「佛清事件臆測論二」
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時事新報に掲載された「佛清事件臆測論二」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
本月二十三日oBに於て砲撃を始め支那の軍艦十艘の中八艘は打沈められて二艘は行方知
れず造船所も微塵に壞ふれて痕なし而して其時間は僅に三時間なりと云ふ至極無造作なる
次第なるが如しと雖ども爰に又臆測論を下さすときは自から説あり、最前李鴻章が招商局
の汽船を賣却したるも其實は雇の外國人を失ひ船の運用に苦しむが爲めなり然るに此差支
は獨り商船のみに非ず政府の軍艦にても外國海軍士の手を借るに非ざれば用を爲さず、即
ちoB碇舶の軍艦も外人去て精~空しきの船にして决して軍用に適す可きものに非ざれば
李鴻章が内實の心事には軍艦をも商船と共に賣却し度く思ひしことならんなれども戰に臨
て軍艦賣却も餘り奇なるが故に先つ之を差扣へ名は港口の警衛と稱して其實は唯oBのビ
ン〔門+虫〕江口に無精~の長物を繋ぎたるのみのことなれば佛艦の實力を以て之を撃つは
恰も空船を的にして射撃を試みたるに異ならず三時間の仕事も怪しむに足らずと雖ども唯
怪しむ可きは佛人か此八艘を分捕にせずして無uに打沈め造船局をも後日の利用を慮らず
して漫に破碎したるの一事なり、此八艦と造船所を佛人の手に収むるときは屈強の軍用を
爲す可きに〓の此に出でざりしは或は陸上の砲臺等より砲〓の劇しきなどに由り佛艦も少
しく狼狽したるには非ずやと思はる
oB既に守を失ふて佛人は全勝の勢を得たりと雖ども佛の利する所を尋れば一物の所得あ
ることなし敵艦は空しく海底に沈み造船所も兼て支那人の用心にて重要の品は他に移した
る由なれば無疵に所を占領するも利u少なかる可き尚其上に之を破碎したりとあれば一錢
の價なきものと云はざるを得ず、或は勝戰の勢を以て上陸し官物私物の別なく掠奪を逞う
して之を利せんが支那の開港塲の習慣として其塲に居て大に商賣を營む者は大抵皆他處の
商人にして例へば銀行は山西の支店にして織物店は杭州蘇州南京邊より出張と云ふが如く
本家は遙に遠方に在て開港塲は唯仮りの宿なるが故に其運動も自から容易にして今回の如
く開戰の評判も日久しき其間には早く用心して店を閉ぢ荷物を理して故郷の家元に歸りし
ことならんなれば富豪の家を掠めんとするも悉皆空屋に異ならず、富豪の出店を除く跡に
殘るものは如何なる人民なるぞと尋るに極下等の貧民のみにして甚だ殺風景なる有樣なら
ん
或は佛人がoBの一勝に滿足せずして轉じて廣東港に向ひ又は寧波港を攻るも其勝利は必
然なりと雖ども唯戰に勝つのみにして實物に利uなき有樣はoBの例に同じかる可し、然
りと雖ども支那の方に於て斯く重要なる諸港を蹂躪せられては我日本國に於て箱舘を失ひ
又長崎~戸を荒されたるが如きものなるやと云ふに决して然らず、當局諸港の慘状は實に
慘ならんと雖ども距離と數とを考の中に入れて視るときは首府を去ること幾千里外に在て
全國九十萬方里中唯一細部分の地を失ひ、人口三億七十萬人中唯幾百千人を殺すに過ぎず
中央政府に於て全く疼痛を感せざるには非ざる可しと雖ども其疼痛や大象の醫邊址に數點
の艾を貼するに異ならず其灸或は熱くして局部の麻痺を起すことあらんと雖ども支那帝國
の各處には土匪盗賊の行して一時其地方に中央の政脈を斷絶するか如きは誠に珍らしか
らず之が爲に政府の權力を輕重するに非ず國庫の財政を左右するに非ず北京政府は依然た
る帝政の中央たる可きのみ、斯る次第なれば此帝國を窘めて政府の呼吸を遏めんとするに
は其腦髓たる北京を衝くこと要用なりとは皆人の知る所なれども其道は天津に由らざるを
得ず、然るに之に通する一條の白河は巾狹く水淺くして大船を渉すに足らず、此天險に加
るに近年は河岸各處の砲臺も新式に築立てゝ頗る堅固なりとのことなれば佛軍勇なりと雖
ども容易に北京に近づくことは難からん左れば渤海の進行は之を斷念して專ら東南の諸港
を略取し徐々に陸行して深く内地に入り永日を期して首府に達するの策に從はんとする歟、
この策甚た行はれ難しと申すは沿道の人民は外兵役入と聞て皆恐怖し負擔して四方に散す
れば唯空屋無人の里を見る可きのみ(支那の人民は平時にても水旱の爲に群を成して諸方
に移轉するの習慣あり)或は其處に殘る者もあらんと雖ども佛兵も隨分乱暴にして土民を
虐することも多かる可ければ人心固より服せずして尋常に物を買はんとすれば其價非常に
貴く或は無法に糧に敵に依らんとするも其糧は不思議に空しくして得るに道なる可らず其
實際の状况は恰も野を清めたるものにして佛軍の數幾萬あるも其行程は幾日なるも糧食は
自から用意するものなりと覺悟せざる可らず尚其進軍の間に支那兵も之を防かざるに非ず
勝敗こそ覺束なけれ兎に角に之を防で勝たざれば即ち退くのみ一理追はれて二里退き、二
里追はれて三里退き、樣々に其行軍を妨る中には又或は側面背後より刧かさるゝの虞もあ
れば佛軍の困難は容易ならず其趣は前年第一世「ナポレオン」帝が露國に窘められたると
同樣の難厄と云ふも可ならん
故に支那人にして今回の戰議果して一時の發意に非ずして深く謀を運ぶしたるものならば
或は前記の如き有樣にはなるまrじきやと漫に我輩の臆測する所なり、即ち支那は佛蘭西
と鋒を交へて百戰百敗は固より自から之を期し或は一時多少の土地を敵に占領せらるゝも
兼ての覺悟として之に驚かず唯中央政府の在る所直隷の地方を固守して動かず百事舊時の
色を改めずして永日を維持するときは其間に佛人も疲れ又他の諸外國は貿易中止の久しき
に堪へ兼ねて仲裁を入るゝこともあらん柔能く剛を制し我れより求めずして却て外夷をし
て外夷を御せしむるの策なりとて之に安んするものには非ずや此策甚だ謂れなきに非ず或
は中たることもあらんと雖ども我輩が支那の爲に謀て特に恐るゝ所は其内國の紛乱に在り
北京政府が敵を恐るゝの其敵は佛蘭西にあらずして却て近く其蕭墻の中に起り土崩瓦解老
人の枯木一時に倒るゝが如きの禍はなきや又別に一條の心配は今回佛蘭西の事件に關して
其國朝野の別なく外國人を惡むこと甚しくして外情暗黒の群民浮浪の徒が佛、英、米、獨
の別なく唯これを敵視するの餘りに或は在北京諸外國の公使館に寇するが如き奇變なしと
云ふ可らず是亦大なる乱階たる可し今の政府は能く北京の守衛を巖にして各國の公使館を
保護し其人々を安全ならしめ又國中所仕に兵を出して外兵の侵入を防ぐの傍に内乱を豫防
し又其既に起りたるものを鎭壓するの勢力あるやなきや(畢)