「獨立防禦の法」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「獨立防禦の法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

獨立防禦の法

日本支那の關係は輔車脣齒に非ず支那帝國の存亡は素より以て日本國をして温ならしむるに足らず又以て寒ならしむるに足らず今回の事變遂に支那の敗北となるとも爲めに日本に輔車脣齒の援を絶ち國の安危を刧すの憂ある可らざるは勿論のことなれども唯、支那の敗北倍々以て西洋各國の侮蔑を増し東洋亦容易に與みし易しとの勇氣を以て他日東征の望を起さばその患害實に何ものよりも恐ろしからんとのことは昨日の紙上に大略論して復た遺す所無かるべしたゞ此上は我日本國は如何に自から處すれば可なるべきかを定め其定まる所に應してこれが道を開くは我國永日の大事にして亦目下急要の問題ならん盖し今日に於て東洋列國と稱する者は日本支那の二國を除けば他は殆んど獨立の名義を附するに足らず然るに佛清今回の交戦に支那彌々敗北とあれば東洋列國は倍々與し易きのみとて西洋國民の眼中復た東洋の一獨立國を見ざるに至るは必然の勢いならん此際に當て我國が能く之に處して國威を全からしめんとするには西洋列國をして日本は與し易きの國に非ず一種東洋以外の強國なりとの實際を知らしむべきこと第一大切の儀にして之を行ふには間斷なく進んで西洋の事物を採取し國を擧て文明の方向を取り又は内外の交際を親しむべしなど文時平日の談としては勿論肝要の事なれども今や東洋の戰亂將に激烈を極めんとするの折柄なれば今又緩徐として之を言ふに遑あらず急に臨んでは唯急に處すべし急に處するの道は一に我日本國に自衛の策を立つるに在るのみならん

國を立つるに武備を盛んにすべしとは今更言ふを要せざることながら等しく武備を張るに就ても緩急の別に依ては夫々その順序あるべきが故に先つ第一に日本國の地位如何を視、尋て自から備ふるの道を求むるは目下の急務と云ふべし先つ支那との關係は既に前號にも記したる如く我より一毫の援を求めず又求るに足らさるものと觀念し是迄は其海陸軍振作の樣などにて一時或は以て日本人の憂慮を惹きたる姿もありしが今日にては既に恐るゝに足らず去迚又恃むべきにも非ざれば之が爲に喜憂することを止め今日以降は只専ら西洋に對峙して國を立るの謀こそ緊要ならん而して其立國の武備陸海二樣の中海軍には鐡艦砲艦の固め素より以て嚴重成らざる可らずと雖ども今の日本の地位にしては萬一西洋と事あるとも遠く數十隻の軍艦を繰出して西洋の海岸に砲臺にこれが攻撃を試むるなんどのことは先つあられ間敷き次第にして一朝開戰の際には彼の軍艦を我沿海に引受けて之と雌雄を決すべきの覺悟無かる可らず故に我國の兵〓は進んで他を攻むるよりは坐して自から防くの道を取り自から防くに餘力あるに至らば其時には數萬里の遠洋にまで懸軍長驅すべきは誠に國の光りとなりと雖ども今日の急務は沿海の防禦を堅固にするを主とせんこと我輩の希望する所なり我輩の眼前には既に支那の幻影を見ず唯西洋各國に對峙して與し易からざるを人にも知らせ自からも恃まんには軍艦の外に水雷火船の備へを設くること必要ならんと信ず尤も軍艦と水雷火船とは攻防の實地に臨して孰れか有力なるやそは深くも我輩の知れる所には非ずと雖ども近時攻防戰争の器具の日に改良變革する趣を察するに海強國の武備には水雷火船の用實に缼く可らざるものなりと云ふべし我輩は護國に軍艦の必要なるを知るのみならず其水雷火船と與に両立して偏に陥らざらんことを冀ふと雖ども爰に日本國の防禦を嚴重にするとの主點より見るときは特に水雷火船の備へを張るは捷徑にして大効ある者と云ふを得べし蓋し水雷火短艇の利益とする所は種々ならんなれども第一には製作の費用廉にして堅固なる一艘の軍艦を作る代價ならば以て六十艘の水雷火船を作るに餘りあるのみならず一艘の軍艦を取圍むには〓五艘乃至六七艘の水雷火船あれば充分にして且つ甲鉄艦なれば其竣製に概ね三四年乃至六七年を費やすべきに水雷火船は六箇月にて既に其功を竣し用上の運轉は太だ自在にして暴風怒濤も恐るゝに足らず敵艦の砲撃も憂ふるを要せず特に其速力の如きは近時改良の者なれば充分に甲鉄艦をも凌くべしと云へり尤も詳細なる利害得失に至りては之に從事する専門の士あるあり我輩未た其實際に通せずと雖ども近時水雷火船の用大に進歩して將に甲鉄軍艦をも凌駕せんとし就中沿岸の防禦に用ゐて最も倔強なるの事實は世人も既に知悉する所なれば日本國の防禦には専ら此水雷火船の用を盡し内海港口は申すに及はず北海の灣、西溟の濱到る處に之を備へて寄らば打たんの覺悟を定めなば一朝事あるの際にも果して與し易からざるの力を示す亦容易ならんのみ今堅固なる一艘の軍艦を製作するにその費を二百萬圓となし此艦十艘を作るの費用二千萬圓を以て更に水雷火船を作らば以て六百艘を得るに足り且つ五艘の水雷火船を以て一隻の軍艦に抗し得るものとせば此六百艘は以て百餘艘の來攻軍艦に應戰するに足るべき計算なれども(是の計算は佛國人「シヤルム」氏の測定なりと云ふ)實際の事は或はその半ば丈なりと見ても沿岸の防禦に水雷火船の有用なること尚且つ知るべきなり日本帝國の海岸三千七百里、環らすに一面の海洋を以てし攻むるも防くも唯一に海洋あるのみなれば國の四面圍むに水雷火船を以てし別に鉄艦をして東西應援その緩急に備へしめなば萬一の事變ありとも亦何ぞ憂苦する所あらんや既に前にも述たる如く佛清の事その運命の歸する所は支那の敗北にして支那の敗北とは乃ち東洋與し易きの端を開く者なれば我國にても其〓に鑑みて大に警誠を加へ何時如何樣なる事變の外國より墜落し來るとも我には既に備ふる所ありて泰然坐して之を待たば倉皇狼狽して支那の爲をなすことなく巍然として國を保つこと易し即ち西洋の鉄艦恐るゝに足らず我水雷火船以て之を破碎するに足るべしとの信を得るものなれば信を得て我民心も亦始めて安し、安心よく勇氣を生し乃ち後圖に着手す可きなり