「国の名声に関しては些末の事をも捨つべからず」
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時事新報に掲載された「国の名声に関しては些末の事をも捨つべからず」を文字に起こしたものです。
- 『福澤諭吉全集 第10巻』(岩波書店、1960年)所収の論説、「国の名声に関しては些末の事をも捨つべからず」(67頁から70頁)
- 18841011
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本文
第一段落
去年友人中に洋行する者ありて、其節何か餞別をと思いしかども、是れぞと申す品もなく、不図案ずるに、近来日本日新の事に関する物を写したる写真又は石版絵などは如何と思付き、坊間を捜索して先ず我国現在の鉄道電信、東京の諸官省、裁判所、鎮台の営所、参謀本部等より、都て国中新に西洋風に倣うて作りたる建物、又は鉄橋木橋、諸学校内外の所観、日比谷の操練、演習行軍の模様、軍艦、砲台、灯明台の景色等、大小粗密に論なく、見当り次第に百余片を集めて之を贈りたるに、其後彼地より書翰を送り来り、本邦出発のとき外国人へ手土産の積りにて携えたる品は様々なりしかども、左迄彼の注意を引くものなく、先ず大当りと申すべきは写真石版の絵にして、外国人と談話の語次、日本近世の事情に及び、口頭固より詳なるを説くべきにもあらざれば、先ず所持の写真を与えて之を説明すれば、日本国情の一斑を知らしむるの捷徑にして、亦即席の愛相にも為り、頗る調法なるを覚えたり。 殊に兵に関する彼の操練観兵式の図、軍艦砲台の写真の如きは、最も外人の感覚を起して、時としては之に驚き、甚しきは其真ならざるを疑う者あるに至れり云々の来意に付き、我輩も大にこれに発明して、新製の写真石版を見る毎に之を集めて彼国に送附を怠らず。 当府下にては鉄道馬車、上野高崎間の鉄道、隅田川の競舟、水雷火の破裂、日蝕月蝕の写真等、随て出れば随て送り、何時も彼国にて好評を得ざるなし。 然るに爰に遺憾なるは世の写真石版師が、商売柄にて自から内国の流行に従い世人の好尚に投ずること尤なる訳けとは申しながら、陳腐至極の点に眼を着し、上野向島櫻の景色、浅草観音、目黒不動、遠くは日光山、奥州松島、京都に祇園、清水、知恩院、大阪に高津、天王寺等、名所旧跡を画して尚足らざれば、近来は又古人の書画を写し、古器珍物茶の湯の道具を写すなどに忙わしくして、日本日新の物に及ぼすの遑あらざるか、我輩が目的とする所のものを集めんとするに苦しむのみならず、彼の観兵式又は軍艦砲台等の写真とて甚だ不完全至極にして、未だ壮観の実を為したると認るに足るもの少なし。 依て案ずるに、写真石版の事たる、非常に金を要するにも非ざれば、爾後は陸海軍の当局に於て、目下要用の部分に属して壮観とも名くべき所のものは、特に技術家に命じて写真せしむる歟、又は市中の写真師を導て勝手次第に写し取らせ、多数の紙片を低価に発売せしめ、時宜に依りては多少の金を投じて広く海外に頒布せしむるの法もあるべし。 例えば府下小石川の砲兵本廠中、村田銃製造所の結構の如き、大坂の大砲製作所の如き、観音崎新築の砲台、横須賀新設の「ドック」等、枚挙に遑あらず。 其筋にてよく之を吟味して、兵事に関するものは一切洩らさず、勉めて其真景を写し出して、広く内外人の眼に触るるの工風を為すは、亦今日の一要事なりと信ずる所なり。
第二段落
右は誠に細事にして、所謂学者先生などの考を以て視たらば、小児の戯などと評論を下さるることもあらんなれども、広き世界は決して大人のみの世界に非ず、小児こそ多数なれば、其多数の感触を制御するは我国権上に甚だ大切なる事なり。 抑も我日本国は新開の国にして、西洋国人を平均すれば日本の強弱文不文を知らざるのみか其国名さえ知らざる者多くして、詰り善にも悪にも日本の事に頓着する者は彼国中僅々の数なりと云わざるを得ず。 知らざるものは疎んず、疎んずるものは重んぜず。 国権拡張の道に横わるの憂患と申すべし。 我輩の持論に、多く軍艦を造りて、仮令い急要の事なきにも世界中の各海面には常に日章旗を翻がえすこと緊要なりとは、即ち此辺の微意のみ。 海軍省は夙に此に注意せられたるか、甚だ少数ながらも時々遠洋に軍艦を遣ることもありて、為に外国人の耳目を聳動することなきに非ざれども、陸軍に至ては広く其耳目に触るるの機会あるべからず。 明治10年西南の戦には我兵よく戦い、其兵士の勇武と其軍法の整斎は他に対して寧ろ誇るべきも愧るものなしと雖ども、如何せん、内乱の戦争は外国人の知らざる所にして、我兵威を外に耀かすの点に於ては更に其功能あることなし。 幸にして一昨年朝鮮の事変に由り京城に少数の兵を遣りたるは偶然の好機会にして、支那兵と同京に相対し、我兵隊の整頓して軍律の厳正なると、兵士の沈勇にして品行の正しきは、流石に愚鈍なる韓人の目を以てするも妄評を下だすを得ず。 之を枯れの支那兵の乱暴無駄、白昼店頭に物を掠め、暗夜樹陰に婦女を窘るが如きものに比すれば、天淵の相違啻ならず。 其実情を明言すれば、日本兵は武士の隊伍にして、支那兵は流民乞食の群衆と云うも可ならん。 韓人が窃に評して、彼れを胡兵と罵り、是れを王者の師と誉るも、決して偶然ならずと雖ども、是れとても我日本兵を支那兵と並べて其甲乙優劣を見たるるままにして、仮令い我方が遙に優等なりと云うも、唯支那人に優るのみにては未だ以て評価の当を得たるものとするに足らず。 或は日支の兵が実地戦場の技倆を試みたらば、世界に対して我兵制の声価を揚ることもあらんなれども、戦は漫に之を求むべからざるのみならず、常に慎て避るこそ用兵の本色にして外交の極意なれば、今日に至るまで我日本兵が曾て一度も外国と鋒を交えざるは国家無上の幸なれども、西洋諸国人が我兵の強弱優劣を評するに苦しむは、其技倆を知るの機会を得ざるが為なり。 蓋し之を知らざる者は之を無頓着に附して、自然に之を重んずるの情も亦薄からざるを得ず。 遺憾なりと云うべし。
第三段落
左れば我輩の持論は、実に我兵備を拡張して之を怠ることなきのみならず、仮令い毛頭些細の事柄に至るまでも、苟も国の名声に影響すべきものと知るからには、之を洩らすことなくして施行せんと欲するものなれば、彼の写真石版絵の一条、誠に些々たる一細事なれども、在外国友人の来状を見て彼の国情を推察し、夫れより夫れへと次第次第に思想を運らして、遂に此一編を記したるものなり。 世上或は論旨の迂闊なるを笑う者もあらんと雖ども、都て事を成さんとして勉強するには事柄の大小を択ぶべからず。 大を執て動かざるは勿論、又極めて些末事項にても之を看過することなく、巧に施して之を利用するこそ智者の事なれ。 或は之を勉強の気転と称するも可ならん。 世上是非の評論は顧みるに遑あらざるなり。