「善く勉めて善く樂しむは開明の事なり」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「善く勉めて善く樂しむは開明の事なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

善く勉めて善く樂しむは開明の事なり

早起は人生第一の保身法にして毎朝早く起き空氣の恰も沈澱して淸淨なるものを呼吸する

其利益少なからず夜も亦同樣にして如何なる事故あるも就寐の時を十二時より過ごす可ら

ず十二時後に一時間の眠を忍ぶは攝生の裁判に於て其罪十二時前三時間の不眠に等しとは

我輩が常に學醫の言に聞く所なり如何にも道理至極の言なれとも唯吾人智識の不完全なる

之を守る能はずして往々醫敎に背くこと多し慚愧に堪へざる次第なり

又醫の言に云く早起早臥は攝生の要たること固より辨を俟たずと雖と今一歩を退け起臥共

に早くする能はざれば姑く之を其まゝに任じて咎めざれとも爰に一つの心掛けは毎朝覺れ

ば則ち起き毎夜臥すれば則ち眠るの秘訣なり盖し世上の人を視るに朝既に目は覺れとも尚

ほ眠を貪り夏は暑に堪へずとて蚊帳の中に煩悶し冬は衣服を着替るに寒きを怖れて蒲團に

戀々とし甚だしきは枕邊手を伸はして烟管を探り〓烟二三服尚奮起するを得ざる者あり夜

は物思ひつゝ〓に就き今朝以來の事相を寫し出して其喜怒哀楽を繰返し尚足らざれば數年

の〓に渡りて徃事を計へ苦樂百出精神〓く疲れて眠を催し翌朝これを思へば都を痕なきが

如き者あり凡そ此朝夜の時間は不眠不醒の時にして人事に益なきのみならず其甚しきは攝

生上に於て身体を害すること却て不早起不早臥の害よりも大なるものあり故に苟も身を重

んずる者は朝起夜臥の早晩を問はず唯目の覺る時又寢に入る時を相圖にして唯一氣に起る

ことを勉め又眠ることの習慣を養う可しと云ふ

右は人の身体に關する醫事談にして我輩の最も服膺する所なるが我輩は此醫事談を擴めて

今日の人事に及ぼし大に心得とも爲る可きものを見出したりと申すは兼て鄙見を以て竊に

我日本の人と外國の人とを比較するに其智愚德不德は相違する所なきが如くなれとも日常

の習慣に外國人は善く勉めて又善く樂しむ者と評せざるを得ず毎日各自の業に就くにも必

ず時を違へず、時至れば勉め、時去れば休む、就業中言語少なく又决して喫烟せず孜々勉

強して業を終れば則ち自由自在に遊樂して其快活なること先刻の苦業は恰も之を忘れたる

者の如し毎夕の散歩毎日曜日の休暇其日中又前日の有樣に比較するときは苦樂の表裏これ

を別世界と云ふも可なり抑も人身生理の定則に於て人の心身は鐵石に異にして漫に勞役す

可きものに非ず其約束の堅きは他の物理に等しくして毫も欺く可らず或る西人の説に日曜

日の休息は宗敎外より覩るも適宜なるものにして馬を飼ふに毎日役するものと一週間に一

日を憩はしむるものとを比較するに憩ふものは壽命長くして其働も亦平均して大なり人と

馬と肉体の生理は同一なるが故に日曜の休息は宗敎の由來云々に拘はらず人事に必要なり

と云ふものあり此説の當否は姑く閣き人生の勞役に休息を要するは自然の數理にして我日

本人と雖とも理外の生物に非ざれば事實に於ては必ず休息するものなりと雖とも其休息の

法甚た不規則なるが如し先づ今日の事相に現はれたる所を云へば時刻の約束嚴重ならずし

て宴席集會等の不都合は無論毎日職業に就く輩にて就業の時を誤るも必ずしも嚴責を受け

ず左る代りには業を終りたる其後とても本人が必ずしも休息快樂を急くに非ず就業中と雖

とも喫煙禁せず言語喧しく或は日中幾度の休息に談笑遊戯傍より之を見れば苦役中の人と

思はれざるものあり日曜の休暇は先つ日高けて尚眠るを以て第一の要と爲し漸く起きて朝

飯を喫し未た終らずして約せざるの友人來り訪ふ者あり、煎茶喫烟時候の不順を訴へ身体

の健康を祝し文事を談し世態に及ぼし私事の如く公務の如く閑話の如く用談の如く尚甚し

きは數名の友客一席に落合ひ客と客と相語りて主人は恰も傍聽人たるの奇談なきに非ず斯

る次第にて午時を過き日暮に至り顧て日中の事を回想すれば日曜の休暇敢て休せざるに非

ず終日職業を執らず要事を成さゞりしが故に休は則ち休なれとも去りとて是れぞと云ふ可

き快樂を得たるに非ざれば亦休日ならざるが如し偶ま其日の來客が兼て主人の待設けたる

朋友にして恰も同氣相投するの快樂事を企てゝ一日を消すれば格別なれとも若しも然らず

して俗に所謂御附合を以て時を費すが如き樣にては其時間は憩ふが如く憩はざるが如く主

客双方の爲に何等の益する所もなくして唯空しく時を費したりと云ふより外ある可らず其

趣は彼の學習の言に朝目醒めて起きず夜寢に就て眠らず、眠るが如く醒るが如く不眠不醒

の間に彷彿因循するものに異ならず此類の事は世間の日常に徃々見る所にして或は淸明の

春風に午睡して花を觀るを忘れ、秋の夜の假寢に明月に背き、冬の朝の初雪に火燵を友と

する等安息は則ち安息ならんと雖とも之に許すに快樂の名を以てす可らず畢竟するに我日

本國人の習慣は尚未だ善く勉め善く樂むものと云ふ可らさるが如し故に眞實に我輩の所望

を云へば只管時間を重んじて一年三百六十五日中の一刻も生涯苦樂の一部分と思ひ勞苦す

るに非ざれば則ち樂しむと其分界を明にして苦にも樂にも徒に時を空うする勿らんとする

の一事なり

此論緒に就ても序でながら云ふ可きは我時事新報發兌の事なり今後其休刊を毎日曜日に限

りて歳末歳首其他の祝日等を問はず一切平日の如く發兌することに定めたるは一年凡そ半

月の勞を增したるものにして今の發兌が十二箇月の事業なれば之に半を加へて十二箇月半

の事を執るが故に甚た大儀なるに似たれとも唯我輩の志願は日本の一事一物も開明の方に

進歩せしめ苟も西洋諸國に取て傚ふ可きものあれば怠ることなからんとするの一偏にして

嗚呼がましくも彼の國人の善く勉め善く樂しむの風を慕ひ仮令ひ一年に半月の勞を增すも

一方に刻苦して一方に快樂を逞うするの法もあらん偏に社員の心掛け次第にて苦樂必ず相

償ふこともあらんとて開明熱心の熱餘以て此擧に及びたることなり或は漸次に習慣を成し

日曜日の休暇をも廢止して差支なきの塲合にも至らん歟則ち速に之を廢す可しと雖とも目

下一氣に之を决斷するの勇なきは唯慚愧に堪へざるのみ