「沖繩縣は指呼の間に在り」
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本文
沖繩縣は指呼の間に在り
佛國の両水師提督「クルベー」氏及び「レスペス」氏は九月二十九日並に其翌卅日佛國艦
隊を率ゐながら與に台灣へ向け媽姐を出發し鶏籠及び淡水に於ては彌々開戰に及びたる由
(諸君乞ふ本日の佛清事件欄内臺灣戰報の項を參觀あれ)是より先き八月廿三日福州第一
の砲撃に引續き連日〓(門がまえに虫)江邊に於て佛清両軍の對戰ありし以來別に花々し
き戰報も無く凡そ一箇月の間は我も人も第二の激戰今か今かと頻に其來報を待ち居たりし
に更に其甲斐なくして今は待ちあぐみたる姿となり傍観者も坐ろに睡眠を催ふさんとした
りし折柄、霹靂一聲電音の耳朶に落來るに因て頓に惰眠を破り轉た快哉を呼ばしむるの想
ひ無きに非ず尤も佛國が台灣を攻撃占領すべしとのことは豫てより其風説もありて我輩の
待ち設けたる所なりしが台灣は海洋の島地にはありながら福州と對岸に相峙し支那海を控
制するに倔強要害の塲所なれば支那政府よりは豫て劉銘傳なる老勇將を派遣し置き本陸よ
り指送りたる兵卒も許多にして土兵と合すれば總計四萬人にも上るべしと風説す其兵數の
ことは兎も角も去る八月初旬佛國艦隊が始て鶏籠を砲撃したりし際などには支那軍の抵抗
も相應に強くして海上よりの砲戰には佛軍無造作に功を収めたりと雖とも上陸後の合戰に
ては支那軍の爲めに追ひ返されたることも亦之ありとか聞けり但し今回佛軍の台灣攻略は
前日鶏籠砲撃の恐嚇手段とは事變はりて飽くまでも必捷占領の覺悟を定め且つ精鋭を盡し
て其攻略に從事するに相違無からん左あるときは台灣防禦の劉將軍に取りても今回の敵は
容易ならぬ剛の者なれば從令ひ死力を致して一時を持ち堪ゆることの出來はするとも終局
の處刀折れ矢盡きて潔く打死したる後台灣全島を佛の手に開け渡すことならん歟と我輩は
今日より其臆測を下さんと試むるなり
然れとも佛清の交戰、台灣の沒落は如何に成行かんも局外者たる我に於ては差當り何の關
係も無きが如くなれとも今回佛軍の擧動は彌々台灣を攻略して後ちに已むとの決心ならん
には又相應の激戰もあるべく夫れに就いて我輩の聊か杞憂する所と申すは沖繩の位置戰地
に接邇しあるの一條是なり事の筋道に於ては佛清の両國如何に我近傍に接戰するとも其接
戰地の我版圖内に在らざる限り嚴格中正に其局外に自處せば何の心配も無き筈なれども其
の實際に臨み又は接戰地近傍の人情にて考へたらば或は人知れず大いなる心配もありて由
なきことに肝膽を冷すあらんも知る可らず既に前號の紙上に掲けたる沖繩通信九月十一日
發の書面にも前略佛國と支那と戰爭の報道の如き漸く昨日入港の風帆船にて齎らしたるよ
り二十餘日以前の擧を始て承知致し夫迄は去る八月十四日來の事何にも當地に相分らず絶
海の不自由には殆んど困却に堪えず特に本縣下八重山與那國よりは鶏籠まで海上四五十里、
福州迄百里足らず此隣密接の塲所ゆえに從ひ他人の喧嘩とは申しながら多少心細き處なき
にしも非ず云々と見え此書面の趣にては八月廿三日福州砲撃の仔細詳報も九月十日までに
果して能く聞くことを得たりしや如何ん通信交通の不便それも覺束無からんかと思はる尤
も其文中特に八重山與那國よりは〓(谿の左に唯の右)籠まで海上四五十里、福州まで百
里足らず云々とあり盖し鶏籠福州砲撃の略報を聞て絶海の孤島、通信者の心には空谷跫音
の恃み甲斐さへも無しと獨り冷凉を感したることならん我輩は其文中無限の哀情あるを察
するなり特に今回佛艦が大擧して台灣へ向ひたる其志望は全島若くはこれが要害を經畧し
了るまでは飽くまで其力を尽さんと云ふに相違なくば彼の八重山邊を去る僅々四十里乃至
百里の向岸に隨分の激戰もありて隨て支那方打洩されの殘兵が孤舟に棹して遁げ出すの途
上計らずも我島地へ彷徨し來ることは無きや或は佛艦が台灣を攻畧して其近海を巡邏する
の傍を不意に我嶋を見當りて其兵士が遊びながらに上陸する事は無きや左あるときは佛清
相敵の兵士共萬一の邂逅にて偶然に出逢ひ我島地内に爭ひて引起すことも無きやと絶海孤
島の人情にては此心配憂慮の浮み來るも亦無理ならぬ次第なりと云ふべし况を八重山與那
國邊は地極小にして人口至て少なく而かも其少人數にて對岸五十里百里先きに激戰ありと
聞かば他の心配は兎も角も其淋さは秋風落葉、荒野の孤盧夜深くして獨り狼の吠ゆるを聞
くよりも猶ほ切ならんかと想見するに足るなり
我政府に於ては中立國民保護の爲めに曩に扶桑大城の二艦をして東洋聨合艦隊の列に加は
らしめ尋て磐城艦をも派して支那海に抵らしめたるが佛清の戰爭尚ほも急激なるに至らば
右の外に諸軍艦の陸續出發あるべきは勿論の儀にして沖繩嶋は台灣戰地に接近しあること
ゆえに政府に於ても其警衛を充分にせらるゝは我輩の必ず期する所なりと雖とも差當願ふ
所は沖繩の民情にその安堵を失はしめざる爲め早く那覇港に一艘を碇泊し置き外に八重山
與那國邊へも視察として一艘を派遣するに在るなり平時に於ては沖繩と本陸の間に汽船往
復の便を繁くし海底電線の敷設を爲す等の手段も甚た緊要なりと雖とも台灣大戰爭に立至
らんとするの今日に際しては取り敢えず沖縄の海港に數艘の軍艦を派駐してその人民をし
て恃んで以て泰山の安きに居らしめ如何なる戰報訛傳の來るあるとも風聲鶴唳に驚く無か
らしめんこと我輩が偏に孤島の民情安堵の爲めに希望して已まざる所なり