「舟山島」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「舟山島」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

舟山島

佛国が臺灣を占領するの念を廢して更に一層重要なる塲所を略有せんとするの計畫は近來の電報に據て分明に之を窺ふことを得たり故に目下首要の疑問は清國沿海何の塲所か以て佛國の水師を運動するの根據と爲すに適するやとの一事に在ること疑なし何となれば佛國にて鋭意支那と交戰するの志あらば其水師は必ずや清國沿海の地を保有せざる可らざること理の當然なればなり然るに彼の柴棍は其距離頗る遠きに過ぎて之を實用するに適せず海南島も亦同樣にして佛國水師の根據と爲すを得ざるなり我輩の聞く所に據るに佛國首相「フエリー」氏は昨年中佛國は支那の條約各港を封鎖し或はこれを砲撃することなかる可しと約言したりと然るに過日佛艦が福州の砲撃を行ひたるは或は其言を食みたるが如くなれども八月二十三日佛清兩艦隊の水戰したる彼の羅星塔碇泊所は所謂條約港と稱す可き塲所に非ざれば右の砲撃は決して破約の擧に非ず羅星塔碇泊所にして果して斯く福州港の貿易と相關係するの地に非ざる以上は英國とても亦異議を其間に挿むこと能はざる可し佛軍は?江前後の戰争に於て先つ清艦を撃ち沈め金皮?安の砲臺を毀ち又支那帝國の兵卒を駆逐したるにも拘はらす未た地形最勝の據處を得ずと雖ども首尾よく其計畫を成就せんとするには清國沿岸の塲所に於て一土壌を保有すること最必要の事ならん

さて又近日佛国が舟山島を占領して之を略有せんとするの計畫に就ては昨今我輩の手に接したる海外よりの来信中に〓晴告助言するの所あり抑も舟山島と云へるは寧波の東五十英里、鄭河の對面に横はる群島中の最大なるものにして其長さ二十英里幅員十六英里に下らす且つ其地勢本陸に接し最も揚子江口に近きを以て之れを臺灣に比較すれは一層緊要なる塲所にして其利害の關係する所も亦一層重大直接ならざるを得ず特に舟山の〓〓は最も火〓〓の〓〓に〓〓〓〓の一〓か據て之を守〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓國のみにあらず殊に英國の如きは既に先鞭先約の權理有る者とす其來歴は左に揚たる所の如し

英國東印度會社は千六百年代の末に製造所を舟山島に構へたれども千七百三年に至て同島の貿易は廢絶に歸し爾後百二十五年間は或は巡遊視察の爲め或は永期航海の爲め時に支那海を周航せし二三艘の外國船が之を巡視するに過ぎざりき其後千八百三十九年英清敵意を生したるを以て英兵舟山を攻撃して遂に之を略有したれど未た幾ならずして退去したり然るに同四十一年に英國水師提督「パアカア」氏は夏に遠征軍を率て香港より北上し、歳の八月二十七日に厦門を略し十月一日進んで舟山を占領し勝に乗して其首府定海を侵撃したるに支那人支へず其刧略する所と爲れり既にして英兵は再び同島を引き上けたれば支那政府にては向後同島の外侵に備ふる爲め三將軍をして兵一萬を率て舟山に赴かしめ同島内に於ても亦兵勇を募集したれども英兵又來て攻撃占領すること初の如く爾後數箇月間は同島に駐營したり其後千八百四十二年八月「サー、ヘンリー、ポツチンガア」が支那政府と南京にて取結びたる有名の條約第十條には英兵は支那政府が條約通り償金を拂ひ且つ港塲を開くまでは「クランシユ」(厦門)及び舟山を保有す可し云々とありしが爾後四年にして英兵は同島を引き上けたり此時に當て英國の香港太守「サー、ジョン、ダヴヰス」は右に就き清國欽差大臣と商議し英國は他國の侵撃に對して舟山を保護する可しと約したり右商議中最要の文集は左の如し

第三條英國皇帝陛下の兵舟山を引き上くるの後清國皇帝陛下に於ては其他の外國に向て決して舟山を譲與す可らざることを約す

第四條英國皇帝陛下に於ては他國の侵撃に對して舟山及び其属島を保護し舊の如く之を清國の所有に復することを約す

以上の所記に附け加へて尚ほ爰に記す可きの要件は千八百六十年に暫時ながらも英兵が又々舟山を占領したるの一事なり抑も千八百四十六年英清商議の諸箇條を案するに當時「サー、ジョン、ダヴヰス」は舟山を以て第二の香港と爲すの意なりしが如くなれども兎に角其計畫を實行するには至らざりし故に英國にては毫も右商議の箇條を顧みずと決心するにあらざる以上は今日にても尚舟山を保護し同島をして他國の手に落ちしめざるの責あること疑を容れず左れば本年春の頃佛國は舟山を占領す可しとの問題起こりたる折、香港商法會議所にては英國は千八百四十六年英清商議の箇條を嚴行す可しとの次第を論して之を英國外務省に上申したるが英政府は此上申ありたるが爲め右に關して果して幾分の手〓を〓〓たるや否や我輩は之を知る能はざるなり

〓の次第なるが故に〓〓舟山の關係を約言すれば英國は三十八年前〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓に據りて今尚舟山を保護す可きの責任あり左れば今度佛國にて若し舟山を占領するの計畫を爲さんとせば或は英國の意に逆ふて更に敵對の方向を取るか或は同島の關係に就きて更に英國と約束するか二者其一に居らざる可らず然りと雖ども英政府は千八百四十六年より生したる舟山保護の責任に就き曾て再思したることなく殆んど之を忘却し居るは亦疑なきが如し之に反して清國にては英國をして「サー、ジョン、ダヴヰス」との商議を回憶せしむるを以て甚だ便宜なりと爲すことなる可し