きたるは一時無謀

の發意に出でたるに非ず廟堂自から熟議したる所のものあらんと思はる、又李鴻章が招商

局の船二十八艘を五百二十五萬兩に賣拂ひたるも名は商賣上の都合と云ふと雖ども其實は

决して然らず亦是れ談判破裂の内决意に出でたるものと思はるゝ其次第は近來支那に汽船

の數は漸く揄チしたりと雖ども積年西洋の學藝を賤しんずるの風にして上流の士人に航海

學など勉強する者少なきが故に汽船をば外國より買入るゝも之を運用する人物に乏しくし

て止むを得ず外國の航海士を雇入れ各船に三五名づゝの割合にて運用の事を司らしめ自國

の人民は唯船中の賤役を執るのみ斯る次第なるを以て一旦佛蘭西と戰艦を開くときは海運

の用も多く隨て招商局の汽船の如きは最も大切なるものなれども如何せん船の主管者たる

雇の外國士官が船を去るときは船は恰も無精~の姿にして海運の用を爲す可らず船にして

運用を爲さゞるときは啻に無用の長物のみならず海面に浮んで敵の眼前に在り熨斗を付け

て〓上するに異ならず是即ち李氏が决斷以て一時に米〓に渡し五百萬兩にても金にして之

を利したるものならん故に李鴻章が招商局の船を賣りたるが爲に彈劾せられたりなどは或

は〓〓せざるかと思はる今日と爲りては李鴻章も戰〓に〓〓が〓其一分を盡すや論を俟た

ず汽船賣却も其戰議中の一策なる可し