「其利を享る者に其費用を均分すべし」
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本文
其利を享る者に其費用を均分すべし
公共の業は公共の負擔たる可き固より論を俟たず又其業の大小も局に當る公共の大小貧富
に相應す可きこと當然の數なり例へば河に橋を架するとせんに其業は地方の公共に關する
ものなれば地方人民の負擔す可き所にして其橋の大小美惡も亦人民の力に相當す可きを要
す東京隅田川の五大橋の如き先づ日本國中にては最も壯麗なるものなれとも田舎地方にて
同樣の大河あるも其橋は所謂土橋か又は極めて粗惡なる木橋たる可きに過きず盖し東京は
我中央の帝都にして一處に結合する市民の數も多く其資産も亦田舎地方に比して遙に其右
に出ればなり
右は誠に尋常一樣の道理にして誰れも知る所なれとも爰に動もすれば世人の注目を遁れて
起業の企を妨る一箇條ありと申すは他に非ず起業家が其業を成したる上にて幾歳月の間人
民をして利する所あらしむ可きやと云ふ其歳月の長短を忘るゝ事なり例へば橋を架するに
木を以てすれば十年を保つ可し鐵石を以てすれば二百年に堪ゆ可し即ち木橋は人民をして
十年の便利を得せしめ鐵石橋は二百年を便利するものなり然るに即時架橋の費用を聞けば
木は手輕にして鐵石は大業なること固より論を俟たず是に於て起業家は其地方の?况を察
し其人民の貧富を視て応算を運らし目下の有樣にては斯る大業は迚も實施し難きことなり
俗に所謂今の御時節柄には申出す譯けにも參らずとて鐵橋論の廢案たるが如きは世上に
徃々見聞する所なり然りと雖とも實際の利害に於て我輩の所見を以てすれば木と鐵石との
比較十年と二百年とに等しくして人民の利する所正しく二十倍の差ありて仮に鐵石橋を架
するの費用を木橋に比して十倍とするも便利は二十倍にして費用は十倍なるが故に現に十
倍の利あること疑ふ可らずと雖とも之に着手せざるは何ぞや唯目下の有樣今の御時節柄な
るものに妨けられて利を棄るものなりと云はざるを得ず遺憾に堪えざるなり
抑も目下の有樣と云ひ今の御時節柄と云ふは唯公共人民の資力に乏しとの意味にして實に
其時代の樣を見れば迚も大業を起すの望なきに似たりと雖とも元來公共の經濟は一私家の
世帯に異にして公共の信用保証を以て資金償却の期限を嚴にするを得べし其償却を緩にし
て一年にす可きを十年に〓〓〓にす可きを百年にするときは恰も〓械學の定則に於けるが
如く物の重力を時に平均して其負擔决して重きものに非ず然るに起業家が唯其業の大なる
を一目して負擔に堪えずと稱するは資金償却の期限を急にせんとして其方法を得ざるが爲
に忽ち落膽斷念したるものゝみ左れば今其償却法を緩にするとして其緩急は何を標準にす
可きやと尋るに先つ其事業の性質を吟味すること緊要ならん前の例を再用して爰に橋を架
するに木橋なれば其費用を十年に償却し鐵石橋なれば百年以上に償却するの法を立る等何
れも其業の成りし上にて人民を利するは歳月の長短に從て緩急する所ある可し如何となれ
ば十年の便利を致すものは十年間の人にて之を償ひ百年の便を成すものは百年間の人にて
之を負擔す可きこと道理の誠に明白なるものなればなり世の起業者は徃々此賭易き數理を
忘れて事業を急にすると共に其資本の償却法をも急にし其法を得ずして落膽する歟、若く
は大に奮發して事を起し百年間の人民に負擔す可きものを僅かに三五年の間に償却せんと
して大に人を苦ましむるものなきに非ず今日道路を作るは百年二百年の後ち我が孫も曾孫
も玄孫も之を利用するものなるに開道何日間に業を終り其資本は何月間に償却し了りたり
とて之を誇るなどは大なる間違ならずや子孫永遠の荷物を今年今月の我一身に擔はしめん
とする歟無算も亦甚しと云ふ可し
近日聞く我東京府にては東京灣築港、東京市區改正、上水下水疏通の方案等を計畫すと云
ふ何れも大事業にして盖し幾千萬圓を費すことならん就て我輩の願ふ所を云へば其規模は
勉めて洪大にして完全遺憾なきを目的とし扨其費用に至ては幾千百萬の數の聲に驚くこと
を休め目下の有樣今の御時節柄に拘はらず先つ第一に其築港以下の諸件が成功の上幾歳月
を持續して府民に幾許の便利を附與す可きやを豫定し又其歳月の間に要する修繕費をも加
算して果して確實なる數を得たる上は其償却を緩にし府民が是等の便利を享けて隨て生す
る其利益を以て間接に直接に幾十百年の期限に拂込ましむるの法を立て獨り今世の人のみ
利するものなれば今人を限り、今人と後世人と利を共にするものなれば今世と後世と共に
之を負擔せしめ、又或は今人に即利なくして唯後世を利するのみの事業ならば其費用の負
債をも後世に遺し後人をして獨り其責に任せしむ可きのみ尚其邊に付鄙見もあれば時に隨
て開陳する所のものある可し