「貧富論」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「貧富論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

貧富の懸隔天淵啻ならざるも社會の輿論之を許して問はず

凡そ人間社會の壓制を云へば、政府の人民を壓するあり、貴族の賤民を壓するあり、長者の少者を壓するあり、

男子の婦人を壓するあり、其種類一樣ならずして其働も亦際限なかる可きに似たれども、其中自から之を和する

ものなきに非ず。政府專權にして貴族尊大ならんとするも、天下輿論の許さゞる所と號して自から差扣るの情あ

り。長者傲漫〔慢〕にして男子無理を働かんとするも、世に道德慈悲の説あれば之が爲に多少に遠慮する所なきを得ず。

卽ち強者の方に就て云へば不自由なる社會にして、弱者の方より見れば尚一線の血路を開くものにして、得意全

く得々たるを得ず、不平常に鬱閉するものに非ず、以て社會圓滑の外相を呈するものなりと雖ども、爰に人間社

會中最も自由自在にして、毫も他の掣肘を被らざるのみか、國の公の法律に於ても人の私の道德論に於ても常に

是視せられて贊成稱譽に逢ふものは、富有者が其資産を利用して益富を致すの一事なり。抑も世間の富豪なるも

のが、租先傅來の遺産を承けて、節儉勉強して怠ることなければ、財を積むこと甚だ難からず。單に利子のみの

增殖にしても、凡そ十年にして資本を一倍するの割合なれば、子孫相傅へて唯貸金若しくば公債證書所有の一法

を守りても、其增殖に際限ある可らず。( 歐米諸國の金利にては十年一倍なる可しと雖ども、目本の如き國柄にて

は五年或は七年にして一倍に達すること易し。)且この事たるや、智力を要せず、如何なる愚人にても、唯金錢の

數を知り、人に與れば我れに減じ、人に取れば我れに增すと云ふ簡單至極の道理を辨へて、此一主義を守ること

鐵石の如くすれば、他は一切工風も才覺も無用にして、以て世間の尊敬を受く可く、以て天下の名譽を博す可し。

加之財産の不可思議妙功は、愚者をして智ならしめ、不德者をして德望を得せしめ、仁義禮智信を包羅して一

切の人事を攝取するものと云ふも可なり。斯る無盡無礙の力を有するものにして、之を利用し又增殖するに當て

曾て路に橫たはるの妨を見ずとは、富有は社會の諸勢力中、一種無類のものなりと云はざるを得ず。

之に反して下等貧者の有樣を見るに、其生活の難きは單に物の數を計へて之を證す可し。德川政府享保年間に

道中人足の賃錢を一人役一里十六文と定めたるは、體格中等の者をして一日の働以て自身一人の衣食を得せしむ

るの標準なりしと云ふ。下て幕府の末年に至て大に賃錢法を改革したれども、享保年間に比して通貨の數の唱へ

を改めたるのみにして、時の物價を前後に對照すれば、矢張り一日の働を以て一身の衣食を得るより多からず。

又維新以後世事の變遷は少なからずと雖ども、下等役丁等の賃錢は舊幕府の末年より大に增加したるを聞かず。

( 目下東京府下の日傭賃は、三、四年前諸色高直の時のまゝに改まらざるか故に非常の割合なれども、今の物價に

して今の賃錢の持續す可きに非ず、早晩必ず至當の點に下落す可し。既に各地方にては食物自辨にて一日の賃錢

六錢乃至八錢なるものありと云ふ。)左れば我日本國に於て體格中等以下の男子にして力役に服する者は、僅に

一身の口を糊し寒暑を凌ぐのみにして、固より妻を娶る可らず、況や子を養ふに於てをや、迚も其力に叶はざる

