「貧富論」
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時事新報に掲載された「貧富論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
貧富は相對の語にして際限なし書生は精神を高くして貧を感ず
我輩は前節に於て貧者の苦痛鬱憂を緩和して聊か其禍を彌縫するの事情を陳べ、其貧者をば下等社會の職工役
丁等に限りたれども、爰に一歩を進れば職工役丁以上にも幾種の貧社會ありて、其苦痛鬱憂の有樣は純然たる下
流の民情に異ならざるを見る可し。是亦苦憂解散の方便を要するものなり。抑も人の貧富とは相對の語にして、
富にも際限ある可らず、貧にも際限ある可らず。苟も日に三囘の食を以て胃の俯を滿たし、四時相當の衣服を以
て寒溫に備へ、坐するに膝を容れ、臥するに足を伸して雨露を防ぐの家ある者より以上は、槪して之を富める人
と云はざるを得ず。然るに社會の實際に於ては槪して之を富人と云はず。去年までは裏長屋も住居し、夫婦の間
に三、五人の子を養ひ、實に飢寒に苦しめられたる下等人民が、何か職業に就き、家内子供飢へず凍へずしてして在る
ときは、世間これを評して彼の者は近來大に富みたりと云ふ可きなれども、此下等社會を去て上流縉紳の間に於
ては更に趣を異にし、時として其流の人に貧困極ると稱し、本人の苦心は勿論、他人も亦傍より之を氣の毒に思
ふ程なれども、直に其人に接し其家の有樣を見れば、什器あり衣裳あり、況や食物に於てをや、美酒佳肴にも乏
しがらざる有樣にして、下等社會の生活に比すれば數等の上に位するものおり。一方は衣食僅に飢寒を凌ぐを得
て富と云ひ、一方は尚飽暖の猶豫ありて貧と稱す。左れば貪富とは外物の多寡厚薄に在らずして、其物を以て自
から奉ずる人の品位の高下に由て判斷を下だすの字義たるや明なり。甲を富むと云ふは其人品にしては富むの義
なり、乙を貧と云ふは其人品にしては貧なるの義なり。而して人の品位とは其心の位する處を指したるものにし
て、之を形容すること甚だ難しと雖ども、其一斑を云へば肉體を後にして精神を先にするものを品位高き人物と
して可ならん歟、禽獸の慾は唯食色に在り、人類の所要は此外に際限ある可らず、其要する所愈多くして愈高く
禽獸を去ること愈遠き者を品位高向なる人とは稱するなり。人の品位既に高尚にして心事繁多なれば、其肉體及
び精神に奉ずる所の外物も亦これに相應す可き程に高尚にして繁多なるを求ること、人心の自然にして、若しも
之を求めて得ざれば、外見は兎も角も、其人の内に自から貧窮の感なきを得ず。例へば我國にて封建の制を廢し
たる時に當りて、舊藩々の士族輩が一時大に窮したりと云ふも、其窮や必ずしも下等の土民、坊間の役丁の如く
なりしには非ずと雖ども、租先以來數百年の敎育家風を以て品位の高尚を致したるものが、之に相應す可き家計
を失ふたるが故に窮を感ずるのみ。或は今日の書生輩が窮したりとて、之に向て窮したらば役丁と爲れ、土民と
爲りて糊口を謀れと云ふも、容易に之に從ふの色なく、又勢に於て傍より強ふ可らざるも、畢竟其書生の品位高
尚なるがためなり。人生字を知て憂患多し。書生も字を知り精神の位を進めたるが故に、自から貧の憂を感じて
之を救ふの道に窮するものなり。
人品高くして之に伴ふの富なきは固より苦痛なりと云ふも、是れも社會一般の運命にして、吾れも人も同樣な
れば、強ひて瞑目して忍ぶ可しと雖ども、爰に忍ぶ可らざるは貧富の運命、人の智愚に伴はざるのみか、正しく
非反對の事相を呈し、愚の至極にして富の至極なるものあるの一條なり。凡そ世の富豪にして其創業の主人は必
ず人に擢て、其心身共に他人の得て爭ふ可らざるものありと雖ども、此餘業を承けたる二世三世の子孫に至りて
も心身の活潑なること創業者の如くなるは甚だ稀なり。然るに社會の實際を見れば、法律も習慣も大抵皆富人に
便利なるが故に、容易に其富を失ふ可きに非ずして、却て創業の時よりも增大するものなきに非ず。殊に門閥を
尊び舊物を重んずるの風盛なるときは益富豪の勢を固くして、遂には至愚にして至富の家を保ち、以て世に傲然
たるものあるに至る。斯の如きは則ち富は人品に隨はざるのみか、全く其方向を逆にし、社會の快樂は愚人に奉
じて、智者は身を容るゝの餘地をも得ざるものなり。例へば我封建の諸侯の如き、其創業の主は智勇一世を蓋ひ、
以て家門を起したることなれども、下て二、三世を經れば漸く暗弱の君を生じ、十世を過ぎ十幾世を重ね、德川政
府の末葉に至ては、諸侯の血統は智識才幹の以て一家一藩を處するに足らざるのみならず、其骨格容貌さヘ一種
奇異の相を現はし、一身肉體の獨立も叶はずして、起居眠食の事にまで常に他人の手を煩はすこと小兒に異なら
ず、實にも心身敗頽の極度と云ふ可きものなれども、尚傲然として大名は則ち大名なりしが如し。苟も當時の志士
卽ち人品高尚なる士君子にして、誰れか甘んじて此大名を頭上に戴くものあらんや。憤憂に堪へずと雖ども、門
閥隆盛の時節、如何ともす可らず、唯内に鬱々たりしのみ。蓋し維新政府の廢藩は朝命の至極重くして諸藩主の
至極忠良なるに由りしこととは雖ども、天下の志士が其鬱を散ずるの快心も幾分か與りて力ありしものと云はざ
るを得ざるなり。
人品高尚ならざれば貧窮を覺へず、人生字を知らざれば憂患なしと雖ども、文明の世態を見るに敎育を勸るこ
と甚だ急にして、字を敎へ理を説き、日に月に人品を高きに進めて止まず。表より之を評すれば誠に社會の美事
なれども、裏に囘りて其内實を探れば、字を知るの多きは憂患の數を增し、理を解するの精しきは不平の源を深
くするに異ならざるの情を見る可きのみ。蓋し敎育( 今の所謂敎育)は人の精神を進め、殖産は世の經濟を進るも
のとして、二者相伴ふて歩を共にすれば稍や社會の圓滑を保つ可きなれども、人品の上達は速にして經濟の進歩
は之に及ぶを得ず、精神の位に相應す可き方便、得て求む可らざるなり。之を讐へば文明敎育の人の精神に於け
るは、猶健胃劑の胃に於けるが如し。薬劑其功を奏して胃の壯健を致し頻りに食慾を生じたれども、醫家は唯藥
を與るのみにして食物を給するを爲さず。患者は却て一層の苦痛を感ずることならん。西洋諸國に於ても近年は
漸く其弊を現はし、獨逸の後進學者輩が學校を卒業して活路に窮し、自國に身を立てんとすれば尋常力役者に等
しき給料をも得べからず、精神は天外に高くして生計は地より低き困難に陷り、窮迫の餘り亞米利加等に移住を
企る者多しと云ふも、其例證として見る可し。 〔十月二十七日〕