「日本を誣ひ日本を瞞着す」
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本文
日本を誣ひ日本を瞞着す
本年一月一日の時事新報朝鮮事變欄内に京城議政府より慶尚道監使の許へ達したる書面と
て記したる文に云く
今月十八日之變、遠外不知裡許、以致煽訛、究其本事、則賊臣玉均等、糾聚逆黨、潜懷凶
〓、劫遷乘輿、屠殺卿宰、假托護衛、矯召日兵、日舘公使爲其所欺、率兵入闕、出於赴難
之誼、而凶賊所使、行刃者即渠之徒黨、非日兵之手犯也、中國諸將領兵入衛、擒捕凶徒之
際、日兵亦潰散而已、塗聽之説、增虚做?、使人心憤激、民情?戻、大非兩國交好定約之
意也、大抵開港通商、定界設舘、兩國相與之際、設有所失曲直、自有公法可〓、若或彼我
相激、歸於護非之科、則豈兩國和好之本意哉、然閭〓之民、浦甫之商、與日人情志不相孚
者、亦或乘時逞憾、可無其慮、並以具列事状、明悉曉諭、若有傷日人毀破日舘者、則是亂
法之民、樂禍之徒也、地方官不待更訪、即其時一々〓上梟示、以警民衆、而我國逆徒之知
機漏網、蹤跡殊常、逐底譏捉、即速馳聞、捕捉人當有重賞、俾爲〓然知悉事、
とあり抑も去年十二月七日以來朝鮮の政權は全く支那人の手に落ち支兵入闕袁世凱は親し
く國王の座右に侍へり他人は勿論朝鮮の大臣輩にても漫に玉座に近かつけずとのことなれ
ば韓廷の政令は世凱より出ると云ふも可なり故に此書面の如きも名は議政府の公文なりと
云ふも其實は支那人の意想を寫出したるものなりと見て大なる過なかる可し支那人の意想
は今度我大使が京城に開く談判上に最も大切なるものなれば今この公文に就て聊か鄙見を
述るも全く無益には非ざる可し文の初段に前略其事の本を究むれば則ち賊臣玉均等が逆黨
を集めて凶〓を懷き劫かして乘輿を遷し卿宰を屠殺すとある是れまでの文面に於ては我輩
敢て關係する所あることなし風聞に據れば金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範等は兼て國王
陛下の暗勅を奉して武臣徐〓弼の輩と共に事を擧けたりとのことなれとも是れは俗に所謂
勝てば官軍負くれば賊の喩に違はず金朴の徒が敗したれば其賊たるも亦怪しむに足らず今
日に至て此徒が賊たるも忠臣たるも我々日本人のためには毫も痛痒を感せざれば公文面の
通りにて苦しからずとして
其次に假に護衛に托して矯めて日兵を召したるに日舘の公使其ために欺かれたりとあり此
一段に至ては我輩これを默々に附するを得ず抑も十二月四日の夜に我竹添公使が〓に大闕
に赴きたるは大朝鮮國王陛下の請求に應したるものなり匇卒の際初め陛下は邊燧なる者を
公使舘に走らしめたれとも公使は燧が平生の身分を知り急變の時とは申しながら事の鄭重
ならざるを怪しみ苟も陛下の手書あるに非ざれば命に應し難き旨を述へければ次て陛下は
〓馬錦陵尉の宮朴泳孝に命して勅使と爲し親筆の綸旨を授けて重ねて公使舘に遣り是に於
てか公使も勅使に接し綸旨を拜讀し其果して正當の勅命なるを證して初めて趾を擧けたる
ことなり我竹添公使は金玉均、朴泳孝の召に應したるに非ず國王陛下の請求に應したるも
のなり然るに此公文に玉均等が王命を矯めて日本の兵を召し公使これに欺かれたりとは何
事ぞ一國王の詔は山より重し况や其詔を傳るに戚臣の勅使たる者あるに於てをや尚况や其
詔を寫したる親筆の綸旨あるに於てをや此詔に應して尚これを欺かれたりと云ふ歟果して
然ば則ち是れ大朝鮮國王陛下が大日本國政府の名代たる公使を欺きたるものなりと恐れな
がら云はざるを得ず天地に誓てある間敷きことならずや尚この上にも我輩が今爰に世界萬
目の視る所萬指の指す所にて掩ふ可らざるの事實を擧けて之を證せんに竹添公使の入闕は
十二月四日の夜にして夫れより五日六日の両日に掛け二夜二晝の間は親しく國王陛下の左
右を去らずして命を聽くこと自在なる有樣なれば若しも公使の入闕が陛下の眞意に適せざ
る歟又は曩の勅使綸旨が陛下の意外に成りしものならば二夜二晝の間に公使が其命を聽か
ざるの理なし然るに陛下は公使に對せられて曾て不平の命なきのみならず其赴難の速なる
を謝して尚頻りに之に依頼せられたりと云ふ故に勅使綸旨の事を外にしても公使が大闕に
入りたるは國王陛下の眞意にして决して欺かれたるものに非ざるの實證は明々白々これを
掩はんとして蔽ふ可らざるものなり
以上は實際の證據物に於ても亦其時の事情に於ても動かす可らざるの明證たること讀者諸
君にも了解せられたることならん左れば前節に掲けたる公文は亂後朝鮮國の議政府より出
てたりと云ふも支那人の威力を以て韓廷の執政輩を脅かし又或は彼の事大黨の殘類と相謀
り假に布達に托して我公使即ち公使が代表する我日本政府を傷けんことを企てたるものよ
り外ならず非理を以て我日本人に害を加へながら其非を謝することをば爲さずして却て復
た非理を以て其非を蔽はんとす我々日本國人は其蔽を發くの明ある者なり
又其次に我公使が兵を率て入闕したるは赴〓の誼に出で畢竟するに凶賊の使ふ所なれとも
刃物を弄びたる者は此凶賊輩にして日本兵の手に非ずとあり我輩この一段に至ては殆と捧
腹せざるを得ず支那人は我公使即ち我政府を目して逆賊に欺かれたりと云ひ又凶賊に使は
れたりと云ひ漫語放言十分に不敬を加へながら其末に刃物を弄びたる者は日本兵に非ずと
唯一片の甘言以て少しく其罪を宥めて我々を悦ばしめんとの計略か誠に難有からす賜なり
我々は既に賊に欺かれて賊に使役せられたる者なりとの宣告を得たり國辱に於ては既に十
分なり十を得て〓の二は敢て辭せず語を寄す在京城の支那人と朝鮮の事大黨口あらば放言
せよ筆あらば漫語せよ日本人が刃を弄びたりと云へ、日本兵が先づ砲發したりと云へ我々
は十二分の曲を蒙りて悲しむ者に非ず是非曲直は世界の見る所にて一日明白なるの時ある
可し又我々の力よく其時を作るに足る可ければ無用の甘言を以て人を瞞着せんとするが如
き徒勞を取る勿れ