「日本は東洋國たるべからず 昨日の續」
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本文
日本は東洋國たるべからず 昨日の續
或人曰く自から亞細亞の地位に滿足して積弱の支那如きと其榮辱を共にするは好ましき事
にあらざれども如何にせん我日本を此儘歐洲に移して日本國を英國と並べ置くべき手段も
あらざるが故に不得已亞細亞の地位に安ぜざるべからずと答て曰く固より日本の土地と人
民とを併せてこれを此儘歐洲に運び込むは人間業にて出來べきにもあらざれども今の日本
國は其位置を其儘に据へ置き尚亞細亞の境界を脱して歐羅巴の中間に加入し他より亞細亞
視せられずして却て他を亞細亞視するの工夫なきにあらず前にも云へる如く亞細亞と云ひ
歐羅巴と云ふも強ち地理學上のみの名目にはあらず其国の有樣と社會の仕組とに由て自他
の名目を下すものなり尚土耳其は其地理上にては歐洲中の一大建國なれども歐羅巴人は是
れを「ヲリエンタル」と云ふが如し去れば我日本とても其邦土は今日の儘に据へ置き唯其
國の有樣と其社會の模樣とを悉く歐羅巴風に改むれば則ち亞細亞の境界を脱して歐羅巴の
仲間に入るを得たるものなり土耳其は歐羅巴内に居て其國の有樣と其社會の模樣と悉く亞
細亞風なるが故に世人に亞細亞視せられて歐羅巴諸大國の會議にも參與することを得ず反
之我日本は亞細亞内に居て其國の有樣と其社會の模樣とを歐羅巴風にしたるが故に忽ち歐
羅巴文明國の一に〓入せらるゝに至るは復た疑ひ容れざる所なり彼の興亞會なるものが停
滯不〓〓〓遲鈍の支那の如きと終始其榮辱を共にし其死生を齊ふし以て亞細亞の風を盛大
にせんとするが如きは痴者の妄想狂者の所業と云ふべきのみ或人曰く此興亞會なるものは
則ち其文字の通り支那印度の如き亞細亞中の諸國と共に連合して亞細亞の品位を高尚にし
其文明にして歐羅巴の如くならしめんとの意にして強ち亞細亞の古風を墨守せんとの意味
にあらずと答て曰く其言愈愚なり何故に支那や印度と共に文明に進まざるべからざる乎支
那に對して何程の義務ある乎印度人に如何なる縁故ある乎支那人が文明に進まざれば我れ
も亦文明に進むまじとの盟約あり哉印度人が開化せざれば我れも亦開化すまじとの約束あ
り哉支那人の文不文印度人の開不開は他國他人の事なり我日本人の與り知る所にあらず未
だ自國の獨立さへ覺束なきに縁故もなき支那人の手を携へて是れと共に文明に進まんとす
るは恰も跛者が盲人の手を携へて大井川の出水を徒渡りせんとするに異ならず無鉄砲も亦
甚だしと云ふべし他人の水に阻まれて難義するを愍み身の分際をも顧みずして相扶けて彼
岸に到らんとし遂に共に溺死するは仁者の道なりと云はゞ云へ智者の事とは云ふべからざ
るなり以上の次第なるが故に兎に角我國の有樣と我社會の仕組とを改めて是れを歐羅巴風
となし亞細亞の苦境を脱して歐羅巴文明の仲間に入らざるべからず去りながら歐羅巴風に
化すると云ふも其事柄甚だ繁多にして無形の化もあれば有形の化もありて一朝一夕の事に
あらざるが如くなれども余は斷じて先つ有形の化を以て目下我國の急務とするものなり固
より無形精神の開化は誠に願ふべく又願はざるべからざる事にて吾人畢生の目的は唯此一
點にありと雖どもこは迚も一朝一夕にして行はるべきにあらず我日本人は未だ有形萬物の
定則をも解せず况んや其他の敎育に於ておや其知識見聞の歐米人に及ばざること甚だ遠し
今日尚毎朝東に向て旭日の昇るを拜し地震の時刻を聞て世の吉凶を卜するが如き無智の人
民に乏しからず是等の惑溺を一掃せざれば眞實の開化は望み難しと雖ども祖先傳來の惑溺
