「三色旗黄龍旗福州の野に戰ふ」
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時事新報に掲載された「三色旗黄龍旗福州の野に戰ふ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
三色旗黄龍旗福州の野に戰ふ
本月十六日佛國軍艦三千の兵を上陸せしめ福州の金皮を攻撃し支那兵敗走して死傷最も多しとの電報は我輩之を在上海特派通信員の手より受取り尋て尚ほ諸方にも其事の確否を問合せ、詳細の報は未た得ること能はざりしと雖ども兎に角に金皮の攻撃は事實ありたる事柄にして其報道は取敢へず昨日より今日に掛け既に讀者諸君の觀覧に供したりき又是より前、我輩は佛國水師提督「クルベー」が本國政府より支那沿岸隨意攻撃の訓令を得たりとの來電に接し佛國艦隊今後の方向は軍略の懸引に係はり豫め之を察するは難しと雖ども佛軍功利の點より見るも又は全体の勝算上に照すも福州地方一帯の地を占領して根據となすならんと想像し未來のことながら聊か我輩の臆測論を開陳して諸君の高評を仰ぎたるは僅か此間の事にして今日これを上海よりの來電即ち佛軍三千金皮を攻撃したりとの報に對照すれば今後佛國艦隊の擧動如何に關しても亦其大体を預知して將來の實際に大差異なきこともあらん歟と思はるゝなり
大將?外に出ては軍の進退その意中にあるべきは勿論にして若し逐一、本國政府の指令を待ち居たらんには機會を失し掣肘に苦み其運動自由なること能はざるが故に支那遠征佛蘭西艦隊の司令官たる「クルベー」提督に於ても本國より敵地沿岸隨意攻撃の全權を委せられずしては始終叶はぬ儀ならん是れ佛國政府が提督に隨意攻撃の全權を與へたる譯合なりと雖ども其全權は乃ち軍に在る提督自からの全權にして爰に攻撃の區域を福州一帯の地と限り其地を陥れて占領の本據となさんとする佛國艦隊の運動は亦た此全權の結果なりとして見るべき者ならん歟盖し支那沿岸の隨意の塲所を攻撃するの全權を得たりと云ふときには提督は何か支那の南北洋随意に到る處を荒し廻るの自由を得たる樣なれば此より後佛國艦隊は乍ち出て乍ち沒し變幻の軍機を取り支那をして其頭上臀邊何處とも知れず唯、空中落雷の電撃に威ぢしむるならんとの意味に解する人もあらんなれども我輩の所見は之と大相違にして隨意攻撃の全權は既に提督が着手し居たる福州占領の事業に更に尚數着の強力を與へたるに相違無からんと信するなり又過日來の風説にては佛艦は更に台灣に向ひ同嶋一面を占領して經營の根據となすならんとも云ひ佛國より新着の戰艦は同島に向ひ發航するなどの取沙汰ありしより見れば或は佛國は福州港なる一個處の外に台灣をも占領せんとの内心あるなからんと一時は餘所にも想像を轉したるに去る十六日福州に佛軍攻撃との電報突然に飛來し我輩をして先の餘所向きの想像を打消し佛軍の擧動果して然るかとの念を起さしめたり尤も台灣嶋も福建省の一地福州港とは近く對岸に相峙し洋上の良塲地なるが故に佛軍が隨意攻撃全權の鋭鋒を福州一帯の地方に萃むるの今日、台灣もその數の中に算入してあるべきは然るべき順序なりとして見るも今より後佛軍の全力を注く所は福州一帯の地、特にその要害地なる?江の邊に在て存すること稍明なりと云ふべし
右の如く佛軍が彌よ福州を狙ひの塲所と定め其力を此處に差向くるに當り勝敗前途の算如何と尋るぬに是れ甚だ難問題たらざるを得ざるなり最初去月の廿三日佛艦始て福州を砲撃して以來去る十六日までの交戰には支那方毎度敗北して三色旗太だ色めく有樣なれども之を推して今後佛軍の勝算も亦皆此の如くなるべしとは想像し難きなり何となれば福州の軍務總督左宗棠が倔強なる湘勇と與に未だ福州には踏込まざるべければなり尤も高が支那に聞こえたる一老將のことなりと云はゞ孫呉一騎打の古戰法より外は知らぬ大將の如く思ふ人もあるべしと雖ども或は就て其軍略の実際を見たらば古しとは云へ老功は侮る可らず其懸引案外に巧妙にして佛軍窘ましむる等のことなしとは云ひ難からん特に西洋式の軍器ある湘勇と與に忠の爲め義の爲め鞠躬盡力斃れて後に已むの決心にて佛軍を迎へたらんには佛清合戰の勝負に於て何樣なる意外の珍事あらんも知れず故に目下福州を守り居たる支那兵はこれと比較すれば葉武者も同然にして是迄佛軍の連戰皆な勝利とあるは乃ち此葉武者を打破りたる無造作の勝にして自今爾後、左老將の兵亦同然の葉武者ならんと侮り過去の勝に乗して浮かとその鋒を交へなば佛軍も或は意外の失敗なきを期し難し目下の姿にては佛國の艦數は少なし兵卒は乏しと云ふと雖ども兎に角に総督指令の任に當るには「クルベー」提督の在るあり然るに支那方にて之と防戰する大將には未だ左したる名將もなく彭玉麟、劉銘傳、或は曾國?