「英國政府の地位」
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本文
英國政府の地位
左の一篇は九月十九日倫敦發にて在英國我特別通信員より本社に寄送し來りたる者なり
時事新報記者
英國政府の地位 豊浦 生
埃及事件に付諸大國の會議も遂に其相談不調となりて解散の後は何となく英國は孤立の姿
のなり他國の嫌疑を被むること少なからず就中佛國人の如きは新聞に著書に演説に英國の
行爲を誹謗して止まず今若し其他の事柄を吟味せず全くこれを勘定の外に措きて單に兩國
の新聞のみを讀む時は今にも両國の間に大戰爭の起るかと疑はるゝ程なり前年英兵が埃及
の賊將「アラビー」を鎭壓して英國の威權頓に「ナイル」河畔に行はれ爲めに佛國の威勢
を減殺し今日は佛兵東洋に向て其鋭鋒を試み漸く英國の威權を減殺するの勢あれば互の猜
疑内に鬱して誹謗の言語外に顯はれ云ふべからざるの事をも云ひ書くべからざるの事をも
書き余輩外人をして一讀氣の毒に思はしむる者あり今その一例を示さんに過日佛國の軍艦
が福州港を砲撃したる時當地「タイムス」新聞の特派通信員よりの電信に支那の軍艦は悉
く佛艦の爲めに撃ち沈められたり敵の負傷者が浮きつ沈みつ流るゝを視て佛兵のこれを狙
撃するは實に目も當てられぬ慘状なり余輩(通信員)此慘状を傍觀するに忍びず小舟を漕
ぎ出して其負傷者を拯ひ上げし者其數を知らず之れを評して文明人の戰爭と云ふべからず
云々とありたり左なきだに英國人は佛兵が福州を砲撃せんと聞き滿腹不平の折柄なれば此
慘忍の報を得て何かは以てたまるべき哉新聞に雜誌に佛兵の慘酷を咎め元來佛人の性は無
情なり佛國の人は自から文明の民なりと稱して世に誇ると雖ども其所謂文明とは唯外形の
文明にして其心事は未だ野蠻の境界を脱せざる者なりと苟も士君子たる者の云ふべからざ
る事を云を佛人を讒謗すること一方ならず然るに佛國の新聞亦これに返答して曰く「タイ
ムス」新聞の通信は全く迹方もなき無根の虚言なり英人が埃及人を慘酷に取扱ひ歐洲の輿
論擧て其所爲を惡むが故に己れが非を飾らんとして却て他人の擧動を誹謗する者なり亞歴
山港に火を放て無辜の土民を窘め「テイキーバル」の賊壘に無智の野民を屠るが如き殘忍
無情の英人とは共に事を語るべからず云々と互に其罪惡を摘發して惡口雜言至らざる所な
く其状恰も東京の人力車夫が其爭論の際惡口以て互の惡事を摘發するに異ならず又歐洲の
中部に居を其權力の平均を掌握する日、露、墺の三國は其交際日に親密にして攻守の盟を
共にし以て英國の威權を減殺せんと謀る者の如し英國は歐洲自由主義の率先者にして日、
露、墺は守舊專制主義の堅塞なり彼の虚無黨又社會黨の蔓延を制壓するには歐洲諸國恊力
同心して其鎭壓令を嚴行せざるべからずとて日耳曼が主となりて其同盟を英政府に需めし
に英政府はこれに答へて曰く我國は君民同治の自由國にして專制獨裁の政体にあらざれば
嚴令を布て虚無黨派を壓倒するが如きは我國民の太だ喜ばざる所なり虚無説と云ひ社會論
と云ひ皆これ一種の新主義にしてこれと戰ふは學者の職務なり若し其新主義の爲めに或は
人を殺し或は家を燒く等の所業あれば其主義の新舊是非を論ぜず唯其所業の惡行なるを以
てこれを我國の法律に照らし其所業を罰するは固より政府たる者の職務なれども其主義を
非として是れを鎭壓し盡さんとするが如きは我英政府の爲さゞる所なれば虚無黨退治の同
