「日本は東洋國たるべからず 一昨日の續」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本は東洋國たるべからず 一昨日の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本は東洋國たるべからず 一昨日の續

扨て茲に其論旨の方位を變じ改めて諸君に問ふべき一事あり曰く諸君は永く東洋人たるの

位置に居て未來永遠歐羅巴人の爲めに侵辱を蒙り其制御を受けんことを欲するか將た出來

べき事ならば東洋亞細亞の境界を脱して歐米の仲間に加入し以て未來の苦を免かれんこと

を欲するか人或は云はん自由の主義漸く天下に行はれて四海兄弟萬國同權の義將さに其實

効を奏せんとし已に彼萬國平和會の如き即ち此主義の形に顯はれたるものなり去れば亞細

亞に在ればとて何ぞ濫りに歐人の爲めに窘めらるゝの理あらん腕力を以て理を非に曲げ兵

力を以て弱きを壓するが如きは往古野蠻の風習にして第十九世紀の今日に在ては復たある

べからざるの事なりと嗚呼これ何の言ぞや自由の主義天下に行はれざるにあらず萬國平和

會の企圖なきにあらず學者中往往四海兄弟萬國同權抔の説を唱ふる者尠なからずと雖も其

自由主義なり萬國平和會なり四海兄弟萬國同權なり其行はるゝ所は獨り歐羅巴内に限りて

未だ其他に及ばず英國の埃及に對し佛蘭西の支那に對する其有樣を以て果して四海兄弟の

慈愛心に出でたるものと云ふべき乎歐羅巴内に在てこそ稍々自由同權の説も行はるゝに似

たれども此歐羅巴が一体となりて亞非利加の蠻民亞細亞の惰民に對する時は更に其痕跡を

も視ることなし固より歐人と雖も悉く惡人のみにあらず一人一個の交際に於ては其風采慕

ふべきの士君子に乏しからずと雖も此士君子なるものも其國の情實に制せられて一身の私

德を恣にすることを得ず東洋の弱國を強迫して其土地を押領するは天理に背き人道に反し

天人共に容さゞる所なりと萬々心に承知することなれども萬國國を建て獨立の体をなして

互に其國力の強弱を爭ふ以上は復た區々たる私德に拘泥すべからざるは勿論時宜wに依て

は天理にも戻り人道にも背かざるべからず佛國が東洋に向て其權力を擴張し頻に弱國を征

服するの状を視て英國は袖手傍觀之れに滿足することを得べき哉四海は兄弟萬國は同權佛

國の支那征伐は道德に於て許さゞる所なれば决して羨むべき擧動にあらずと云え其説に立

つべけれども此主義に依賴して永く英國の權勢を持張するは難かるべし去れば佛國が東洋

に向て其國威を擴張すれば英國も亦之れを擴張せざるを得ず是れ所謂其國の情實なるもの

にして其間一毫の私德を容るべき塲所なく恰も衆善人が此の無形の情實の爲めに刺戟せら

れて不得止惡行を〓〓ものなり故に國と國との交際に至ては其國民の私情私德に依頼すべ

からず之れに依頼して國の大計を誤るべからず去れば吾人が亞細亞人なり東洋人なりと自

稱して亞細亞諸國と並行し支那は我隣國なれば必ず共に事を爲さゞるべからず印度も亞細

亞の一部分なれば共に佐けて英人の虐政に抗せざるべからず抔唯亞細亞と云へる名目に拘

泥して未來永遠東洋人たるの地位を離れざらんとする以上は歐人の爲めに窘められ歐人の

爲めに奴役さるゝは復た疑を容れざる所なり殷鑑遠からず安南東京支那を視て知るべし去

れば東洋亞細亞の仲間に居て之れに滿足する以上は歐人の爲めに窘めらるゝ者なりと覺悟

せざるべからず諸君は果して此覺悟あり哉仮令ひ歐人に窘めらるゝも亞細亞洲中に居れば

復た如何ともすべからずと云て之れに滿足安心する哉何故に支那の如き惰弱の國と共に其

國運を連結せざるべからざるか歐人が支那又は日本を以て亞細亞洲中の國なりとするが故

に自からも亦亞細亞洲のものなりと是れに滿足せざるべからずとの因縁ありや不幸にして

亞細亞内に國を建てたるが故に生涯亞細亞の風を守らざるべからずとの約束ありや今若し

我日本の土地と人民とを其儘歐羅巴内に移し佛國の北部英國の東部に是れを据へ付くるの

工夫ありとするも諸君は尚亞細亞の名目に戀々して是れを去るに忍びざるか我日本國に對

