「商機一刻價千金」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「商機一刻價千金」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商機一刻價千金

古人の言に自から起きて好機會を作れと云ふことあり盖し世歩艱難は古今の常態にして苟

も身を立て家を起さんとする者は坐して幸の至るを待つこと勿れ日夜心を用ゐて怠ること

あらざれば此艱難の中にも自から名利は得べきものなりとの意味ならん左れば今日我國の

有樣を見るに近年は商况不景氣と稱し地方農家の貧困は目も當てられぬ次第にして隨て都

鄙商人の衰弱を致し金融も閉塞し工業も廢止して國民の上下雅俗の別なく一樣に難澁なり

とは誰れ人も蝶々する所にして事實相違もなきものゝ如し此時に當りて有志有智の輩殊に

商業に關する人々は必ず樣々に工風を運らして立身の道を求め斯る艱難の其中にも名利の

博す可きものは決して之を看過することなく活溌に運動することならんなれば我輩書生の

傍より喙を容る可きに非ざれとも爰に近日書生の眼に見ても不審と申すは彼の佛清の事件

に付き我日本商人の沈着にして其擧動甚た鄭重なるの一事なり抑も此事件は我隣國の支那

と佛蘭西との間に何か不和の次第ありて既に双方より人數を出し東京福州台灣の邊にて

折々發砲の事共ある由なれとも全くは両國の談判手荒にして折節腕力を用ゐて各其國論を

主張すると申す位のことにして公然たる戰爭には非ず左ればこそ両國共に未だ宣戰の沙汰

に及はず他の與國に於ても局外中立を布告したるものなし即ち我日本政府に於ても本月二

十八日外務省よりの告示ありし其趣意は佛國水師提督「クルベー」氏は本國政府より臺灣

の數港を封鎖す可き命を受けたり又同提督は本月二十三日より右封鎖の事を實行したりと

の趣を日本駐箚の佛國公使より我政府へ通知ありたるに付心得のために日本人民へ知らせ

置くとの意味にして是れは兎に角に我與國にて港口を封鎖するなどの事件を其政府より我

政府へ通知したることなれば外務省にてもこれを等閑に附せずして日本人民へ告けたるは

如何にも至當の處置にして實に日本人の心得居りて然る可き事なれとも此告示は唯臺灣島

一二港の封鎖を告くるに止まるものにして佛清事件の大体に關し我日本は局外中立など云

ふ布告には非ず故に我々人民は佛清の葛藤を風の便りに傳聞こそすれ公然たる日本國民の

資格に於ては南國の交戰を知らず、佛と清との關係を視ること佛と英と清と米との交際を

視るに異らずして交際安寧太平無事の目出度きものと認るより外ある可らざるなり然り而

して太平無事の世に勉強す可きは商賣にして内外の事情を通覽して苟も物を買ひ物を賣る

可き塲所と機會とあれば先を爭ふて之に進むこそ商人の當に務む可き本職なれば今日我内

國不景氣の時に際して何れか海外の地に賣買の好機會はなきやと尋るも亦商人の至情なら

ん然るに我輩これを風の便りに聞く云く近來佛蘭西と支那との間に新事件を生して佛より

頻りに軍艦を差向け支那の沿海に出沒して其兵員少なからず支那人も亦これを防禦すると

て人數を催ふし海岸の要を警め各處に砲臺を築き兵器糧食の用意正に其最中なりとぞ此風

聞にして果して事實ならば日本の商人は片時も默止する塲合には非ざる可し佛人にもあれ

支那人にもあれ之に向て目下要用の品を賣込むは我商人の爲に最上の好機會ならん宣戰の

公布を聞くまでは雙方に武噐弾藥等を渡すも仔細なきことにして既に英米人の如きは何も

憚る所なく支那の開港塲に武噐を持來りて支那人に賣渡し又英領の香港にては佛艦の修繕

さへ引受けたるとのことなれば日本人が何品を賣ればとて何の掛念する所ある可きや極々

臆病にして武噐丈けは遠慮するも佛蘭西の方は既に臨時に何十艘の兵船を東洋に出し又近

日の報告に據れば佛政府は東京及び臺灣に向て強大なる援軍を送遣する(十月廿九日時事

新報)とのことなれば其幾千人の兵士に供する一切の需用品をば支那の開港塲にて買入

るゝことは叶はず去りとて逐一本國より貯へ來るも大造にして又或は貯ふ可らざる品物も

多からんなれば手近く日本より相當の品を仕入れて其急須に應するは買ふ者のためにも賣

る者のためにも雙方の利益なる可し又支那の方にても人心何となく騒々しければ自から物

價に差響き俄に騰貴したるものもあらん又下落したるものもあらんが故に貴きものは之を

賣り安きものは之を買ふ可し凡そ商人の身として商賣一方に眼を注くときは世の治安は左

まで關心するに足らず却て世に變あるこそ得意の時節と云ふ可き程の事にして况して隣國

彼岸の事變、心配はなくして利益は望む可し數年の不景氣中意外の僥倖ならずや然るに我

輩は本年夏佛清の事件を聞てより今日に至るまで東京横濱其他各地各港にて日本の一商人

が特に支那地方に出掛け特に今回の機會を利して商賣を試みたるものあるを聞かず盖し商

人社會の用心深くして着實鄭重なるものならんと雖とも着實鄭重は遲鈍愚魯と相隣する字

義にして我輩は之に感服すること能はざるものなり試に我日本と西洋諸國と地を易へて東

京横濱を英國の龍動米國の紐育ならしめなば如何ん四方一帯水を隔てゝ奇貨居る可きの好

機會あり東海の龍紐商人は必す着實鄭重ならざるを信す如何となれば此商人等は東海にあ

らずして遠く西洋萬里の地に在るも尚且今日商機を空うせずして事を爲しつゝある者なれ

ばなり氣轉活溌なりと云ふ可し今を去ること二十餘年我國に攘夷の事ありて長州侯が下の

關に異國船を打拂はんとする其時に當りて日本在留の外國商人某が此事を聞き攘夷とあれ

ば必ず船艦銃砲の入用ある可し時運こそ目出度けれ大に之を長州に賣渡して益攘夷を盛な

らしめ益軍用品の缺乏を覺へしめて賣捌の奇路を開かんとて〓〓に手寄を求めて周旋奔走

し古船小銃など隨分良〓價〓以て〓〓けたることありと云ふ今にして考れば其事の正否は

姑く〓も〓に乘るして奇策を運らすの膽力〓〓〓〓〓〓〓りて〓人意表に出るものと云は

ざるを〓〓〓〓西洋人の〓を〓〓見れば日本は恰も其敵國の〓〓れ〓商賣に當りては敵と

味方との論なし唯品物を〓〓〓〓〓〓れ〓〓〓商家の本願成就したることならんのみ

右等の談は危險中の奇策にして沈着鄭重なる日本商人に向ては敢て望む可らざる事とする

も今回の事件は其商人が平生より從事する尋常一樣の商業に影響すること少々ならさる可

し佛清の取合ひ一緩一急例へば呉淞港口の〓〓臺灣〓〓の緩巖、佛艦北上の遲速等其他都

を〓〓〓開港塲の〓〓は一として我商况に利害せざるものとし生糸製茶の輸出、砂糖の輸

入、北海道物産の相塲等何を〓〓として見込を立るや失敬ながら今日の處にては〓漠然た

ることならん左れば單に是等の事情視察のためのみにても我商人は必ず外出を要するの時

節ならずや商機一刻價千金、時を空うして悔ふること勿れ