盟には加入し難しと見事に謝絶したり此返答は日、露の如き專制の國に取ては詢に無類の
禁物にして迚も英國が今日の如き威勢を恣にして其自由の主義を固執する以上は虚無黨の
如き新主義を鎭壓杜絶すること太だ難事なりこれを鎭壓せざれば永遠獨裁の政体を維持し
難し故に先づ英國權勢の源とも云ふべき其東洋の威權を減殺せざるべからずと則ち時に佛
國の殖民外征政客を保佐して頻に英國に敵する者の如し已に近日日、露、墺の三帝が日、
露の國境に會せんとするも其第一の目的は虚無黨退治の相談にして其第二の目的は歐洲大
陸の諸大國が一致共同して攻守の同盟をなし以て英國の威權を減殺せんとの企ありと云ふ
尤もこれ等は所謂世上の風説にして信を措くに足るものなしと雖ども復た全く無根の事な
りとも云ひ難き事情あり已に過日亞非利加洲の南岸「アングラペカナ」を以て日屬となさ
んとせしに英國は大にこれに異存を唱へ両國の間に一方ならざる紛議を生ぜし時抔にも日
耳曼の或る政府黨の新聞は英國の所爲を駁撃して曰く英國が天下到る所に其殖民地を占有
しながら偶ま他國の人民が無人の郷に至てこれを開拓せんとする時は種々謂れなき故障を
持出して其行爲を妨礙す英人の貪慾惡むに餘あり到底彼れをして我日耳曼砲の苦味を甞め
しめざれば其慾心を制するに由なし云々と實に無禮の雜言謂れなきの言なりと雖ども復た
以て日人が英人を惡むの心情如何を推知すべきなり又両三日前或る佛國の新聞に曰く何と
かして英國の威權を減殺せざるべからずとは已に今日大陸諸國の輿論にして日、露、墺三
帝の會合に於ては必ず其恊議ありべし埃及の事件に就て倫敦の會議は全く無効の水泡とな
りしが故に此度は日耳曼自から主となりて諸大國の會議を起すべし英國は必ず此會議に異
存を唱へて彼れ是れ故障を持出すべければ是れを口實として歐、亞、米の三箇所より同時
に英領に向て攻撃を試むべし英領加拿佗は合衆國これを煽動して獨立を謀らしめ内は愛蘭
を佐けて分離の策を立てしめ日耳曼は和蘭を領し佛蘭西は白耳義を取り而して露西亞は英
領印度を押領すべし云々と實に方外の大言にして狂人の妄想と云ふべしと雖ども英國孤立
の状は自から窺見る可きなり或る人の説に斯く英國をして孤立の姿とならしめたるは全く
「ビスマーク」の策略に出でたる者にて氏にして妄りに英國を惡むの理なしと雖ども唯英
佛の間毎に紛耘の斷ゆることなく屬国の人民をして恰も犬と猫との如くならしめ埃及支那
の事に就ても兩國の折合殊の外宜しからざる其機に乘じて傍より特に英國を疎外するの状
をなせば佛國は毎に英國を惡むの餘り知らず識らずして日耳曼に其交情を通じ漸く復歸の
念を斷つべしと是れ今日英國の歐洲に孤立せし所以なりと云ふ者あり此言或は然らん然り
と雖どもこは全く「ビスマーク」の心中にある秘密なれば他より是を窺ふべからざるは勿
論自から是れ程の大事を他に洩らすべき由縁もあらざれば右等の説は新聞紙屋などの想像
に出でたるものとして固より信を措くに足らず去れども眞の原因は兎まれ角まれ今日の實
際に於て英國孤立の状あるは復た疑を容れざる所なり斯く外に孤立の状あるにも拘はらず
目下英政府は一意内政の改革即ち彼の議員撰擧權擴張に熱心して敢て他を顧みざる者の如
し固より此議案の首尾よく可决すると否とに由て政黨兩派の位置を更迭し自由黨閥を退て
守成黨これに代はる哉も測られざる程の大事件なれば當國の政治家が唯此事にのみ奔走し
