「貧富論」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「貧富論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

貧民の貧如何ともし難きに似たれども之を緩和禰縫するに自から法あり

貧富相對するの關係は壓制の甚しきものなりと雖ども、經濟の主義に之を許し、道德の議論に之を贊譽して、

天下に咎る者もなく又怪しむ者もなし。今の地球面に在る人間社會の組織に於て然るものなれば、人力を以て遽

に如何ともす可らざるものと觀念す可きのみ。然りと雖ども顧て一方より見れば、不完全ながらも亦自然に此壓

制を緩和して萬分一を彌縫するの道なきに非ず。卽ち、

第一には富豪者の心身敗壞して自から家産を保つこと能はざるが爲に富の新陳交代する事なり。人智天賦の軟

弱なる歟、又古今敎育法の缺典歟、凡そ富貴の家に生れて一、二世を相傅するときは、先づ其形體の力を損ぜざる

者は殆ど稀なるが如し。蓋し衣食の不足して生力を害するは甚だ賭易き數理なれども、不足して害あるものは餘

りても亦害なきを得ず。草木を瘠土に植へて曾て培養せざれば固より成長せずと雖ども、沃土に培養して肥料を

施すこと度に過るときは、其枯槁零落すること却て瘠土の草木よりも甚だしき者多し。或人の言に、天下飢へて

死する者固より多しと雖ども、放食して死するものは尚これよりも多からんとの説あり。此説眞に然り。富貴の

子は放食暖衣逸居を以て早く既に其身體の健全を害し、身體既に害せられて精神亦活潑なるを得べからず、蠢愚

遲鈍に非ざれば心情過敏にして權衡を失ひ、尋常の人事に堪ること能はず。瑕令ひ或は他人の力を借りて其一世

を過ぎ、又幸にして二世三世に及ぼすことあるも、結局既有の富を保存するの難きは、未有の富を作るの難きに

等しきものにして、人の力に依賴して富を致す可らざるの事實あれば、富を保つの法も亦人に依賴して無效なる

こと明に知る可し。富人にして富を失ふ、其歸する處は何れなる可きや。貧人社會身體健康にして精神活潑なる

者こそ其籤に當ることならん。卽ち富有の交代、幸不幸の輪番なり。元來經濟論の金言に於ても、道德の明敎に

於ても、節儉勉強よく其身を修め謹て祖先の業を繼ぎ謹て其遺産を守れとあれども、不肖の子孫、金言明敎に從

はずして家を亡ぼす、家のためには誠に不幸なれども、他の有力者出身のためには間接にも直接にも誠に以て僥

倖なりと云はざるを得ず。固より舊富豪が滅亡して新富豪が起ればとて、他の貧者より視れば唯其新陳交代にし

て天下の富を干均したるには非ずと雖ども、貧者も亦時としては富者に代ることある可しとの實を證して、聊か

以て情を慰るに足る可し。

第二には所謂道德の主義に基て貧者の窮を救恤する事あり。貧者の今の有樣に陷落するは社會の組織に於て止

むを得ざる所にして怪しむに足らざるものなり。力役の賃錢今少しく高く、借金の利足今少しく低くからんには、

必ずしも他の救恤を仰ぐにも及ばすと雖ども、如何せん、世界の富は少數の手に歸して貧者力役者の數は甚だ多

し。其數多きが故に金を借り職を求ること急なり。之を借り之を求ること急なるが故に、賃錢は低く金利は高く

して、其利益の歸する所は唯間接に富豪の大嚢あるのみ。故に慈悲深き富豪が、囊中の小部分を投じて救恤のた

めにする其慈悲は誠に慈悲なれども、事の實相を云へば間接に取て直接に與るものに異ならず、甚だ意味の少な

きものなりと雖ども、天下唯取るの一方のみにして曾て與ふるを知らざる者こそ多き世の中なれば、貧院と云ひ、

救育所と云ひ、或は貧病院の施療、罹災者の保護の如き、誠に救窮の小策にして、唯一時の外面を裝ふのみのこ

となれども、亦以て人情を和して其苛烈に至るを防ぐに足る可し。

第三には不時の擾動に由り下等社會をして一時の愉快を取らしめ以て其平生の鬱を散ずることなり。爰に云ふ

擾動とは一揆兵亂等を以て世事の秩序を亂るの意に非ず。遊戲の企、慶賀の儀式等、誠に意味少なき事柄にても、

苟も一時の人気を擾攪して快樂に醉はしむるものを云ふのみ。例へば西洋諸國にて日曜日の休暇と云へば、雇の

職工等も一日の苦役を免かれ、尚其上に食料とても平日に較ぶれば少しく心せられて上等の品を口にし、或は時

に一盃の粗酒に逢ふこともあらん。又十二月二十五日「クリスマス」の祭日の如きは賤民得意の祝日にして、身躬

から酒池肉林に遊ぶことを得ざるも、五侯厨下の殘肴餘瀝は以て三百六十四日の枯腸を一日に潤澤するに足り、

尚この上にも得意の旦那より心付けの銀子あり、出入聶負の貴婦人令孃より惠與の品あり、終年一遇の愉快、昨

日までの鬱憂は消して疸なきものゝ如し。又我日本にても此邊の事情は西洋に殊ならず。舊暦の五節句、盆、正

月、今の大祭祝日、歳末歳首、何れも皆愉快ならざるはなし。殊に四時の祭禮の如きは最も人氣を擾攪するもの

にして、其影響する所甚だ少なからず。祭日に先だちて神殿の裝飾、神楽の用意、提灯燈籠、花車手踊、女は男

裝を着け男は女裝し、遊戲笑語、狂するが如く酔へるが如く、二夜三日の愉快は恰も天上の樂國にして、貴賤貧

富老若男女、白眼以て世上を看る者もなく又看らるゝ者もなし。然り而して此一時の快樂を催すが爲には資金を

要すること固より當然の數にして、其由て來る所を尋ぬれば都て富者の囊中より出でざるはなし。或は貧寒の者

とて祝日祭禮等には多少費す所もある可しと雖ども、曾て貧者の之が爲に難澁したるの談を聞かざるは、其得る

所のもの失ふ所よりも厚きが故ならん。蓋し其發起人なる者は必ず富者に非ずして、多くは貧社會の表面に立つ

所の人物より出るを常とす。卽ち地方にては村の若者、東京にては仕事師の親方の類にして、此社會中にては既

に已に富の得て求む可らざることに觀念して自然に自暴自棄の風を成し、却て淸貧洒落を以て誇るの有樣なれば、

祭禮の全權は若者中の最も貧にして最も洒落なるもの卽ち其親方の手に歸せざるを得ず。此輩の協義を以て其入

用を其地方に課するが故に、負擔の富家に重くして貧戸に輕きは固より當然の道理にして、之を要するに祭禮の

騒動は富家の富の鬱積を開て貧者の憂の鬱積を散ずるものと云ふも可なり。是等の點より考れば、在昔市中の火

災を江戸の花と稱したるも、江戸市中多數の貧民が、火事のために己れに損する所は少なくして、一時の變相に

富鬱を開き貧鬱を散ずるの歡びを表したるものならん。我輩曾て云ふ、假に東京にて例年の祭禮を停止すること

あらしめなば、其年は必ず放火の災多からんと。蓋し臆測の空想なれども、社會の秩序を維持するが爲に貧民の

鬱を散ずること果して必要なりとせば、祭禮にても火災にても其功用は同一なる可し。唯我輩は火事を惡て祭禮

の方を取るのみ。                                  〔十月二十五日〕