「布哇に行かず米國に行け」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「布哇に行かず米國に行け」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

布哇に行かず米國に行け

布哇國の總領事「アルウヰン」氏が同國政府の特派理事員に命せられ布哇諸島へ日本國人

移住出稼の事に盡力する由一たび世上に傳播するや目下内國の不景氣に呻吟しつゝある幾

多の農民職人等は大旱に雲霓を望むの心地して相爭ひて氏が門を叩き渡航移住の事を依賴

する者幾百千人の多き晝夜間斷なく爲めに領事舘前の賑ひは開道式に讓らずと云へり亦以

て人心の趣向實に驚くべきものあるを察するに足るなり

近年日本全國の不景氣は年に月に其劇烈を加へて未た?退の跡なく又回復の兆候なし就中

本年秋冷の催すと共に民間窮迫の?况漸く惨〓を加へ或は農民にして納税の義務を全くす

ること能はず一村幾百戸軒を並べて公賣處分を受る者あり或は〓民中心得の宜しからざる

者は貧困の苦痛に遭ひて省みてこれを己れの身に求むることを爲さず悉く皆他人のこれを

爲さしむる者ありと妄想し坐して餓死を待たんより寧ろ此方より手を出し運を天に任せて

萬一の僥倖を試み結局仕損して野山に屍を曝すとも生前に居村の酒蔵に乱入し隣村の質屋

に踏込みて幾分か我鬱憤を晴らすの愉快あるべしなどゝて無分別にも又乱暴にも席〓竹〓

以て同類を嘯集し竹槍〓銃以て良民を威嚇し郡吏警察官の説諭にも服せず白晝盗賊の所業

を爲して憚らざる者あり或は又士族にして負債償還の義務を果たすこと能はず債主の督促

に止むを得ず娘を賣り妻を賣りて一旦の急を免かるゝも到底淸完の目的なく落膽困迫の餘

り性急なる者は家傳の寶刀を借り自から其頸を刎ねて此世の苦惱を忘れゝもあり思慮窮ま

り謀足らざる者は三十六計出る處を知らず夜陰に乘し獨り逃亡して行く處を知らざるもあ

り其?態迚も一々寫すべからず又一々見るに忍びず滿目唯人をして轉た酸鼻に堪えざらし

むるものゝ外に見る所なしと云はんのみ

民間の?况實に斯の如し故に金を出して移住民を募る者ありと聞き先を爭ひてこれに應し

唯後れんことを是れ恐るゝ有樣あるは甚だ當然の事相にして恠しむに足るものなし我輩此

人々の爲めに謀るに布哇國移住の事は甚だよき思立ならん身体健康筋骨強大能く農事雜役

に服して金を儲け得るの覺えあらば决して日本國内に蟄居して凍る餓自から死を待つの不

甲斐なき擧動を爲すを須ひず宜しく速かに布哇に航し男は甘蔗畑を耕し女は衣裳を洗濯し

て豐かに生計を得るの工風を爲すべきなり生れて日本國民と爲り?鳴きて起きて野に出で

山に入り日の暮るゝを見て星を戴きて返る耕耘に樵蘇に夏日の暑きを知らず冬日の寒きを

覺えず周年三百六十日敢て一日も逸樂を思ふことなきは實に勉めたりと云ふの外なし然る

に此勤勉を以てすら尚ほ未だ糟糠に飽くを得ずとありては其罪農民其人に在らずして寧ろ

我日本國に在ることならん今此勤勉を以て安堵衣食を得るの地方あらば何ぞ國の内外を問

ふことを用ひん早く其樂土に就きて人間生涯の天然を全くするは明白に智者の事たるべし

然るに我輩の聞く處に依れば今回布哇移住の志願者中には純粹の農民又は職人などの外に

壯年有爲の書生又は紳士然たる相貌の人々も多しと云へり思ふに必ず事實ならん今の全國

の?况を察するに洋行は書生の大望にして又有爲の士の大に志す所なるが故に布哇も亦一

個海外の國なりとしてこれに赴かんことを希望するにてもあらん我輩は元と一?に布哇移

住を悦はざる者にあらず然れとも此流の志士に向ては特に一言の忠告を爲すの必要あるを

感ずるなり此等の人々を見るに多年の敎育を以て身に高等の識藝を備へ家産又必ずしも窮

乏ならず數十圓或は數百圓の金を用意して一時の費用に供せんとするは隨分其力に叶ふ者

多し然れとも海外に渡航して十分身を立つるまでの資金に乏しきを以て一時蠖屈兎も角も

外國に在て力の及ぶ限りの業務を執り先づ衣食を得て傍ら餘財を蓄るの工風を爲し追て其

志を大成するの期を待たんとする者に外ならざるが如し今此等の人々にして布哇を以て其

志を成すの地と定むるは撰擇頗る其當を失したるものと云はざるを得ず試に布哇の地形國

情を見に弾丸黑子の小嶋嶼日本と米國との中間人間世界を去る數千里外の洋上に僻在し桃

源の春はあるも世界文明の風雨を知らず一年僅かに指を屈するに足る程の船便を以て米國

桑港より來る郵書に接し始めて纔かに世界の形勢を聞き得るに過きず海庭〓〓の世界と相

通するものなきが故に何程重要の事にても其日の出來事を其日に知るベき工風なく日本米

國の間に定期航海の郵船とても〓有の塲合を除くの外は空しく此群島の前面を通過して相

顧みざるを例とせり諸嶋の人口總計五萬八千人此内四千五百人は歐米より移住したる白晳

人種なり歐米人斯の如く割合に多數なるが故に嶋中此人々の輸入したる文明の噐具に乏し

からず數艘の汽船あり數里の鉄道あり電信線あり傳話線あり郵便あり學校あり四千人の陸

軍あり立憲君主政治ありて王室と上下の議院ありと雖とも此等の諸件を除くの外は其地味

地形氣候風俗等大抵は先つ我沖繩縣に髣髴たるものと云を不可なかるべし有爲の志士にし

て此島に來り目前何の成すべき事業あるや後來何の期望すべき好目的あるや三年甘蔗畑に

勞作して餘財一二百弗を蓄るを得ん此金を資本とし此業を楷梯として更に又何等の好地位

に達せんとするか布哇全群島中恐らくは更に達すへきの地位に乏しからん然ば又例の如く

甘蔗畑に從事し三年又三年遂に半生を空過せんか斯の如きは則ち尋常百姓の事にして我輩

が敢て志士諸君に望む所は布哇行にあらずして米國行に在り米國は土地廣く事業多く又近

時文明の一中心たり身既に健康にして又識藝の恃むに足るべきものあるの壯士は米國を棄

てゝ天下又行くべきの國土なしと我輩の常に信して疑はざる所なり區々たる布哇の甘蔗畑

何ぞ敢て我志士を勞するに足らんや志士諸君一考して可なり