「主戰非戰の別」
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時事新報に掲載された「主戰非戰の別」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
主戰非戰の別
朝鮮事變の起りし以來世に主戰論と非戰論と両樣の唱へを生じて誰れは主戰論者なり彼れ
は非戰論者なりなど云ふは往々我輩の聞き及ぶ所なれとも全体譯けの分らぬ話にして主戰
とて唯漫に戰ひさへすれば夫れにて滿足なりと云ふにも非ず外國に對して我れに曲を被る
ときは先づ一應は談判を以て被曲の償ひを求め一應も二應も掛合ひたる上にて相手の國の
政府が之を聽かざる處にて左らば此上は止むを得ず曲直を兵力に訴へんと云ふ是れ主戰論
なり又非戰論とは如何なる事情あるも戰は禁物なり敵國人が如何なる無法妄慢を逞うする
も我が面に唾するも兎角世の中は圓きを貴ぶとて理を非に枉げて人の下風に立つを悦ぶの
義には非ず何れにも堪忍に堪忍はすれとも俗に所謂堪忍袋の緒の切るゝ時はある可し左れ
ば主戰必ずしも戰ふばかりに非ず非戰必ずしも戰はざるに限らず唯其相違は主戰論は百事
〓らしくして成る可き丈けは他國人の妄慢橫着を許さず事と品とに由りては財産を空うし
一命を棄ても國の面目には易へ難しと云ひ非戰論は都て堪忍を專らとして成る可き丈けは
無事を謀り仮令ひ心の中には不平あるも大目に見過ごして國の安寧こそ大切なれと云ふの
趣意にして之を要するに兩樣共に其結局は同樣なれとも其結局に至るまでの道中に成る可
き丈けと云ふ此一語の相違あるものと知る可し
我時事新報の説は主戰か非戰か是れは看客の諸君の高評に任じ記者は素より公平無私を以
て自から居り眼中朝なく又野なく唯日本國民の資格を以て日本國の利害榮辱を目的に定め
之に説を同うする者は友として相助け之に異論を容るゝ者は論敵として排するのみ依て今
こゝに我輩の身を非戰論者の地位に置き今回の事變の始末に付き成る可き丈け堪忍して諸
君の之を許すや否やを聞かんと欲するものなり我輩先づ以て戰爭は好まざる所なり井上大
使が京城の談判にて日韓の交際は圓く治り誠に目出度き次第として次に支那政府へ何れか
の道を以て談判を開くに當り其談判の證據を求るに十二月四日の變に我竹添公使は朝鮮國
王の依頼に應じ兵を率ひて大闕に赴きたりと云ひ同月六日支那の將官袁世凱呉兆有は朝鮮
政府の請求に由りて大闕に向ひたりと云ふときは双方共に直なるが如し堪忍す可きや否や、
支那兵大闕に向てより日支兵の間に砲發始まりたり日兵は云く支那兵先づ砲發したりと支
兵は云く日兵先づ發砲したりと是亦双方共に申條ありて水掛論なり堪忍す可きや否や、支
那將官は六日の攻撃に際して在京城の華商に命令を下だし苟も日本人とあれば男女老幼の
別なく之を屠殺せよと觸れ流したりと云ふと雖とも是れも唯風聞のみにして當日將官の示
令書を日本人に見たる者さへなければ證するに足るものなし今日に於て支那人は斷して左
樣な事は御座らぬと云ふからには談判上無證據にして今更ら致し方なきが如し堪忍す可き
や否や、在京城の日本人が屠殺せられたるは事實なれとも此屠殺者が彌以て支那人なるや
否や甚た分明ならず生残りたる日本人にて當日支那兵に砲?(撃旧字)せられて中らざり
し者はあれとも死したる者は果して支那人の手に死したるや否や死人に口なければ之を證
するに由なきが如し堪忍す可きや否や、日本の婦人が支那の兵營に引かれて辱かしめられ
たりと云ふと雖とも是れは唯婦人の一方にて極々私に申す所にして今日支那の兵營中を吟
味するに婦人を辱かしめたる者などは一人もなしと云ふ是亦當日兵營にて兵士共が婦人を
辱しむる處に日本人の立合なかりしが故に獨り婦人の言のみを以ては證據とするに足らざ
るが如し、堪忍す可きや否や、吉松某が南陽にて支那の海軍兵士に圍まれ物を奪はれ身を
危うせられ尚彼の兵營に引かれて虐待せられたりと云ふも是れは吉松の申し口にして今日
にして吟味すれば支那の海軍には斯る乱暴兵とては一人もなし何れ何かの間違ひならん又
同人が兵營に送られて苦痛したりと云ふも無根の事にして支那營中にては最と丁寧に取扱
ひたり故に吉松が物を奪はれたりとは途中偶然に遺失したることならん兵營中の虐待とは
同人が腹痛にても致して自から苦しみたることならん或は身に毆打の痕などあらば夫れは
同人が自から轉びて怪我をしたることならんと云へば談判の證據には立ち難きが如し、堪
忍す可きや否や
右の如く我輩は仮に我身を所謂非戰論者の地位に置き事實の條々を掲けて斯く斯くの始末
に立至り堪忍す可きや否やと問を設けたれば之に答へて應と云ふも否と云ふも看客諸君の
心に在て存するものなり抑も一國政府の下に在る者は法律を以て各自の權利榮譽を保護せ
らるゝが故に國民相互に詞訟の事あれば法官は原被双方を呼出して曲直を法律に質す可し
と雖とも國と國との交際に於て其曲直を斷するに法律なし又法官なし唯これを全世界萬目
の視る所、萬指の指す所に訴へて决を取るの外更に方便ある可らず左れば京城變乱の事實、
世界中の視指する所にて其曲其直果して日支孰れの方に在る可きや直支那に在て漫に之に
敵せんとするは我國人の無謀にして是れぞ所謂主戰論に醉狂する者なれとも我日本國が果
して曲を被りたる者にして我れに伸ばす可きの直ち抱きながら我堪忍の程度彼の成る可き
丈けの境を踰へて却て退縮の點に陥るときは啻に一時損害の償を得ざるのみならず世界萬
國に對して今後文明の競爭に失ふ所は實に想像外に大なるものある可し此一段に至ては我
輩は主戰論者と云はるゝも敢て辞する所に非ざるなり