は一人の力を以て能く之を一朝に掃ふべきにあらず必ず漸を追ひ多くの歳月を經て所謂自
然の進運に任ぜざるべからず然るに今日の世界は一日も猶豫油斷すべきにあらず先づ無形
の精神を敎育して後ちに有形の進化に遷らざるべからず抔と陋儒風の議論に出掛けては迚
も今日々進の時勢と共に運動すること難かるべし故に無形精神の進化决して蔑如すべから
ずと雖どもこは姑らく學者の手に任じて今日政治家の職とする所は有形外形の改革を勉む
るにあり何事にあれ出來得べき丈けは悉く是れを歐羅巴風に改め何は兎もあれ先づ其外形
のみにても歐羅巴の仲間に加入し一時も早く亞細亞の仲間を脱却すべし政体も改革し法律
も改革し衣食住の如き第一番に是れを改革して全くの歐米風にすべし漢書の如き燒くも惜
きゆえ煮潰して漉返しにする可なり小學の讀本は羅馬字廿六文字を以て是れを綴るも可な
り人力車を廢して馬車となし日本風の帆船に重税を課して西洋形船の新造を奬勵し、低頭
平状に代るに握手脱帽の禮を用ひ、内外雜婚を奬勵して上流より其先例を示し外敎に自由
を與へて勝手次第に寺院を建立せしめ、實際は時宜に從て取捨するも其外形丈けは國會を
開き以て歐洲君民同治の風に倣ひ、公侯伯男の如き爵位は歐羅巴風に似て最も宜し唯正何
位從何位は是れを〓し敕奏判抔の區別も是れを廢し政治員にあらざる官吏は悉く是れを諸
會社諸商店の手代と等しく政府の手代と名けて一切官吏の名稱を廢すべし九州より北海道
まで鐵道を縦橫に布設して富と文明の進歩を促すべし橫濱より米國桑港へ定期郵船の航線
を開て彼我の交際を便にすべし凡そ社會の事は至細より至大に至るまで文とも云はず武と
も云はず一切萬事其外形を歐羅巴風に化して一切の亞細亞風を放棄すべし或人曰く此の如
きは唯歐羅巴風の外形を模擬するまでにて恰も猿の人眞似に異ならず是れを指して文明人
の所業と稱すべからずと答て曰く甚だ然り余と雖ども固より是れを以て眞の文明開化なり
と云ふにあらず誠に或人の云ふが如く猿の人眞似小兒の戯に等しきのみと雖ども凡そ世の
中の事は必ずしも其實のみに依賴して事の實効を望むべからず世の人をして悉く學者達識
者のみならしめば事の外形は何樣にても其實さへあれば夫れにて足れりと雖ども今の世の
中は學者達識者のみの世界にあらず盲人千人目明き一人の世界なり事の實にのみ注目して
外形の如何に頓着せざる者は萬人中僅かに一人もあるべきのみ其餘は悉く單に外形のみを
視て其實を推量し其推量の結果を以て其事を善とし又惡とするの例なり試に思へ始めて日
本に渡來したる西洋人が橫濱に着して人力車の多きを視るの感覺と馬車の多きを視るの感
覺と其心に感ずる所果して如何あるべきや必ず人力車を視て先づ我國の文明ならざること
を臆斷することなるべし固より此輩が人力車を視て我國の不文明を臆斷するは其是れを臆
斷する者の愚なりと雖ども今の世の中は此愚者の世の中なれば我れも亦此愚者に應するに
は兒戯に等しき愚策をも施さゞるを得ず野蠻と呼び不文と呼ぶも他の評に任じ我れは我無
形の實をさへ勉むれば是れにて足れり世間の譏譽は是れを顧みるに遑あらずと云て一身の
議論は立つべけれども苟も此亂暴至極優存劣滅の世の中に國を建てゝ其獨立を維持し他人
の制御を被むらず他國の侮辱を受けざらんとするには是非とも先づ外形の模樣を革めざる
べからず是れを革むるとは即ち是れを歐羅巴風となすことなり以上の所説如何にも淺はか
至極にして學者の眼を以て是れを視る時は狂愚至極の議論かなと思はるべけれども前文所
説の次第と今日歐人が事の理非をも辨ぜずして一概に亞細亞人を蔑視侵辱するの有樣とを
深思熟考せば果して余が言の狂愚ならざることを知るに足るものあらん(完)