「國民の私に軍費を醵集するの説」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「國民の私に軍費を醵集するの説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我輩は本月二十六日の紙上に、軍費支辨の用意大早計ならざるを論じ、今囘井上大使が朝鮮に於て支那朝鮮と

の談判、不幸にして不調に歸し、いよいよ日支の戰爭に及ぶこともあらんには、差向き其軍費なかる可らず、是

れを支辨するは固より日本國民の義務なるが故に、今より其覺悟にて人々其勞役を增して私費を減ず可し、卽ち

人々多く働いて少なく費す可し、此軍費を一千萬圓とするも、國民の頭に割付れば僅に一人三十錢に過ぎず云々

の旨を述べたり。左れども此一千萬圓とは、唯朝鮮の地方に於て僅に二、三萬の支那兵に接するに我七、八千の兵

を以てして、之を朝鮮の地より一掃するの費に充るのみにして、斯くすればとて日本と支那と宣戰して兩國の大

戰爭を開くに非ず、一時一場の紛爭よりして其局を結ぶまでには凡そ一千萬圓も入用ならんとの大數を記したる

ことなり。然るに若しも其紛爭が次第に紛亂して、遂に我兵が支那の本地に入り、海に戰ひ陸に爭ひ、出兵七、八

千に止まらずして五萬十萬、尚上りて何十萬の大兵を出すと爲りては、迚も一、二千萬圓の軍費を以て足る可きに

非ず。更に其支辨の法を案ずること切要なる可し。何れ其邊は我政府に於ても疾くより豫算する所ならん。或は

戰時税法等の方略もある可きことなれば、是れは政府當局者の爲す所に任じ去りて、我々國民の方に於ては私に

軍費醵集の工風ありて然る可きことなり。元來此國に居て官私の間に利害の異なるものなきに非ず。官と云へば

貴きが如くにして利する所多く、私と云へば賤しきに似て名利少なく、其邊の事情よりして雙方相互に軋轢の跡

なきに非ず。我輩固より官に左袒し又之に恐縮する者にも非ざれば、亦私に黨興して無理を云ふ者にも非ず。唯

官民を調和して内に鬩ぐことなく、以て外に對して國權を擴張せんと欲するの持論は、既に世上に明白なる所な

らん。然るに今や國權擴張の機、眼前に在り。豈復た區々の細事情を言ふの遑あらんや。國は官の國に非ず、又

民の國に非ず、官民共有、日本國人の日本國なれば、此日本國の榮辱分け目の秋に當り、獨り政府をして其責に

當らしむ可らず。政府は國法に依て國法丈けの力を盡し、人民は其法の命ずる所に從て運動す可きこと、固より

當然の義務なれども、唯其命に從ふのみにては報國の德義上に於て尚未だ足らざるものあるが如し。卽ち軍費支

辨の爲には政府より戰時の税法を布告することならん、我々人民は甘んじて其命に從ふ可しと雖ども、日本國人

は日本國の榮辱に關し德義上に於て其責に任ず可きの義務あるものとするときは、戰税の如何に拘はらず、人民

の私に於て別に集金の用意なかる可らず。其法如何して可ならん。鄙見を以てすれば、

各地方の有志者が各團結して、第一、其地方の人に勞役を勸る者と、第二、節儉を勸る者と、第三、財物を集

る者と、凡三條に課を分て各これを分擔し、勸役課にては人民に説諭して、其職業の精粗巧拙を問はず、又必ず

しも新に業を起すの趣意にも非ず、唯從前其手に慣れたる業を平生よりも一入勉強せしむるまでのことにて、例

へば平生九時間働く者なれば之に一時を增して十時と爲し、或は日暮限りに休む者も夜に入り更に一、二時間を

