「何は差し置き保護せざるべからず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「何は差し置き保護せざるべからず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

何は差し置き保護せざるべからず

今回の朝鮮事變は前回の朝鮮事變に勝る大事件なり依て我輩は一昨日以來聞くがまゝに報

道し〓〓めて耳目の任を空しくせざらんことを期すと雖とも如何せん此等の報道は朝鮮地

方並に長崎等より到達する官報私報切れ切れの電信に由りて得るものなるが故に誠に詳細

の事情を知るに六け敷殊に多き報道の中には此れと彼れと相齟齬するものも少からず孰れ

を實とし孰れを虚とするや固より臆測の及ぶ所にあらず依て我輩は决して妄りに臆斷を下

さず紙面の不体裁をも顧みず唯有りのまゝに雜記して讀者の自から擇ぶに任せたり追て昨

日の官報を閲讀するも「本月四日朝鮮國京城に於て變動起り閔泳翊等數名殺害に遭へり我

が公使は急劇の際國王の請求に依り王宮に赴きたるに同地駐在の清國將官も亦兵を率ひ王

宮に到り我が兵との間に紛争を生し〓に彼より砲發に及び互に死傷ありたり日本公使舘は

兵燹に罹れり公使は本月八日濟物浦に引移り同處に於て朝鮮政府並に清國官吏と談判中な

り」とあるのみにして誠に簡單なる報告なるが故に矢張り詳細の事情を知るに由なし唯去

る四日京城に騒動起り閔泳翊等數名の大臣殺害せられたる事と此騒動急劇の際竹添公使は

國王陛下よりの請求に依りて王宮に赴きたり此時公使は護衛兵を引率したるや否や十分明

白ならざれとも追て支那兵が王宮に到り我兵との間に紛争を生したりと云ふを見れば公使

は單身入〓したるにあらずして護衛兵と共に王宮に到りたるならんと思はるゝ事と京城駐

在の支那將官は兵を率ひて王宮に到り何の〓か日本支那兩軍兵の間に紛争を生し無法にも

支那兵より銃砲を打掛け我よりもこれに應したるものか彼我共に死傷ありたる事と京城の

日本公使舘は焼けたる事と竹添公使は八日に濟物浦に引〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓し

て談判最中なりとの〓とを知り得るに過きざるなり

右の如く官に私に報道不十分の折柄なれば今に於て此朝鮮事變の事を細論するは迚も我輩

の能する所にあらず好し試にこれを論するも唯僅に一個の臆測論たるに過きざるべきなり

扨報道は來らず事情は知れず甚た困難の次第なりとは云ふものゝ兎に角斯る大事件の現は

れ出てたるに際し袖手して詳報の來るを待つべきにもあらず考の及ぶ丈けは工風を盡して

度々狼狽せざる樣心掛け置くべき事なるべし韓廷の諸大臣が殺害せられたるは何の譯か日

本兵と支那兵との間に紛争を生し發砲に及び互に死傷のありたるは何の譯か日本公使舘の

焼けたるは如何の都合か竹添公使が濟物浦に引移りたるは如何の都合かなど其邊の細事情

は明白ならずと雖とも兎に角に朝鮮に騒乱ありて日本人中殺されたるもあり家の焼けたる

もあり乱を避けて仁川まで引揚けたる人もあり長崎まで逃け歸りたる人もありとの事は

明々白々一點の疑をも容るべからざる事實なるが故に何は差し置き目下在朝鮮の我日本人

を急ぎ保護する丈けの事は爲さゞるべからず當時朝鮮には仙臺の鎭臺兵一中隊我公使舘の

護衛として駐在し居ることなれとも京城は大乱と云ひ日本兵と支那兵との間に紛爭起り互

に死傷ありたりと云ひ公使舘は焼けたりと云ひ公使は濟物浦に移りたりと云ひ又一説には

鎭臺兵も既に京城を引拂ひたりと云ふなどより考れば目下京城には日本人の隻影だもなか

るべく此人々も仁川に來りて鎭臺兵の傍にさへ居れば先つ安心なりとは云ふものゝ朝鮮の

騒動は先例もある事何時何處に暴徒の押寄せ來り無區別の乱暴を働くことあるやも知るべ

からず殊に一旦日本兵と支那兵との間に紛争起りたり死傷ありたりと云ふからには此紛争

死傷の决して再起せざることを保證することも六け敷かるべく兎角韓地の模樣は不安心な

りと一言に言ひ放ちて敢て事實と大なる差異もなかるべきか加之在朝鮮の日本人は唯京城

と仁川とに居留する人のみに限るべからず釜山元山各數千或は數百の居留日本人あり釜山

の如きは日本と電線の聯絡もあり下の關博多などゝ海上百二三十海里を隔つる位の塲所な

るが故に隨分急塲の掛引も間に合ふことならんと雖とも元山は然らず遠く北海の濱に在り

て下の關を距ること三百八十八海里電線の聯絡もなく汽船の徃來も繁からざる僻地なるが

故に迚も急塲の掛引きは自在ならざるべし殊に咸鏡道は人民の慓悍なるを以て評判の高き

地方なるが故に朝鮮人の例として京城の騒乱に乗し斥和攘夷等の舊文字を持出して人心を

煽動し意外の珍事を惹起さゞるなきを保すべからず又此外にも氣づかはしきは過日時事新

報の朝鮮通信中にもある如く參謀大尉磯林〓三氏は内地旅行の爲め十月廿六日京城を發足

したりとあり發乱の日までは多分未だ歸京せざりしならんか思ふに當時内地旅行の途中に

在りて在仁川我日本兵の保護を受け得ざる者は必ずしも磯林氏一人に限らざるべく此際此

等の人々の身上に付明かに安全の確報を得るまでは俄かに安心はなり難からん

右の次第なるが故に今日までの報道を得て目下第一に着手實行すべきは朝鮮の〓〓に我保

〓軍艦を〓建し兵士を派遣し以て事實上又は〓想上の諸危険を鎭壓排除するの一事ならん

か〓〓は〓〓を〓び英〓を貴ぶ一國〓〓の噂する所は一興の〓〓を〓さゞるなり