て其他を顧みざるも亦謂れなきにあらざるなり若しも今の在朝黨が守成黨にして國權の擴
張を以て其黨旨となしたらば必ず歐洲に一大紛議を生ずることならんと雖ども自由黨は四
海兄弟人民同權などの純然たる天地の正理を唱へ佛國が支那を攻め日耳曼が亞非利加の南
岸を占有するも聊か頓着する所なく唯一心不亂に撰擧權の擴張に注意して敢て其孤立の樣
を念に掛けざるは則ち自由黨の自由黨たる所以天下の爲めには詢に好みすべき事なれども
此孤立の形外に顯はれ不平の情〓に乘じて早晩必ず爆發するの期あるべし彼の上院が撰擧
權擴張議案を破棄して自由黨に抗せんとの意を示せしも強ち此議案を論題として其黨勢を
爭はんとの意にはあらざるべし公平の眼を以てこれを視るに上院の此議案を破棄せしは固
より英國立憲の精神に背馳する所爲にして英人の决して許さゞる所なれども上院は兎に角
これを辭柄となして今の議員を解散し更に議員を改撰するに當り大に自由黨の外交政策を
駁撃し頻りに英權の擴張を説て民心を収め以て全勝を制せんと謀る者の如し今の自由黨は
明治十三年以來已に四箇年餘の在朝にて人心殆ど其政策に倦みたることなれば此度の事件
に就ても或は守成黨の勝利となりて自由黨が朝を退くやら亦知るべからず果して守成黨の
世の中とならば其畢生の國權主義を押立てゝ更に英國の權勢を東洋に張り以て佛日隆盛の
氣を摧折せんと謀るやも亦知るべからず其勢果して如此に迫らば英權を擴張する塲所は何
れの邊にあるべき哉或は亞非利加の南岸或は亞細亞の極東日本の近海朝鮮の半島抔にある
やも亦知るべからずと雖どもこは萬一守成黨の世の中となりたる後の想像なれば今日只今
此事あると云ふにあらず今日は未だ彼の議案の可否如何に就て全國の輿論一定せず恰も其
方向に迷ふ者なれば頻に政治家は東西に奔走して民心を煽動する最中なり過日も宰相「グ
ラツドストン」は其被撰地以丁堡(同氏は現に以丁堡の議員なり)に至て凡そ二時間〓づ
つの大演説を三日の間なしつゞけ其第一日には上院が人民に直接の責任なきを賴みとして
聊かも上院の利害に關係なき此議案を思慮もなく一朝破棄せんも我英國の立憲に背馳し上
院の破棄權を濫用せし者なりと説き其第二日目には自由黨が其政權を執りし以來の施政を
一々精密に辨語し傍ら守成黨の國權擴張論を駁撃し歐羅巴洲中我英國殖民の政客を惡み英
人は貪慾飽くなく恰も天下を私して他國の殖民開拓に故障を入るゝなど、云ふ者あれども
是れ大なる誤解なり何人にても〓〓の地を開き以て殖民の業に從はんとする者は遠慮〓〓
〓〓次第に其業に着手すべし我英政府に於ては啻に他人の行爲に關して異存を容れざるの
みならず他國〓〓〓に從事して蠻野の民を稍文明の途に導くは〓〓〓〓〓黨の〓〓〓〓こ
そと説きて時に「ビスマーク」の論〓〓〓〓〓〓〓の如し又守成黨の諸氏も聊か〓する〓
なく〓西に奔走して得意の辨舌を撰ひ以て自由黨の〓〓を〓〓し斯く英國の歐洲に孤立し
て其國威を〓〓〓損せしは全く在朝黨が聖人然と四海兄弟一視同仁など謂れもなき空理を
談じて世事を顧みざるに因るものなりと云ふ頻に其攻撃を試むることなり兩黨の爭論孰れ
の勝に决する哉唯我獨尊の「グラツドストン」も一朝其人望を失て朝を退き新陳代謝守成
黨の世の中となるべき哉豫め是れを明言すること易からず外に孤立の姿あり内に兩黨の爭
あり英國政治家の多忙の秋と云ふべし