ことなり。然るに此男子木石に非ざれば往々妻を娶りて子を生む。其生計如何す可きや。固より此輩の妻たる者

は、婦人の手を以て家計を助ること通常にして、能く自活するものなきに非ざれども、假に三人の子ありとせん

歟、夫婦二人辛うじて自活する其二人の衣食を五人に配分せざるを得ず、不足は數に於て明白なり。凡そ欺く可

らざるものは人身の生理にして、二個の生力を維持して正に足るものを將て五個に給するときは、五個の生力は

一樣に減じて各四の數と爲り、六分の死體に四分の生力を附したるものに異ならず。其心身共に異常の變相を現

はすも亦偶然に非ざるなり。

所謂經濟論の主義に從へば、人の貧富は其智愚に準ずるものにして、少小の時より敎育を怠りて處世營業の智

識に乏しければ、貧も亦自身の本分として之に甘んぜざるを得ず、資本家は讐へば人身の胃の腑の如く、職工役

丁は手足の如し、胃に食物を給して生力を作るに非ざれば手足も働くに由なし、世に資本家あらざれば力役者も

其力を用るの機會を得べからず、謹て資本家に奉じて其命に從ふ可し、給料の多寡を論ずる勿れ、利足の高下を

口にする勿れ、唯汝の分に安んじて汝の品行を脩め、二念なく勞苦して怠ること勿れ、と勸告して曾て之を怪む

者なしと雖ども、此勸告や、之を告るは易くして之に從ふは甚だ易からず。敎育なき者が貧に居ること固に當然

なりと雖ども、其敎育は爲さゞるに非ず、能はざるなり。衣食缺乏して未だ肉體を養ふに足らず、如何で敎育に

志して精神を養ふの遑あらんや。經濟論者の言に、無智卽ち貧乏の原因なりと云はゞ、貧者は之に答へて、貧乏

卽ち無智の原因なりと云はんのみ。又力役者が力を勞して報酬の寡なきも金を借用して利足の高きも姑く之に堪

忍せんと雖ども、爰に苦しき事情は無産者と有産者と共に起て役に服し、同一の伎倆を以て同一の事を成し同一

の給料を収領するに、甲は今日得たるものを明日の用に供して一時に消費し盡すと雖ども、乙は猶豫して五年後

の費用に充るが故に、利倍增長の作用に由り十の數を二十にして活用す可し。卽ち甲乙の兩人其勞役は同一にし

てありながら、資産の有無の爲に其給料は正しく一倍の差を見る可し。蓋し富の盆富み貧の益貧なるは、單に給

料を得るの少なくして借用金の高利なるが爲のみならず、貧富等しく勞役するに當りても尚冥々の間に此種の得

失あればなり。

世界萬國富人と貧人と其幸不幸の著明なること斯の如くにして、然かも其人は一國に群を爲し、一都邑に雜居

し、一村一町に軒を竝べ壁を合して、相互に其實況を視察すれば、東隣の富翁は金衣玉食、妻妾媚をじて良人

を悅ばしむるの工風に苦しみ、西家の役夫は近日の霖雨に職業を休み、妻子の衣服までも典じ霊して向明日の食

料に當惑す。大廈高樓の盛宴、主公萬歳の唱歌は、裏長屋の貧兒、弧々乳を求めて母の節るを待つの聾に和する

が如し。貧者の心身は既に榮養溫飽の不足を以て内に異常の變を釀し、之に加るに近隣の盛事一として耳目を犯

さゞるはなし。之を耳にし之を目にするのみにして、曾て之を口にし之を膚にするを得ず。満腹の不半諺々とし

て之を洩らすに由なく、畢生鬱憂に沈て遂に死する者多しと雖ども、時として機會に遭遇すれば大に殷して作用

を現はすことあり。卽ち平和の道に於ては役夫團結して工を罷め以工局賃銭を要することあり。西洋の語に之を

「ストライキ」と云ふ。或は破裂して一揆の姿と爲り、富豪の家を毀ち財産を害することあり。其卓動甚だ悪か可

しと雖ども、古來人間社會に免かる可らざるの禍なり。                  〔十月二十四日〕