「海軍擴張昨日の續」
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時事新報に掲載された「海軍擴張昨日の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
豊浦 生
英國人民が海軍備の手薄なるに驚き爰に海軍擴張の方法取〓〓〓從事したるが今〓改良の
第一着手は專ら其力を水雷火に用るの企なりとの事は既に前段に記載したり扨此水雷火は
尋常の水雷火にあらずして所謂白頭の水雷火なるものなり尋常の水雷は平時是を海底に沈
め置き敵艦が其上を經過するに當り電氣を通じて装藥を發し艦底より是を撃ち上ぐるの仕
掛なり首尾よく敵艦が其上を通過すれば誠に僥倖なれども若しも航路を變じて水雷の上を
通過せざる時は折角の骨折も無駄となり饗應の用意出來て客來らず酒は腐るかすてらは黴
ると一般の憾あるべし又此所には水雷の仕掛があるべしと思ふ時は豫め斥候船を出して海
底を探り魚を釣り上ぐるが如く一々是を拾ふの器械もあり又此尋常の水雷は餘り永く海底
に沈め置く時は海水自然に染み込みて遂には物の用をなさず又海潮の急なる所にては廿四
時間ごとに是れを入れ代へざるべからずと云ふ其入費も必ず莫大の高なるべし反之彼の白
頭水雷は蒸氣又空氣の壓力を以て是を敵艦に向け撃ち掛くる工夫なり併し敵艦に向て是を
撃ち掛くると云ふと雖ども鉄砲を撃つが如く是を放つにはあらず最初若干の速力を以て是
を水中に撃ち込めば恰も魚の泳ぐが如く水中を潜りて直線に敵艦の脇腹を突き其衝突の瞬
時に破裂する仕掛なれば或は是れを名づけて魚水雷とも云ふなり故に歐羅巴にては最早尋
常の水雷を用ふる者なく皆此の魚水雷を用ふと云ふ勿論年々歳々新奇を加ふる世の中なれ
ば魚水雷にも種々樣々の種類あるべく又其細かなる仕掛の如きは小生の曾て知らざる所な
れば是を報道するに由なしと雖ども尋常水雷と魚水雷との異なる所は大低前陳の如くなる
べし又此の魚水雷を以て大砲に較ぶるに其利益甚た尠なしとせず廿四五〓の大砲數門を裝
載せんとするには先つ其船体を巨大にせざるべからず然るに古來戰爭の實驗に於て船体の
巨大に過ぐるは敵に利ありて我に損あり可成船体を縮小して且つ是を堅固にするこそ我に
利あれども近頃の如く互に大砲の大なるを競ひ彼れに八十〓を製すれば我れは百〓を造り
年々歳々大又大隨て又此大砲を裝載するに堪ゆるため愈益船体を巨大にして其新造に多分
の資財を費さゞるを得ず然るに魚水雷を放つには餘り込み入りたる仕掛けを要せず大砲の
如き重量の器械を裝載するにも及ばず隨て船体の巨大なるを要せざるが故に是を運轉する
には輕便にして是を新造するには巨額の入費を要せず然かも其敵艦を破るの力は却て大砲
よりも強く如何にも一擧兩得のものと云ふべし但し水雷一發の價は二千圓より二千五百圓
までにして尋常大砲の一發よりも多分の入費を要するが如くなれども船体の大小と是に伴
ふ入費の多少とを比較する時は其利却て水雷の方にあるものゝ如し斯る理由なるが故に英
國にては愈大に魚水雷を製造して海軍の兵制を一變するとの噂なり前にも云へる如く自由
黨在朝の間は何となく武備を怠るの情状なきにあらざれども英國の海軍は恰も全國の生死
に關する一大動脈なれば古來曾て海軍備を以て政黨問題となせしことなく自由主義の人も
守成主義の人も貴も賤も富も貧も其海軍を擴張するの一段に至ては聊かたりとも異存を唱
ふる者なく實に全國同意の姿なれば此度の改革に就ても定めて異存なき事ならん詢に英人
は海國の民たる責任に背かざるものと云ふべし
我日本は自から稱して東洋の英國と云ひ其地形丈けは英國に〓らざる一〓の海圖なり貿易
を盛〓〓〓海を〓らざる〓からず敵國と戰ふにも海を渡らざるべからず實に我日本國民は
海を以て生命と爲す者なり然るに顧みて其海軍備を見るに僅かに何十艘の新古大小の軍艦
と極めて少數の水雷船とを備ふるに過ぎず一旦外國と事あるの日に際せば何を以て敵軍の
衝に當らんとするか伊勢の神風は北條の世盛りに元帥十萬を西海の波に吹き沈めたりと聞
きつれども明治十七年代文明國の〓艦隊は果して伊勢の逆風に辟易し柁を轉じて西の海に
逃け去るべきや如何甚だ不安心なり好し僥倖にして敵の襲來なしとするも永世太平洋上の
一獨立國たる榮譽と幸福とを享けんとするには時の都合に依りて折々は此方より敵國に出
掛けて進取の手段を施さゞるべからず先方上陸の上は陸軍も入用ならんと雖ども此陸軍を
先方に送り屆くるには先つ第一に海軍の完全なるものなかるべからず海軍の用意尚甚た手
薄なるに卒然陸軍を運送する樣の事ありては敵に海上に要撃せらるゝも是を防くの道なく
何樣の變事出來すべきやも知るべからず故に今日本國の獨立を維持し其榮譽幸福を全うせ
んとの願望ある者は專ら海軍擴張に其心を用ひんこと日本國人たるの責任なるべし(完)