「攻むる者防く者(昨日の續き)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「攻むる者防く者(昨日の續き)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛國艦隊の力若し充分なれば佛軍一擧して北京城下に迫るの軍略に出でんことは勿論なれども如何せん目下の現力にては其船首を北にし渤海灣に乗入るゝ能はざるべしとは既に前號に於て述べたる所にして爰に又他の一説に提督「クルベー」氏は其全力を盡し呉淞口の支那砲臺を打破し揚子江に遡りて鎭江より更に南京に攻入らば其勞は北京を衝くよりも易くして功を收むる遙に大なるべきが故に其略必ず此に出てんと云ふ憶測もあり是も佛軍の力さへ充分ならんには甚た以て無造作のことならんと雖ども憂ふる所は佛國艦隊目下の力尚之を爲すに足らざるの一點なり左すれば佛國より大に援軍の到着なき間は此事も先づ行はれ難き一策なりとして其推測果して事實に大差なくは佛艦隊は何れの塲所に今後の攻撃占領を爲すべきや我輩は先づ今の福州若くは其近傍厦門邊の地を指して之に答へざるを得ざるなり蓋し沿岸随意の塲所を荒し廻れはとて支那國には殆んと何たる苦痛もなく而して佛軍はその力を徒損するまでに過ぎざるべく又佛の將帥兵士の身として考ふるも徒に敵の沿岸を荒し廻りたる許りにては何たる功名手柄ともなるまじきが故に却て其力に於て與し易き敵の要害地に狙ひを定め既に攻撃に着手したる福州を占領して其地方一帯を佛の本陣となし以て後闘を謀るときは將卒の分、本國に對して忠義ともなり名譽ともなり佛國に取りても乱暴狼藉に敵の沿岸を荒さんより其一地を占領するこそ世界に對して國の光ともなるべし又事實、利益上の點より見るも福州の如き一要害の中心を奪ふは甚た得策たるに相違なかるべく旁々以て福建の一帯の沿岸に佛軍の力を致すは多分らしきことなりと云ふべし左れば去月二十三日の砲撃以來佛の艦隊は依然として?江の近邊に出沒して他に去ることをも爲さず今回「クルベー」提督は敵地沿岸随意攻撃の全權を得たりとは云へども提督の策は必ず福建の沿岸にその随意攻撃の區域を限り置て花々しき占領をなし此處に功績を本國に盡さんとするは亦適當の順序なるが如し然るに支那政府に於ても多分此に見る所ありてや専ら福建の海防を嚴にし曩には翰林院の學士張佩綸海防事宜の特任を帯びて態々福州に來り次て支那第一の老將、軍機衙門の大臣なる左宗棠は福建の軍務總督として派遣を命せられ今正に出發の途にも在らん歟、然して福建浙江の兵備と云へるは平時にても總督、巡撫、水師提督、其他諸鎭の兵併せて六萬餘ありと聞え其上交戰以來新募到着の生兵も多かるべし固より其兵士の弱くして兵器の鈍なるには相違なかるべしと雖ども寡は以て容易に衆に敵すること難く支那兵百千人の殺傷は固より其平氣となす所なるが上に中にも恐るべきは今度新任の老將には湘勇とて湖南の勇兵凡そ一萬餘の手兵もありて一同西洋新式の「スナイドル」銃を揃へ練操も可なり行届き支那兵師中、流石は左老將の手兵ほどある由にて此手兵は今回左氏と同道にて福建へ下り福州其辺一帯の地を守ることなるべし一萬餘の湘勇、人は勇ならすとするも器械は西洋新式の鋭利なるあり佛軍に取りては決して弱兵なりと侮る可らす又左宗棠が去年両江の總督たりしとき長江沿岸各處の地に漁〓とか稱して舟を搖し水を潜るに熟練なる勇〓を募集して其數三十萬と號する者もあり水兵に陸兵に左宗棠が其上に在てこれが軍務を總督し彌々決死して佛軍を迎へなはその勝敗は何れに在るべきや之を言ふこと甚た難し一萬の湘勇獨り能く闘ふのみにても其器械の鋭は多少佛軍に當るに足り敵と戰て勝敗相半することあるのみならず時機に依ては偶然に勝を制して一時佛軍を辟易せしむる無しとも言ひ難ければ支那兵は倍々以て勝色に乗ずべく既に連戰連敗の今日にても動もすれば華軍大勝を奏したりとて大に誇張する支那人のことゆえに或は九敗中僅か一勝を得るか又は運好くして佛軍を窘ましむる等の事もあらば何程までに得意になりて勇氣勃々故さらに戰爭を挑むに至るべきや殆んどその際限もある可らず然るに佛國に於て若し右樣の敗北ありて在東洋の三色旗その旗色を汚されなば豫て東洋に威を振ひつゝある佛蘭西共和國の名義榮譽上決して之を黙々に看過し得る道理なきが故に大に艦隊を艤して遂に支那を降參せしむる迄は戰爭を持續せんとの覺悟を定め支那の驕傲と佛國の勇侠と互に相衝當して譲る所を知らざれば東洋干戈の爭の延て久きに彌るべきは今日より預め睹易きの理ならん今日交戰の烈しからざる間なれば仲裁等にて破綻を彌縫するの道なきにしも非ざるべしと雖ども支那の一勝は益々その傲を高くし佛の一敗は愈々その侠を增し既に斯くなる以上は兩國の戰爭は兩國共に騎虎の勢となりて遂に支那の敗北するまでは始末の附かざるに苦むことあるべし斯くては東洋の不幸、支那最後の慘毒も惻然思ふべき者なれば早く此妖気を散らして平和を祈らんには佛清の戰爭氣の毒ながら支那の方不利と爲り左宗棠も又その湘勇も顔色なく引戻して、爲に北京政府を畏縮せしめ自から其驕傲を挫く折抦恰も至當の仲裁者を得て媾和の談判を申入れんこと實に希望に堪えざる所なり我輩の心事は無偏公正にして孰れにも私すると云ふに非ざれども黯澹東洋に漲るの妖気を自今永く密ならしめずして和平の空氣を清明ならしめんとするの點より考れば支那人の不真面目は傍より心配するに遑あらず事勢の結局に於て勝算なき者をして僥倖の小勝利に醉はしむるよりも寧ろ初めより勝つことなきを祈る者なり(畢)