「伊太利王室の地位」
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本文
伊太利王室の地位
左の一篇は十月三日倫敦發在英國特別通信員より寄送し來りたるものなり 時事新報記者
伊太利王室の地位 豊浦 生
伊太利の「子ープル」港に「コレラ」病流行して其病毒特に劇烈なりとの事は電信又新聞
にて已に世人の聞知する所なるべければ苦墮々々敷は報知せず死生幽明の理は洵に解し難
く隨て人間の最も弱き點にして之を物に譬へば番兵のなき臺塲の如く一度び此處より攻め
入らるゝ時は如何なる勇者も忽ち其氣を失ひ狼狽轉倒頭を低れて敵に降參するより外に手
段あるべからず然るに「コレラ」病は恰も下手の鉄砲の如く何人が其玉に中て死に至る哉
豫め之を知るべからず色の青醒めて頬肉の窪みたる者を見れば其肺病患者なることを知る
べしと雖ども「コレラ」病は即時に來て即時に其人を斃し肥滿の人が此病に斃るれば痩せ
たる人も亦之に斃れ老少の別なく男女の差なく強とも云はず弱とも云はず一切の衆生下手
の鉄砲に圍まれたる姿なれば所謂人心洶々薄氷を履むの思をなし父母に別れ妻子に離れ今
日をも知らず明日をも知らざる身の上なれば平生の勇氣忽ち消散して俄かに迷ひの念を生
じ信心なき者も宮寺に參を神佛の加護を祈り迷ひ深き者は神佛の木像を持出して市中を舁
き廻はるなど文明國の伊太利人に不似合なる事をなして世人の嘲を被むること尠なからず
然るに獨り伊王「ハンベルト」陛下は一身の安危をも顧みるに遑なく自から病毒劇烈の「子
ープル」港に到て人民の苦惱を慰め或は病院に至て親しく病者を看護する抔其仁慈至らざ
る所なく世人の此事を傳へ聞く者感激涕を流さゞる者なし初め王の未だ「子ープル」に到
らざるに先だち或る所の貴族より秋季競馬の催あるに付き例年の通り御臨幸ありたしと出
願せしに王親から筆を執りて電信案を草し之に答て曰く卿等は競馬を催して例年の如く樂
み「子ープル」港の人民は「コレラ」の爲めに非命の死に斃る朕は寧ろ非命の死地に臨ま
ざるべからずと人誰れか樂境を避けて故らに死地に就くものあらんや今伊王の自から好ん
て死地に就くは盖し不得止事情あればなり諺に曰く虎穴に入らざれば虎子を得ずと伊王は
虎子を得んと欲す虎子は坐して致すべからず必ずや乳虎の怒を冐して其穴に入り我生命を
賭してこれと爭はざるべからず國王たるも亦艱難なるかな抑も伊太利國一統以來日尚淺く
王室と人民との交情未だ親密離れ難きの塲合に至らず或は民主政治の共和主義を唱ふる者
あり或は羅馬法王の法權を舊に復して舊敎一統の世の中となさんことを欲する者ありて互
に權を爭ひ勝を制するの秋なれば「ハンベルト」王と雖ども深宮に閉居宴樂を事とするの
遑なく東西に奔走して民心を収めざるべからず此度「子―プル」の惡病流行は恰も民心を
籠絡するの好機會なりと云ふも敢て伊王を謗るの言にはあらざるべし又彼の羅馬法王も此
機失ふべからずと爲し乃ち廿萬圓の大金を避病院に寄付して其費用に充てたり或は法王親
から此病院に臨て病者の苦惱を慰めんとするの仁意ありなどの世評も亦頻なり其事の實否
は未だ之を窺ふに由なしと雖ども若し此世評をして實説ならしめば必ず天下に思ひ寄らざ
る一大成果を生じて僧俗の關係に大なる變動を視ることあるべし盖し今王の父「ビクトル、
イマニユール」王全伊一統の後は宗敎の威勢頓に衰へ俗權日に益強く代々の法王は俗權の
專橫を憤り法燈の幽暗を歎き悲めとも更に其詮あることなく其「バチカン」法城を出でゝ
市街を通行するや市童の爲めに嘲られ武人の手に辱められ甚だしきは瓦石を擲ち法体を冐
すなどその乱暴言語に絶したる次第なれば遂に千八百七十年後は一度びも法城の外に出で
たることなく常に城内に閉居して全く世俗の交際を絶ちたるが故に歐洲の舊敎信者は事の
事情をも詳にせず一圖に法王は伊太利政府の爲めに其法城内に禁錮せられたる者と思ひ誤
り其信仰益堅く其尊敬愈高しと雖ども時勢の變遷人智の發達はこれを止めんとして止むべ
からず政敎一致の説は往古人間質朴の時代に行はるべく今日の如く德行も惡行も智惠も愚
痴も一層進歩して人事其繁多を極むるの時に當て政敎一致などの説は思ひも寄らず宗敎の
趣意に拘泥して政理を誤るべからず俗政に關渉して宗敎の体を汚すべからず凡そ羅馬法王
の威權最強の時は彼の十字軍の時代に在て爾後新敎蔓延の爲めに其宗權の大部分を損し君
民同治の主義天下に行はれて全く其俗政の權を失ひ遂には其本據たる羅馬の政權をも擧げ
て悉く伊國政府の爲めに剥がれ身は「バチカン」法城の内に閉居するに至りたり去れども
羅馬法王は尚病める獅子の如く其全身は已に衰弱を極むと雖ども天下萬國舊敎の信者に乏
しからず此信者は悉く法王を以て其敎主と崇め政敎宗俗の別なく一切の事物唯命これ從ふ
ものなれば一度び手を擧げて其向ふ所を指定せば伊太利全國の如き一朝これを法敎の權内
に籠絡するは洵に易中の易なるべし盖し今日に至るまで法王の此策に出でざりしは強ち自
家の力の及ばざるを恐れしにはあらで時運一變必ず自から今の政府に倒るゝことあるべし
人民自から今の政府を厭ふて舊政を慕ふに至るべし自から進で他を倒すは他の自然に倒
るゝを待つに如かずとの意味にて唯時運の變遷に任じて其待機の至るを待ち又一方には從
來羅馬の僧徒は曾て伊國の政治に與りしことなく其國會議員を撰擧するにも他國に於ては
或は舊敎派の議員などゝて一種の政黨を組織する者あれども伊太利に於ては曾て是等の事
なくして其僧徒は唯空しく時勢の變遷を企望し今の政府の日に益人望を得て容易に自から
倒るゝの勢も見えざるに當惑の折柄偶然にも近頃白耳義などにては舊敎派大に政治社會に
勝利を制して其内閣員の如き悉く舊敎の信者にして歐羅巴洲中稍々舊敎の運動するの勢な
れば時こそ好けれと法王も漸く意を决して舊來の閉居主義を放却して進取主義に改め俗權
の專橫に敵せんとする者の如し全伊一統以來日尚淺く民情未だ全く舊を忘れざるの今日に
際し俄然羅馬僧徒の起て其政權を爭ふに至らば時務益困難なるべし且伊太利は日墺の如き
專制主義の國に接して獨り自由立憲の政体を立つるが故に彼の「ビスマルク」公の如きは
常に之を以て目の上のたん瘤の如く思ひ其〓繁昌の勢あるにも拘はらず成るべく之を中央
歐羅巴の連合より驅逐せんことを欲し已に過般日、墺、露三帝會合の時にも之に參坐する
を許さゞりしは其意のある所推して知るべし伊國の如き維新建國の當坐に在て如斯内外に
事多きは其國歩困難なりと云ふべし