「耶蘇教国」
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時事新報に掲載された「耶蘇教国」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
耶蘇教国
左の一篇は八月廿六日附にて在英國倫敦の某氏より寄送し來りたるものなり宗敎上の道理
の爲めにあらずして國際上の方便の爲めに日本が耶蘇敎國たるの必要を論ずる所の如きは
最も我輩の意を獲たるものなり 時事新報 記者
耶蘇教國 在英國倫敦 某
人間世界は出ると入るとの境い目なれば之れに處するの方法は世間一般の交際を取ると棄
つるの二つなり世界の交際が嫌ひとあれば山に這入るに如くはなし山に入りても飯を喰ひ
衣服を着てはやはり他人と交りを爲さ子ばならぬゆへ赤裸にて蕨を喰つて死ぬより外は仕
方なし
赤裸にて死ぬと云ふ人々は置て論せず苟も生きて世界の幸福を享けたしと云ふ注文ならば
世間並の附合ひを爲さゞる可らず附合ひを爲さんとならば風俗萬端人並みに爲さ子ばなら
ず世間が藍染めの衣服を着るに自分獨り柿色の羽織を着用するは交際を知らざる人なり
國民の衣服とも申す可きものは宗敎風俗なり宗敎と風俗とはその字面同じからざれども余
輩の眼には宗敎はたゞ風俗の一部分と見ゆるなり而して今の世界は歐米各國の世界にて隱
居役の支那人や小作人の印度人は算用の外とし歐米の國民は何色の衣服を着用するやと云
ふに耶蘇敎と云ふ一種の色なり假りに耶蘇敎を以て藍染めとし佛道を柿色と定めば今の流
行は藍染めにて柿色を着るは例の隱居か小作人に止まるなり勿論この藍と柿と何れが勝れ
りやと問答するも詰まり一塲の水掛論に終り到底是非の論决は六ケ敷かるべく或は局外よ
り見れば柿染の方が却て高尚ならんも知るべからず併しながら何分にも高尚なる世間外つ
れなる時候後れなる色なるがゆへに今の世間に交はらんとするには是非とも先づ柿色の衣
を脱して藍染の羽織を着服すること最も肝要と申す可し
只今も一英人と物語したるに英人曰く當春埃及の屠殺と云ひ此度佛清の戰爭に佛兵の擧動
慘酷なり抔取り取りに噂すれどもこは一概に當局將校の罪に非ず接戰の際に兵卒どもが東
洋人を草木蛆虫の如くに心得人を殺すことを何とも思はぬが故なり平日に在ても全体に歐
洲人が東洋に往て兎角不人情の擧動あるは皆宗旨の異なるが爲めなり宗旨の異なるが爲め
に人を卑むと云ふは言語道斷の事なれども不學の商人や無智の兵卒なれば詮方もなし東洋
人に對しては誠に御氣の毒の至りなり云々
右は事枝葉に亘りたる一塲の茶話にして直ちに余輩の憂ふる點には非ざれども國と國との
交際に於ても必ず同樣の歎あるべし例へば條約改正の如きも歐洲人が腕に力瘤を入れて是
非とも之を拒むなど云ふことの有るに非ず寧ろ心頭に懸けず打捨て置くと云ふ方なり日本
人の想像する如く我要求の問題に關し兵力の強弱を問ひ富の有無を穿鑿したる上さて「グ
ラツドストン」氏が聽かぬの「フエリー」氏が承知せぬのと云ふ樣なる大きな話しに非ず
唯何と無く交りが薄くして俗に所謂る日本人の寄附きがよろしからぬなり寄附きをよくし
て交りを深くせんには先づ宗旨の名目を改めて揃ひの浴衣を着用すべし余輩が名目と云ふ
は眞の名目にして正味の御信心は何にてもよし唯表向日本は耶蘇敎國なりと一應世間へ披
露
讀者中御異論の御方も有るべければこれより讀者の意中を忖度して少しく陳述すべし而し
て此異論家を無宗敎家と佛敎信家との二つに區別致さん
無宗敎家は其心水の如く淡冷なり既に水の如くなる以上は宗旨は何にても便利に任せ世間
並みに爲して可なり佛壇をほり出すとか十字架をへし折るとかする樣の事は甚だ角立てよ
ろしからず或は我れは無信心なりと態々聲高かに披露するも甚だ圓滑ならず歐洲にても中
等以上の人にて眞實に宗旨を信ずる人何程ありや大抵皆御多分に附きて先禮も受け妻子を
も寺にもやるなり年頃の娘を持てば寺に參詣せしむるは縁組の一端にもなるべく讃美歌を
唱へしむるは藝の一つなるべし又日本にて古來儒者が其安心の地は孔孟の聖敎なれども矢
張佛事を營み墓参參をなし香華を手向くるなど誠に有り勝ちのことにして其氣象渾然たり
山崎垂加中井積善抔が宗旨を攻撃したるが如きは甚だ穩かならず又甚だ拙なし世間の交際
に迂濶なりしこと推して知る可しされば内心は兎も角も差當り耶蘇敎と云ふ名目に爲し置
くは甚だ便にして妙ならずや
次に佛道家なり是れは二つに分れたり即ち眞宗と禪家なり其他色々聞及びたれども先つは
眞禪兩家が両方の極度に在るかと思はる
禪家の宗門は敎外別傳單傳心印などゝ甚た高尚に覺ふ葢し西洋の哲學(フイロソフイー)
なるものなり哲學の眼より見るときは宗旨などは卑近のものなり一たび此眼光に照らせば
眞宗の阿彌陀も耶蘇敎の神(ゴツト)も同しものに相違なし但し眞宗は釋迦に縁あるゆえ
親しむべし耶蘇敎は先租を同しくせざるゆえ疎ずべしと云はんか哲學にも似合しからず惑
ひと云ふべし阿彌陀經は漢文なれども「バイブル」は洋文なるがゆえに嫌ふと云はゞ不立
文字の法門に合はざるべし兎角眞宗も方便なり耶蘇敎も方便なり御多分に付き便利の方が
しかるべし
さて其次が眞宗なり此人々に向つては决して改宗を勸むること能はず唯一言すべきことは
我日本に耶蘇敎の行はるゝは事物自然の勢いと觀念し國の爲めと思ひて騒動を起さゞる樣
靜かに御念佛申して專ら自分の後生を大事にすべし親類朋友が耶蘇敎になりたればとて决
して癇癪を起す可らず是れ即ち柔和忍辱の敎へにして阿彌陀如來の御本願なり
右の如く逐條に論したれども余輩の議は必ずしも日本國民の多數を耶蘇敎に入れしめんと
の主意に非ず少數にて足れり百人に一人くらいにてもよし唯表向き耶蘇敎國の名を冐せは
夫れにて事足るなり偖日本が耶蘇敎國と爲るの順序を申せば戸籍上に宗旨は耶蘇敎と明記
することを許し耶蘇敎の儀式を以て公然葬送を營むことを許し耶蘇敎徒中に敎導職を設け
て佛敎に異なる所なからしめ(記者曰く此寄書は英國を本年八月廿六日に發したるものに
て同月十一日日本にて敎導職を廢し更に五條の新令を定めたるの報知を未た聞くに及はざ
りしと知るべし)夫れよりして追々中等以上社會に勢力を有する人々をして先禮を受けし
むるに在るなり余輩は萬國交際上に於て日本が耶蘇敎國の仲間に入る事の甚た大切なるを
信するなり