「和戰共に支那を侮る可らず」
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本文
和戰共に支那を侮る可らず
今回朝鮮の事變に就き支那の决意は如何なる可きや、人或は説を作て目下支那は佛國と開
戰中にして臺灣の諸港も救はざる可らず、東京の邊疆も禦がざる可らず、南に西に兵馬紛々
たる其際なれば朝鮮の事に就ては先つ其致害の細大を調査して幾重にも其不調法を謝し朝
鮮政府と聯帶叩頭、償金も大抵ならば奮發して百方我國の怒を慰め以て事後の穩便を祈る
ことならん、又彼の李鴻章も明治十五年の事變には馬建忠等に指揮して大院君の始末を爲
し精兵三千を京城に送る等躄者の〓に走るが如き振舞を爲して大に世の耳目を驚かしたれ
とも今の時勢は十五年に異なり、一方に佛軍と睨み合ひながら俄に事を朝鮮に生すれば日
佛両國をして〓角の勢を成さしむ可しとて先つ温和忍辱の應答に出つることならん云々と
説くものあれとも我輩は漫に之れに和同する能はず今其次第如何と云ふに元來支那國十八
省の制度は其實一代封建とも稱す可きものにして總督は恰かも諸侯の地位に立ち、生殺與
奪の權を左右する其有樣は云はゞ一省の王の如し李鴻章の如き則ち直隷總督直隷王とも申
す可きものにして廣東には廣東王あり雲南にも亦自から雲南王あるが故に直隷省外は他領
他國にして折衝防禦夫れ夫れの受持あれば徒に之れに干渉するを得ず又之れに干渉するの
念も薄からざるを得ず故に佛軍の攻撃は支那全國にて防禦するには相違なしと雖とも東京
の攻防は雲南王廣東王等の受持にして台灣の外援軍〓等は福建王と中央大政府との協議に
定まるの勢なれは直隷王は直に東京に縁なく又臺灣に關係なくして進退綽々餘裕あるのみ
ならず直隷省附屬の兵卒は佛軍北上の模樣ありなどゝ聞き久しく戒嚴の中に在りしに未た
北上の敵を見ず李氏幕下の親信兵も未た一發の砲彈を放たざるに天津河水の凍合するに逢
ひたれば羸弱ながらも兵士の常として少しく無事に苦むの趣なきに非ず左れば今日鴻章の
力能く中央大政府の方向を定め唯一面に事を朝鮮に爲さんとせば力の以て其用に當つ可き
ものに乏しからざるなり又鴻章一身の窮達に就て考ふるに彼の明治十五年の事變に當りて
大院君を以て去り以て鼎下の薪を除き朝鮮國人の支那を徳とするに乘して朝鮮爲中國所屬
之邦の妄想を實にせんとしたるまでの實働者は鴻章其人たるを以て其當座は滿廷守舊頑〓
党たるにも拘はらず李氏の地位益高く殆んど百尺〓上に坐するの趣ありしが十六年の半頃
より佛清間に東京事件を生するに及んで李氏は頻りに和議を主とし昨年五月佛國艦將フル
ニエイ氏と天津に會して平和條約を整へたるに其條約面の行違ひより郎松事件を惹き起し
たれば名望漸く下らんとするの勢なりしが其後上海の談判破裂して佛清の戦已む可らざる
に際し突然にも招商局の船舶を擧けて之を米國のラッセル會社に賣却したれば流俗其輕擧
を謗り〓官も亦之を彈劾して將に下らんとしたる名望は益下り前の朝鮮事件に得たるもの
を後の佛清事件に失ひ又李氏が〓に依頼し依〓せられて共に斯民を堯舜の民たらしめんと
期したりし彼の蕃親王も退〓して病を閑散の野に養ふに至りたれば民は〓〓の以て朝野に
對す可きものなく以て今月今日に達したることにして氏の佛清事件に於けるは俗に云ふお
茶を引きたるものなり、然るに李氏は年既に六十を踰え、顔蒼々、髪斑々、老いたりと云
ふと 名の心已に灰したるに非ず、お茶引き總督と爲りて終 のに非ずとすれば其
一身の功名上より考へても今回の朝鮮事變こそ幸なれ、千歳の一遇なれ、此幸遇を空うせ
ざらんとするに氏の胸算力なきに非ず又金力兵力なきに非ず此處ぞ一番老後の功名佛清事
件に失ひたるものを又々今回の朝鮮事變に回復して面目の汚點を洗ふ可し抔とて我國人が
正に温和忍辱の應答あらんと待ち設くる其最中に案外千萬なる強辨を吐き之に繼くに又案
外千萬なる虚勇を示すことなしとも云ふ可らず李氏の心は我輩今より之を忖度するに由な
しと雖とも支那國の制度慣行を視察し又氏が一身の窮達上より臆測するも今回の朝鮮事變
は支那の方に於て萬々等閑に附す可きものに非ずされば我大使が京城に入て談判の緒を開
き其談緒いよいよ支那に向ひたるときの有樣を今より豫想するに幸にして假令ひ和議に局
を結ぶ可きも彼の方にては樣々に方略を用ゐて十分の利を占るに非ざれば承状せざること
ならん或は和議成らずして双方共に兵力に訴るにも必ず支那兵相應の伎倆をば呈すること
ならんと信す我輩固より彼れの方略に惑はさるゝ者に非ず彼れの兵力を恐るゝ者にも非ざ
れとも兎に角に彼れは和戰共に本氣に心配する者なれば我方に於ても彼れを視て漠然たる
例の支那人として侮る可らず極々念入りたる相手なりと認めて可なり漫に彼れを蔑視して
必ず其温言に出つ可きなど豫期するが如きは未だ彼の國情を知らざる者の謬見にして我輩
の最も危懼する所なり