「貧富論」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「貧富論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

富貴内に求む可らざれば去て海外の地に行く可し

第二、民間の事業を勸めて其地位を高くし、以て有志者の眼を政治外に轉ずる事緊要なり。文明の國事は唯政

治のみに非ず、農工商百般の事業、恰も政治と竝立してふ富貴榮譽の泉源を成し、國中幾種類の名利あるは西洋諸

國の風にして、民心一方に偏することなく、政治家は政を行ひ、農工商家は業を營み、各自其働の餘地を得て窮

窟ならずと雖ども、我日本國の如く社會の百事皆政府の筋に關係を成し、政府敢て干渉せざるも人民より却て之

を促がし、事の大體の方向は扨置き、細目の私に至るまでも兎角其筋に緣故を求るの慣行なるが故に、人民社會

に獨立の富貴榮譽を見る可らず。人民の熱心政府の一方に壓迫して、政府も煩はしく人民も却て利する所なきは、

甚だ氣の毒なる有樣なり。故に今この弊風を除かんとするには、民間の事業に高尚の地位を與へて、人民をして

自然に民業に敬意を表せしむるの勢を養ふこと大切なり。例へば國の農工商にて大事業を成したる者は、其業の

民事たるを問はず、其人の私たるに論なく、大に其功を賞して、政府も人民も其人を遇すること政治上の功を賞

譽するがに如くして當然のことならん。政府も此に心を用ゐ、人民も自然に其風を成して、漸く民業の重きを致す

こともある可しと雖ども、從前の慣行にては人民が事を成すも官に關係あらざれば政府の賞褒を得ること甚だ少

なくして、民間亦これを評論する者もなく、稀に或は賞讚せらるゝも、百姓町人にしては神妙なり奇特なりと云

ふに過ぎず。品格高尚なる人物を滿足せしむる爲には尚未だ足らざるなり。

第三は後進の學者有志者に適當の事業を授ることなり。學問の地位を上げて學者の品格を高くすれば、身に奉

ずるの實物は自から之に歸す可しとは前條にも述べたれども、尚この上にも心を用れば、學者の身に叶ふて兼て

公益とも爲る可き事業を撰び、專ら之に從事して隨て生計を得せしむるは、其憂欝を散ずるの一法なる可し。例

へば大辭書を作りて日本の語法を定め、歷史を編纂して古今の事實を明にし、内外の法律書を調査して實用の参

考に供し、諸般の物理を講じて發明工風を促す等は、固より獨立國の當さに務む可き文事にして、之がために國

財を費すも愛しむに足らざれば、今身に藝能を抱て業なきに苦しむ輩を集めて、是等の事に心を專にせしめたら

ば、其事は素より得意にして、生計を得るの道も亦美なり、心中の積鬱忽ち消散して、復た政治社會を顧ること

なかる可し。瑕令ひ或は此輩が尚政を談ずるも、其談自から高遠にして、今日の爲政を妨げざるのみならず、所

謂學者流の政談なれば、間接に國を利すること大なる可し。一方には學者が國の文事を進めて、一方には爲政家

が政を行ふの閑を得べし。之を一學兩全の謀と云ふ。在昔大淸の康煕皇帝が定業の後ち、大に天下文學の士を集

めて諸書編輯の事を企て、又彿蘭西の「ナポレオン」帝が歐洲各國より法律學士を聘して佛國律を作らしめたるも、

常時固より國の爲に其書の要用もありしことならんと雖ども、又一方より二帝の心事を察すれば、創業の際、事

の善悪となく、物論兎角喧しくして、往々施政の妨げを爲すことも少なからざれば、其議論の最も喧しき者を拔

て方向を他に轉じ、同時に生計の豐なるを授けて先づ心情を安からしめ、其閑を偸て自家の政略を逞うせんとす

るの策なるが如し。英雄の方寸、窺ひ得て益微妙なるを知る可し。

第四は人品高くして藝能ある學者輩をして外國へ寄留せしむる事なり。我輩の毎に云へる如く、日本は開國以

來、大に敎育を奬勵して學者の數は次第に增加したれども、殖産の進歩は教育に伴ふこと能はずして、今日の有

