「民間の窮迫憂ふべし」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「民間の窮迫憂ふべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

民間の窮迫憂ふべし

日本全國の疲弊は今日に始まるにあらず一昨年の不景氣民間既に嘆聲の四境に聞ゆるあり

昨年に至りて此聲更に一層の悲哀を加へ四顧荒凉花開けとも春を知らず唯秋氣の人を襲ふ

を覺ゆるのみなりし此時に當りて來年こそはと頼みたる本年も其實况は全く當時の豫想の

外に出て全國人民の困難窮苦の有樣は唯益酷烈を加へ是れぞ苦痛の極度ならんと思はるゝ

も未た減退の兆候さへなく苦は益苦にして貧は益貧ならんとするの勢を見るのみ此勢にし

て今暫く持續せんには全國民間の状態は遂に何等の有樣に陥るべきや之を今日に測量すべ

からず唯惴々として深淵に臨むの想あるのみ

明治十二三年の頃米一石十圓内外の價を占むるの時に當りて民間の景氣は實に古今未曾有

のものあり是に於てか舊時諸藩苛政の下に呻吟したる傭作の小民も始めて畜類の生涯を去

りて人間の生活を學ぶことを得前日は藁しべを以て束ねたる髪も今は元結と香油を以て之

を〓ひ前日は草鞋より外に着くべきものあるを知らざりし足も今は下駄雪踏の便を覺に前

日は芋稗豆の類の外其味を知らざりし口も今は米飯乾魚の珍味に飽き前日は百結の襤褸を

纒ひ簀の子の床に踞したる支体も今は金巾の柔なるを膚に着けて疊の上に起臥し濁醪一杯

冬の夜の寒きを忘れ得るの身と爲りたり盖し人間の生活には天然約束の程度あることなく

金衣玉食柱を折て薪と爲すも敞褞袍脱粟飯肱を曲けて枕と爲すも共に人間の一生を過ごす

に差支なし唯其人の分に應すると否らざるとを顧みるのみ故に我日本の小民の如き芋以て

腹を肥すに足り襤褸を以て身を纒ふに足らば各其分に安んして可なり何ぞ米飯金巾の奢り

を要せんやとの説もあらん然れとも我輩の説は大にこれに異なり日本農民の謹勉なる夏畦

冬綯唯勞作することを知りて逸樂することを知らず其勞力の分量は盖し米飯金巾の價に比

して甚た過分なるものあらん牛馬尚ほ且つ麥大豆に飽き藁を積みて冬の寒きを凌くべし况

んや萬物の霊長たる人間に於てをや然るを昔日藩政の下の小民たるを以て農家適應の分な

りと云ふは人間を以て畜類に如かずと爲すに均しく謂れなきの甚たしきものなり故に我輩

は當時に於て農家生活の度の漸く上進するを見て大にこれを喜び當局の小民其人と共に多

年の愁顔を開きて時運の改進を賀したることなるが賀頌の餘音未た絶えざるに早く既に反

對の凶兆を現はし近年に至りて米價漸くに下落して商况漸くに萎縮し農家の状態復た前日

の好景况にあらず前日は米一石を賣れば其代價以て地租其他の諸税を拂ひて餘ありしもの

今日は二石を賣るも尚ほ不足を感するの有樣となりたり是に於てか納税の義務を果たすこ

と能はずして公賣處分に處せらるゝあり債主の督促急迫なるも借財を償ふの工風なく逃亡

して行く處を知らさる者あり屋根は雨を防かず戸は風を支えず衣るに衣なく食ふに食なく

一家五口饑寒死に瀕する者あり其慘酷の状情轉た人をして酸鼻に堪えさらしむるものあり

是即ち明治十七年の秋季全日本國民間の概况なり

我輩は近頃各地方より出京したる人々に就き其地方々々の實况を聞くに其説く處或は風災

の猛烈を告け或は稻田の不作を報し或は傭錢の下落を歎し或は物産の不捌を訴ふる等各人

各種決して一樣ならすと雖とも民間の不景氣窮迫の状を談するの一事に至りては萬口一言

符節を合するが如し依て又我輩は一の疑問を起し民間窮迫の状果して斯の如くならんには

本年納税の景况は如何あるべきや全村全郡或は全縣を擧けて租税怠納公賣處分を實施する

の必要に迫り政府の歳入遂に豫算の金額に達すること能はす或は一時の所彼の大藏省證券

を發行して融通を爲すの工風ありとするも虚は實を産むべからず到底一度は差支を生する

の日あらんとせば民間の窮迫は正しく政府の大事なり本年度租税の納否如何あらんと問ふ

に其人々の多數説に從へは目今の景况ゆえ幾分か租税の不納はあらんなれとも大抵は皆之

を上納して決して政府の迷惑と爲る程の事はあるまじ何となれば舊藩時代に於て租税は御

年貢と稱し之を納めざる者は其罪五逆十惡にも勝るものと心得縦令貧困に迫りて子は賣る

とも御年貢は納めざるべからずと固く其心に信したる所ありし程のものなり今日多少の厚

薄はあらんと雖とも彼の御年貢の感覺は深く一般の民心に銘し決して未た消滅せざるなり

此故に今日民間の窮迫、慘酷は則ち慘酷なりと雖とも一旦其生活の度を舊藩政の古に復し

芋を食ひ水を飲み簀の子の上に生れて簀の子の上に死し牛馬と其生涯を同しくすべしと決

心したる以上は世間何事か爲すべからざるものあらん舊藩の重税尚ほ且つこれを上納する

を得たり况んや今日の輕税をや三府四十縣の廣き本年度に於て仮令ひ督責せざるも租税怠

納の沙汰は必す極めて稀有の事ならんと云へり此説の當否固よりこれを今日に明言し難し

と雖とも義理甚た簡明にして甚た刀ある論なりと思はる然れとも果して此説の如く民間の

生計漸く藩政の古に復して以て僅かに此國を維持するものならんには所謂文明の退歩喬木

を下りて幽谷に入るものにして明治の今日に決して有るまじき事柄なりこれを聞くさへ我

輩は甚た憂憤の情に堪えず早く經國の士の謀慮を得てこれを救正するの擧に從はんことを

希望するなり