してこそ義務あるべけれども亞細亞洲に對して何程の義務あり哉世に謂れなく興亞會なる

ものを立て亞細亞の諸國連合して是非とも歐羅巴に抗せんなどゝ企つる者ありと聞く何故

に吾人は亞細亞を興起して歐羅巴に抗せざるべからざるか亞細亞全洲が倒るゝも、壞るゝ

も、崩るゝも、潰るゝも聊か我に關係なき事なり我れは我日本國の獨立を維持して我日本

人の幸福を全くすべし支那帝國が佛人の爲めに押領さるゝも印度の土人が英人の爲めに奴

役さるゝも我日本さへこれに相判せざれは决して憂ふるに足ることなし無理に自から卑下

して我れは亞細亞なるが故に亞細亞の爲めに一生涯を棒に振らざるべからずとの理屈はあ

るべからず東京神田橋本町に福德屋福助と云ふ豪商あり其家屋敷の結搆は誠に質素にして

外形より視れば左程富有とも思はれず去れども其實は府下屈指の金穴にして幾百萬圓の金

銀を其庫中に蓄ふるものとせんか乍併此橋本町と云へる所は誠に貧乏人のみの居住する所

なれば仮令其中に福助如き金滿家あるも他人の眼を以て其町を視る時は軒ごとに皆貧乏人

のみなれば之れを目して貧乏町となし其實金滿家のあり哉なき哉を吟味するに及ばず一概

に是れを蔑視することならん或時此福助が金持の癖として車にも乘らず供をも連れず唯一

人粗末の衣服を着て淺艸に參詣したるに或人が其道連れりとなりて世話雜談の末老人は何

處の人なるやと問ひしとき私は神田橋本町の者にて福德屋福助と申し候と答へたらんに其

道連れの人は何と思ふべき哉此人が世事に明るく橋本町に福德屋福助なる豪家ありと云ふ

ことを兼て承知したる者なれば老人の名を聞きて必ず俄に之れを尊敬することならんと雖

ども世間普通の人物にては其居所を聞き其衣服外貌を視て果して其貧乏人なることを推し

て是れを輕蔑することならん今此老人の爲めに謀るに先祖代々橋本町に住居したるが故に

とて一生此貧乏町に家を搆へて他人の輕蔑を被むるを得策となすか將た貧乏人の中に住居

しては却て己れも他人に貧乏人扱さるゝの憂あればとて其居所を他の繁昌の土地に移し以

て其資産相應の家内を張るを以て策の得たる者とするか先祖が貧乏人の仲間に在て生涯を

送りたるが故に吾も亦是非とも其貧乏人と榮辱を同くせざるべからずとの理はあるべから

ず他人の貧乏なるは其人の不勉強故か又は何かの不幸に由て然るものなれば吾も其不勉強

を眞似て其不幸に陷らざるべからずとの理はあるべからず他の輕蔑を免かれて自家の地位

を高尚にせんとせば早く其貧乏町を去り他の土地に移轉して資産相應の家門を張り他人に

其富人たるを知らるゝに若かず歐人が日本を目して亞細亞洲の一國なりと云ふに任して自

からも之れに安心し支那も亞細亞洲中の一國なれば必ず一家内の如く其榮辱を共にせざる

べからずとの理はなかるべし若しも他に「ヲリエンタル」を去て歐洲に移轉する工夫あれ

ば斷じて是れを去るべし斷じて歐洲に移轉すべし支那や印度の人に一毫の義理もなく一毛

の縁故もあらざれば决して隣家の懶惰貧乏人に遠慮するに及ばざることなり前にも述べた

るが如く或人が興亞會なるものを設けたるは日本人の馬鹿律義に出でたるものにて自から

好んで其位地を損するものと云ふべし余は興亞會に反して脱亜會の設立を希望する者なり

日本國内に居て其眼界國外に及ばず區々たる民政の利害を爭ひ些々たる政權の輕重を論ず

る人の眼を以て之れを視れば我日本は亞細亞第一等の獨立帝國にして歐人の爲めに其獨立

を害せられん抔とは實に思も寄らざることならんかも知るべからずと雖も余輩歐洲中特に

東洋に強名を轟かす英國に居て其國力平均の模樣と外に向て其國威を擴張せざるべからざ

る情實あるとを實地に見聞し其耳目を以て顧て我日本の有樣を視る時は惴々として薄氷深

淵の想に堪えず今日まで歐洲大國に對して紛議の起らざりしは實に我日本の爲めに一時の

天幸なりと云はざるを得ず我國民の士氣は何程内に充實するも封建武士の義勇は何程猛き

も歐洲大國の全力と又其新發明の武器とには中々敵すべからず已に其敵すべからざるを知

て尚是れに安心するは智者の事にあらず宜しく豫め是れが謀をなさゞるべからざるなり其

謀とは亞細亞を脱して歐羅巴の仲間に入ることなり(未完)