勤めしむるなどのことにて十分なり。斯の如くすれば上等の職工に臨時の所得多きは勿論、假令ひ下流の農民老

少婦女子にても、山に薪を探り家に繩をなひ草鞋を作りて臨時に所入ある可きは甚だ容易なり。假に一日餘計の

錢を得ること一厘卽ち靑錢一文とするも、一年に三百六十文は卽ち三十六錢なり。全國これを集めて又集れば驚

く可き巨額に上る可し。故に凡そ日本國中、山に稼ぐ者、海に河に働く者、又毎日車を挽き馬を逐ふて其日の賃

錢を取る者にても、先導者の勸告宜しきを得れば、從前の生計に少しも難澁を增さずして軍費の一部分を足すを

得べし。卽ち一滴の膏血を灌て報國の大義を明にし、國權擴張の重き荷物に一手を支へたるものなり。固より小

民の生計は常に豐なるに非ず、其勞役既に酷ならざるに非ず、之に餘計の勞を勸るは無情なるに似たりと雖ども、

前日の紙上にも云へる如く、戰爭は百年の戰爭に非ず、近代人事の活潑なる、僅に半年か一年の紛爭にて局を結

ぶ可きなれば、永く人民をして苦役せしめんと云ふに非ず、唯暫時の辛抱のみ。磯の鮑とる海士が水に潛りて呼

吸せざるは苦しけれども、獲物を抱きて岸に上れば水中暫時の苦は忘れて愉快のみぞ殘る可し。小民輩が私に軍

費を出すの勞役も隨分苦しかる可けれども、戰勝の獲物は國權擴張なるものにして、之を獲るの愉快は啻に鮑の

類に非ず。況や少しく資産を貯へて身に餘暇ある者は、必ずしも水を潛るほどの苦痛なくして此德義の義務を達

す可きに於てをや。唯先導者の盡力次第に在る可きのみ。

尚この上にも偶然の成跡を想像すれば又大に樂しきものあり。我輩は常に多く人に交際して各地方有志者の言

を聞くに、我地方の人民は瀬惰にして進で取るを知らず、陸にも水にも遺利ありながら、之に志を傾け又手を着

る者なしとて、其不平を訴るは異口同説にして、恰も滿地黄金の世界に午睡して天與の福を空うすと云ふ者の如

し。此言たる、甚だ解す可らざるに似たれども、我輩に於て聊か説なきに非ず。凡そ瀬惰は人生の天賦にして、

必ずしも我日本地方の生民に限るに非ざれども、今日特に其然るものは、滿地の黄金を採るも之を用るの急に迫

らるゝことなきが故のみ。定まりの租税を拂ふて公役を終り、粗衣身を纏ひ、粗食腹に滿つれば、則ち他に求む

る所のものあることなし。祖先急に迫られたることなし、父母亦然り、我れ亦然り。迫られざれば求めず。求め

ざれば得ず。人心の定則、人事の實相なれば、俄に之を左右するの手段ある可らざるや明なり。地方有志者の不

平も謂れなきに非ざるなり。然るに今囘民間にて軍費の醵集は、報國の大義に迫られ、俯仰一點の私情なくして、

其事の先導者に於ても之を説くに遠慮なく、其説諭を聞く者に於ても疑ふ所なく、彼我の赤心相通じて、云はゞ

自分の誠心を以て自分に迫まらるゝものなれば、如何に懶惰の習慣を成したる者とて、己が誠心の脅迫に抵抗す

ることは叶はずして、必ず奮て勞役に服す可きや又疑を容れず。又一度び起て事業を執り、其事よく行はれて成

跡の美なるものを見れば、身の苦樂に拘はらず、容易に中止する能はざるも、是れ亦人生の通情なるが故に、今

囘一旦の機會に際し、國中無數の人民が瀬惰の睡眠を醒まして活潑の門に入るときは、其心身の發達は之を留め

んとして駐む可らず、全國永遠の大計を考れば、此一擧或は我殖産の道を開くに間接の功ある可しと云ふも、強

ち妄漫の言に非ず。轉禍爲福、不幸の幸と云ふ可きなり。