「先つ台灣を占領せざるべからず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「先つ台灣を占領せざるべからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

先つ台灣を占領せざるべからず

佛國水師提督「クルベー」は一箇月計り媽姐島に於て閑日月を消したる後漸く其運動を始

め先つ台灣の〓(谿の左に唯の右)籠を取り又淡水をも乗取りたりこれより更に南方に進

軍して台灣府を取り打狗を取り全島を擧けて佛蘭西共和國の所領とするの後にあらざれば

再び復た休息することなかるべきは事の順序に於て最も明白なるが如し

去月中佛軍の擧動何故に斯くも緩漫なりしやは我輩が時々論陳したる如く一は其兵力の過

小なりしと一は英國政府が佛國の東洋政略を悦はずして陰にこれを妨害せんとするの氣味

ありしが爲めなるべし然るに今佛軍が其運動を始めたるを見れば英佛の間に支那侵畧の相

談既に熟和したるが爲まかと云はんに我輩は尚ほ未た然らずと云はんと欲するなり盖し一

両年前の模樣を見るに英佛の間に密約ありて英國は埃及を占領すべく佛國はこれに付て異

存を唱へまじ佛國は安南を占領すべく英國はこれに付て異存を唱へまじと互に相約諾しあ

りたるものゝ如し然るに何ぞ圖らん安南占領の事は一變して支那帝國との葛藤と爲り近来

の勢は支那全國を擧げて佛國の版圖に入るゝか或は目下先つ其一部を佛國に與へ置きて速

かに後日全帝國分割の準備に取掛らんかと云ふ至極重大の問題に推移りたるを以て英人は

俄かに不平の顔色を爲して兎角佛人の處置を悦ばず佛人固より英人の強慾を惡むと雖とも

其權勢は侮るべからず且つは支那帝國併呑の事まで約束したる譯にてもあらざることゆえ

十分に英の非を鳴らしてこれに敵對することも叶はず云はゞ寶の山に入りながら手を空く

して歸を促かさるゝの想ありたり此際恰も好し英人が埃及占領の功も尚ほ未た全くならず

「スーダン」の反賊追討の事に連れ埃及の財政非常の困難に陥り今に及びては英人も何と

か斷然たる處置を爲さゞるべからざる有樣に推移りたるを見て佛人は此機失ふべからずと

爲し先つ埃及處分に關する列國會議に於て十分に英國の意見に反對して敵意を示し次で又

「アレキザンドリヤ」砲撃の償金拂渡して迫りて英國政府を困らせ困迫の極度は互に交綏

して銘々支那に埃及に其働を自由にせんとするの工風なるが如し斯る有樣なるが故に目下

佛人は毫も後顧の憂なく十分の力を支那侵攻の事に用ふべき時にあらずと雖とも左りとて

今の行き掛りに於て暫時休兵して安南に退去する譯にも行かず縱令兵力は薄弱なるにもせ

よ其力に相應すべき丈けの仕事を見出してこれを勉め後來大功を立つるの基礎を下し置か

ざるべからず是則ち今回「クルベー」提督が臺灣占領に從事したる所以ならん

二三千の兵と十餘艘の軍艦あらばこれを以て福州を攻落し或は舟山を乗取り或は鎮江に攻

入る等一旦の勝を制するは固より容易の事ならん然れとも一旦これを攻落したる上にて永

く其所に占據せんとするには縱令雨傘を脊負ひ槍を提げたる兵卒なるにもせよ支那兵の無

數なる雲の如く集り蝗の如く來り到底斯る小兵の能く制し得べきにあらず舟山の如き其地

位より論すれば固より欲すべき塲所ならんと雖とも大陸を距ること近きに過き僅かに咫尺

の水を隔つるのみなるが故に敵兵の渡來甚た難からず是亦安全の地にあらず然るに臺灣は

大陸を距る凡そ四十里(日本道程)の洋中に在りて地味甚た豐腴其氣候は大抵我沖繩縣に

同しく冬季寒を避たるの地と爲すに最も適す其地理も瓊州の如く南海に偏せず支那沿海南

北航路の中間に在りて頗る形勝の地位を占む全嶋の面積は我四國に比すれば少しく廣く九

州に比すれば少しく狹き儼然たる一要地なり今佛人にして此地に據らんか敵兵襲ひ來らん

とするも渉るに船なく飛ぶに翼なく唯空しく對岸に在りて我陣營の炊煙を望見し轉た艶羨

の情に堪えざらんのみ是則ち佛國提督が其兵の力を計りて先つ台灣占領に從事したる理由

ならん加之佛人は縱令英人の爲めに妨害せらるゝとも此儘何の獲る所もなく空しく後に退

かんとする覺悟にあらず必ずや此機を失はず大に其地歩を東洋に占めんとするの決意なる

が故に一旦後顧の憂さへ除きたる上は必ず大に其力を支那侵略に致すことならん今日こそ

公然宣戰の沙汰もなく曖昧の間に戰を續けつゝありて香港長崎等中立國の港に徃來し軍需

の欠乏を感せざるなれとも彌よ大擧して支那を攻るの日に至れば是非とも世界に宣戰して

今の如く中立港を利用するの便を失はざるべからず此時に至れば柴棍は路遠くして不便少

なからず支那大陸の都邑を奪ふもこれを守るの費少なからず佛人の爲めに倉庫たり庖厨た

り病院たり艤船所たるものは此台灣嶋に如くものなかるべし台灣さへ占領すれば其港以て

船を入るべし其石炭以て軍用に供すべし其材木以て陣營病院を築くべし其穀類蔬菜魚鳥羊

豚以て兵士を養ふべし其人民三百萬内外の者よりは從來支那政府の治下に在りし時の如く

貢租を納めしめて以て軍費の幾分を補助せしむるを得べし是亦佛國提督が台灣占領に從事

したるの一原因ならん佛人既に台灣を領せば以て支那帝國の命を制すべし此末如何なるべ

きや我輩の甚た關心する所なり