なんどの諸老將は今は要もなき廣東、台灣又は南京等に居りて目下危急第一の福州には張佩綸なる翰林院の學士輩のあるのみにては縱令ひ張氏が文武兼備なるにもせよ他の彭、劉、曾の諸將に比して甚しき前後不揃ひの手配なりと評せざるを得ざるなり然るに今や清廷一等の老將たる左氏任を福州に受て軍務の総督に當り今正に出發の途に在るべければ彌々到福の後には前後不揃ひ極まりたる福州の手配も漸くその平均を得、佛の勇提督、支那の老將軍西東相對して彌々決戰するあるに於ては其一勝一敗の趣も一層花々しく轉た觀る者をして大に痛快を呼はしむる所もあるべし我輩は今日福州の支那葉武者が容易に敗走したるを見るに滿足せずして更に數歩を進め「クルベー」提督と左將軍宋棠とが福州の地方に大に鏖戰するの快事を俟ち居る者なり
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大藏省證券
我政府は一昨廿日を以て大藏省證券條例十二條を發布したり抑も此大蔵省証券(英語にて「エキスチエカー、ビル」と云ふ)てふものは條例中にも明記する如く國庫出納上の一時の便用に供するものにして極めて期限の短き一種の利付公債證書なり國庫出納上何故に斯る公債證書を要するやと云ふに例へば我日本政府の歳入七千六百萬圓此内地租四千三百萬圓酒造税千七百萬圓即ち歳入全額の十分の七は地租と酒税とより成立つものなり然るに地租も酒税も大抵皆冬季に収納するものなるが故に此際國庫の金は入るを知て出るを知らず金幣庫中に充滿して勝けて用ふべからざるなり氷雪融解春草野に滿ち漸く夏季に近つくに及びて國庫の出納は冬期の反動を感し出る費用あれども入る租税なく甚た困難を極むるに付豫備札と唱へ別に貯へ置きたる紙幣を取出して一時これを流用し焦眉の急需に應するとか聞けり從來我全國の理財上に一年両度の變動を起すは斯る事情あるに職由するなり冬は全國流通貨幣の大部分を一時に奪ひ去りて國庫の中に錮封し爲めに民間の金融を逼迫ならしめ夏は民間の金融緩漫にして既に流通貨幣に富むの折柄又新たにこれに續くに巨額の通貨を以てして紙幣國内に汎濫するの災いあり今大藏省證券は斯る理財上の災難を除去するの用に適す則ち夏季國庫逼迫の時に際して數月の後を期して支拂ふべき公債證書を賣出し民間に餘りある所の金員を借り來りて隨時の國費を辨し冬季國庫充實し民間の金融逼迫するの時に到りて曩きに賣出したる公債證書を賣戻し餘る國庫の金を以て不足の民尚を潤すべく復た前日の一虚一盈の苦痛を忍ぶの要なかるべし斯る理由なるを以て大藏省證券は國庫出納上兼ては全國理財上に必要欠くべからざるの品物たるなり
民間資本家の身に取りて大藏省證券を買入るゝの便は其支拂期限の甚た短きに在り商業工業者が運轉する資金の中其幾部分は時の都合に依りて一時閑却せらるゝことありこれを銀行に當座預けにすれば利子を産まずこれを以て尋常の公債株券等を買入るれば折角資金入用の時に至りてこれを金に換ふるに差支えて便利を失ふ依てこれを利付の大藏省證券に放銀し置けは幾月の後資金入用の時に至りて約束の通り金に換はるべく或は不時に金員入用の事あれば其證券を銀行等に譲りて金を調ふること最も容易なるべし故に大藏省證券は尋常の公債より利子の割合低きにも拘はらずこれを望む者甚た多るべし
大藏省證券の世に現はれ出てたるは財政整頓事業の一部分として我輩は甚たこれを悦ぶなり此次ぎに我輩の最も聞くことを希ふものは紙幣交換の布告即是なり目下其準備は何れの邊まで整ひ居るにや