「政治は其性質を見て是非を斷す可らず」
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本文
政治は其性質を見て是非を斷す可らず
近來西洋に政治新論あり其大意に云く政府たるものは固より壓制を行ふ可らずと雖とも人
の心の同しからざること其面の如くなるものを集めて一社會と爲し毎人に滿足せしめんと
するは迚も叶はぬことなり是に於てか樣々に手段を工風し或は國民中より代議士を撰擧し
て政事を議せしめたらば公平の塲合にも至るらん歟とて國會に權力を附して所謂民庶政体
に爲したるものあり例へば英國米國又近年の佛國の如き是なりと雖とも此政体が决して公
平なるものに非ずと申すは初め其代議士を撰ぶときに人民の不注意無頓着なるは勿論のこ
とにして且凡庸愚人共の眼を以て智者を鑒定す可きに非ず良しや幸にして才智活?なる人
物を撰び得たりとするも其人物が當撰の後必ずしも撰擧人に深切を盡す可しとも思はれず
先つ心頭に掛るものは一身の功名榮譽にして都合に由りては如何樣にも説を作し人民の利
害をば勝手次第に左右することあるが故に其事實を云へば撰擧人等は最初より己れを空う
して代議士に打任せ、當局者一個の隨意に事を議せよと己れの權利を投け出したるものに
異ならず其性質不公平なりと云ふ可し尚其上にも代議政治の不利は代議士等が國事のため
に身を役するには非ずして身のために國事を利用し國事の蔭に居て我意を爭ふの事情多き
が故に針小の利害を口實にして國の大計を妨け一論一駁小兒の戯を以て時日を空費し國財
を失ひ事機を誤ること少なからず迂濶なりと云ふ可し
代議政治は外に公平の名を賣りて内に壓制不公平の實を含み、國の人民活?と稱して政府
の擧動は甚た遲鈍なり之に反して君主政治は明君賢相の英斷を以て事を處し君相の心は恰
も天下の公議輿論を寫出して國民の多數を代表するが故に民利國益を謀りて深切ならざる
はなし左ればとて萬民の多き一より萬に至るまで殘りなく滿足を得せしむ可きには非ざれ
とも本來政治の性質に於て免かる可らざることなれば其施政時として公中の旨を失して壓
制に似たることあるも其壓制や條理の存するものありて代議政治に於ける小兒の戯に非ず
盖し収斂自から奉じ下民の膏血を絞りて奢侈の用に供するなど云ふは往古野蠻流の壓制、
俗に所謂壓制の野暮なるものにして今の開明の世に通用す可らず故に代議政治も君主政治
も共に壓制は免かる可らざるものとして觀念するときに人民の身として何れの壓制を擇ぶ
可きや君主政治の壓制は簡單にして其出處一なり代議政治の壓制は複雜にして本源一なら
ず或は之を許して一君の命に從ふと多君の制を受るとの相違あるものと云ふも可なり自由
の人民は一君に奉ずるも尚且時として不平を鳴らす况や幾多の君を其頭上に戴くに於てを
や必ず悦ばざる所ならん且又君主政治の擧動は常に活?にして事を决するに〓〓るが故に
百般の國事に就き費用は少なくして成〓は〓なり殊に其外交外戰に於けるが如き臨〓〓〓
を要するの塲合に當りては衆〓〓〓の遲澁不活?に比して萬々同日の論に非ざるなり云々
以上は政治新論の大意の又其?略にして目?とも云ふ可きものなり且この論説特に近代の
?明にも非ざれとも昨今歐洲に於て獨逸墺地利を中央として其近方に漸く流行するを以て
新論の名を附するのみ抑も政治學は學問に非ず天然の眞理原則を根據にして世界古今同一
の因を以て同一の果を致し水の常に低に就き火の常に炎上するが如き寶物の性質と働とを
論じて其微妙の部分に至るも曾て誤ることなきもの之を學問と名づくと雖とも政治は古今
に異なり各國に同じからず其人民の習慣に由り其爲政の人物に從ひ何れを便利とし何れを
不便利とす可らず同一の政治を施して害を爲すの例は古今此々皆是なり例へば露の政を英
に施し米の法を支那に用るが如き必ず不利ならん或は獨相「ビスマルク」公の政略を欽慕
して之を他國に寫し行はんとして其國に獨帝と「ビスマルク」公あらざれば蒸氣機關の働
を見て之に心醉し機關は買入れたれとも石炭を忘れたるが如し政治は决して學問に非ざる
なり盖し此政治新論を実施して大に其功を奏したるは獨逸國にして上に「ウヰリヤム」皇
帝の英明あり輔るに「ビスマルク」公の智勇を以てして萬機意の如くならざるはなし全國
兵の制度は益嚴にして四隣に轟き丁抹に克ち墺地利を破り其餘勢遂に佛蘭西征伐の大擧と
爲り國帝を擒にして二州の地を割き歐洲の大陸向ふ所に敵を見ず、外政の盛なること斯の
如くにして内治亦怠るに非ず學問の事、商工の業近年著しく進歩の實功を呈して他より爭
ふこと能はざるもの多し世論或は之を目して壓制政治と稱し口頭筆端の攻?少なからずと
雖とも俗に所謂論より證據にして近時の獨逸に富國強兵の實證あるを如何せん是に於てか
彼の民庶政治に有名なる英國米國の如きは獨逸に對して兵馬の戰爭こそなけれとも政治上
の主義に於ては全く反對の位に居て氷炭相容れざるものゝ如し例へば本年春獨逸の國會議
員にして自由政治論者なる「ラスカル」氏が米國に死去したるとき米の國會議院は弔慰の
意を表して公書を獨逸政府に寄送せしに「ビスマルク」公は大に怒て之を拒辭したること
あり又獨露墺の三帝は何事を談語するため歟、近來毎度會向する其會席に英皇は曾て之に
參からざるのみならず英政府にては政權擴張と稱し國會議員撰擧の區域を廣くして其權限
を一層の下流まで及ほさんとするは益民政の主義を執て動かざるものならん君主政治と民
庶政治と我輩固より其孰れか是なるを知らず是非は唯其人に存し其習慣に存するものと云
ふ可きのみ獨逸帝政の富強は今帝と宰相との人物に由り、英米民政の繁榮は其習慣の致す
所なり故に他山の石に玉を攻めて自國の政を改良せんと欲する者は自國に獨逸の君相を得
て始めて獨逸の政を行ふ可し、自國の時運英米に類するを見て始めて英米の政を學ぶ可き
なり