「清廷の忠臣は君命に違ふ可らす」
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時事新報に掲載された「清廷の忠臣は君命に違ふ可らす」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
清廷の忠臣は君命に違ふ可らす
國人皆な和せんと云はゞ則ち和せん戰はんと云はゞ則ち戰ふを可ならんと雖ども和戰は國の大事にして宗社安危の係る所なれば國人の所見も亦隨て多端にして一方にて一戰敵氣を挫き以て我勢を張る可しと唱ふれば一方にては輕擧事を誤り猪にして介するの笑を貽す可らずと主張して其勢殆んど相下らざることなきに非ず是時に當て之れに處するの法は如何、和するも戰ふも共に國人總體の意に非ず去りとて双方歩み合ひの姿と爲り和するが如く戰ふが如く姑息糢稜恰も和戰の中間に立つことも六ケ敷ければ一刀和戰を兩斷して天下人心の歸嚮する所を示さゞる可らず西洋諸國にてこの兩斷の力を有するものは輿論にして之を形に顯はしたるものを多數と云ふ例へば和戰の兩議に關して百人の論者ありと假定せんに主戰五十一人にして和戰四十九人なれば主戰論者一人の多數は能く他の和議を壓服して國人の輿論を一定するが如し之を東洋人の眼より視れば多數を占めたるものは得々として其説の實行に盡力するも其多數に制せられて言聽かれず謀行はれざるものは怏々として不平を抱き窃かに其反對説の齟齬不都合を祈るならんと思はるべけれど西洋國人の習慣として東西反對の意見にても與論の軍配一方に揚れば國人の總體は即時に其軍配の指す所に歸嚮し決して自説の秘訣を恚むものなきのみか今は則ち曩きの反對説に左袒して其實施に盡力す乃ち西洋諸國にて國人の輿論國是を定め代議政治圓滑に行はれて互に相?挌することなき所以なり東洋諸國にては之に反して國の大事を決するものは唯一の君命あるのみ綸言は汗の如く天子に戯言なし君命一出國是定まれば紛々囂々たる天下の衆説忽ち其一正に國是に歸して復た前議を顧みるものなし試に其古事の一例を示さんに昔し三國鼎立の際曹操大擧して呉を討し江陵を下て東するに當てや舳艫千里旌旗空を蔽ひ呉廷の群臣色を失ふて曹操を迎へんと云ふものあり周瑜〓ち戰を主として一時の廟議紛々たりしが孫權劍を抜て案を斫り敢て操を迎へんと云はんものは皆な此案の如くならんとの一言に滿朝の議論は戰に歸し前議を執りて復た亢〓の辭に逆ふものあらざりし蓋し當時呉廷の輿論は寧ろ操を迎ふるに傾き投票を以て多數を決せば周瑜の戰議却て敗を取りしやも測られざれども呉主の一言至嚴にして群臣謹んて之を奉し赤壁の一戰周郎をして名を成さしめたるは君命能く和戰を決して人〓〓〓〓を示したるものと云ふ可し
西洋諸國にては輿論を以て國の大事を決し支那の如きは君命を以て最後の斷案と爲すことは正に前陳の如くなれども我輩は爰に其両者の利害得失を言ふことを欲せず唯兵馬火急の事抔は之を斷するに君命を以てして却て簡便を覺ふることもあらんと雖ども其邊の餘談は姑く擱き輿論にても君命にても一旦發して國是と爲らば徹天徹地終始一貫唯當さに之を斷行するの一事あるのみ或は其君命なるものが眞實君の命に出てざるときは之を遵奉するも亦不愉快なり抔との考もあらんと雖ども君命は大抵君より出てず別に其君命を作るものある可けれど之を作るものは則ち時の輿論を制したるものにして其輿論を君命に顯はし得るものなり輿論顯はれて君命と爲らば人臣の本分として謹て之を守る可きのみ徒に私見を持して中道より大事を破り天下の人心を沮喪するが如きは其心術の如何に拘はらず支那の如き國柄に於ては之を忠臣と云ふ可らず聞く所に據れば清廷にては今度更に上論を下して目下佛國と開戰中なるを以て償金の事に付て上書するものは何人を問はず嚴刑に處す可しと公達し之れと同時に六名の総理衙門大臣は其職を免せられたりと云ふ蓋し清廷が此上論を發したるは佛軍南方に陸梁し其東洋の艦隊は舳艫福州の港内に接して一戰八艘の清艦を撃ち沈め四百餘州風鶴の警なきに非ざれば孫仲謀斫案の爲に?ひ敢て諌むるものは斬らんとの決心を表し支那人心の嚮ふ所を示して萎摩の患を未然に防かんとするの廟算ならん而して同時に免職されたる六名の大臣は君命の重きを知らざる歟、或は其君命の出處に就て不平ある歟、今尚私議を固執して西太后の逆鱗に觸れたるが故に太后は物情を鎮するが爲め直ちに之を罷免して廟議の確乎不抜なるを明かにしたるならん西太后の嚴命如此し、此時に當て愛親覺羅氏の忠臣と爲り二百年來煦育の恩に報せんと欲する者は如何か其身を處すべき、一心不乱戰を主として其耻とする所を耻とし國内の人心を振作し君命の〓を負ふて共に與に巨象奮進の威を示し佛人が其智は及ぶ可きも其頑固執拗の及ぶ可らざるを見て自から屈して和を乞ふに至るを俟たんとするか或は傍より和議を煽し主戰の廟謨を動かして優柔不斷の政略に出てしめ情見はれ力屈し人心をして萎爾復た振ふ能はざらしめ敵國の云ふが儘に從はんとするか二者の中必ず其一に居ることならん又彼の罷免の六大臣は我輩未た其名を聞くことを得ずと雖ども盖し初めより和議を持せしものならん我輩は曩きに和議家の老魁なる李鴻章が國事の變と推し移りて既に主戰論中の人と爲り招商局の所有物を賣却したるが如きも其戰議中の一策なりと聞くものから李氏の智、最早君命の動かす可からざるを知り、之を動かすの得策ならざるを知り、又其身を潔くするの忠臣の爲に非ざるを知り、今日の勢一戰の巳む可らざるを知りて同論の士と相率ゐて策の此に出でしならんと臆測したるが彼の六大臣の此に出てざりしは李氏の能力も之を化するに足らざりしが故か或は李氏自身も暗に六大臣の現に爲せし所を賛成するの意あるものか我輩は今日清國の大難に當て其名臣の出處進退如何を見んと欲するなり