樣にては我國事の割合にして學者に餘りあるが故に、有餘を外に出すの主義に從ひ、其外國行は甚だ策の得たる

ものならんと信ず。且又人情として自國の事を自誇するは世界中の常にして、人にても物にても自國に生じたる

ものは善きやうに言ひ囃すの習ひなれども、又一方より視察すれば、手料理は美ならず、自園に出來たる芋は旨

からずの意味にて、自國に生育したる學者も、死後はいざ知らず、其存生中は兎角同國人に重んじられずして、

其國に何か事あるときは却て他國の人を用ることあり。是亦人の私情なれば、此私情に訴るときは、自他の人物

を比較して、假令ひ同等の價あるも、他國人を先にして自國人を後にする方、實際の都合に叶ふて便利なること

多し。殊に日本の文明は日尚淺くして、未だ學問の勢力を成さず。世上一般に學者が事を執りて、其平生

は唯人事の參考に供し、學者も亦其器械として時に利用せらるゝのみ。蓋し後進の學者が事務を執りて、其平生

學び得たるものを實際に試み、例へば經濟學士が經濟を司どり、工業學士が工業を指揮するなどの風を成して、

社會を學問上に調理せんとするが如きは、迚も數年に望む可きことに非ざれば、斯る望なき時勢を見て徒に歳月

を費し、心身に奉ず可き生計をも得ずして却て他の富貴を羨み鬱憂煩悶して求む可らざるを求るは、一艘の渡

海船に無數の乘込を求めて、人をも妨げ自分をも苦しむるに異ならず。智者の事に非ざるなり。眼を轉じて太平

洋の彼岸を望めば廣大なる新世界あり。殊に其北米合衆國は土地廣くして人少なし。毎年歐洲人の此に移住する

者四、五十萬人に下らずと雖ども、之を容れて尚足るを覺へず。既に本年八月中獨逸より移住したる者二週間に

一萬二千人の數あり。盛なりと云ふ可し。天然豐饒の新地に文明の熟手段を施し、其富を增すこと際限ある可ら

ず。人民隨て富めば事業も亦隨て起り、今日は正に事多くして人足らざるの有樣にして、恰も日本の國情に反對

するものなれば、我後進生の身體屈強にして多少の藝能あらん者は、決然渡航を企るこそ男兒の擧動なれ。地に

根を卸したる草木にても尚且處を移す可し。况や人類は動物にして動くに易きに於てをや。尚況や汽船汽車の便

は此動物に翼を附して飛揚せしむるに於てをや。雄飛、平生の伎倆を逞うして、富貴を海外に求む可し。何ぞ生

誕の小乾坤に蟄して婦女子の癡愚窮窟を學ぶを須ひんや。唯當さに自から進て取る可きなり。

我輩は今の學者有志者の鬱憂苦痛を慰撫するの愚案を講じて四策を呈したれども、其三策の如きは實際に行は

る可きや甚だ覺束なし。第一に學問の地位を高くし、第二に民業の地位を高くす可しと云ふも、天下の人心學問

に向はずして之を度外視し、農工商の事業を賤しんじて舊時の面目を改めざるときは、學者の流が何と煩悶する

も依然として無力のものたるに過ぎず。況や俗世界中には今の學者を見ても尚且活潑に過るとして聊か嫌忌の念

を抱き、彼の輩が今日の貧困に居て既に斯の如し、然るを殊更に其地位を上げて隨て資産に豐なるの道を得せし

めたらば、其傲慢不遜遂に制す可らざるに至らん、況や學者に兼て農工商の流が社會の表面に頭角を現はして政

治社會に等しき榮譽を得ることもあらば、玉石混淆して迚も世事の秩序を維持することは叶ひ難し、今の要は之

を混淆せずして寧ろ其分界を明にし、益貴賤上下の分を燦然たらしむるこそ急なれとて、専ら其邊に心配する者

さへある世の中なれば、右一、二策の行はるゝは甚だ期し難し。又其第三策、學者有志者に事業を授るの法は、事

の性質に於て聊か卽金を要するものなれば、策の當否に論なく、今の時節柄には先づ以て易からざることならん。

唯最後第四策の外國寄留は、當局の本人が一心を以て決斷す可き性質のものにして、毫も他に依賴するを要せず、

純然たる獨立の事なれば、苟も學者にして眞に學藝の賴む可きものを抱き、有志者にして眞に雄飛の志あらん者

は、今日心に決して明日これを行ふこと易し。故に我輩は特に第四策を勸告するものなり。  〔十月三十日〕