「支那との談判」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「支那との談判」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那との談判

京城事變に就き朝鮮政府との談判落着したる今日、支那との談判は如何す可きや我輩は我政府が何樣かの手續を以て早晩支那に談判する所ある可しと信ずるなり左ればにや井上大使が朝鮮に出張して事變の〓〓取調の上朝鮮政府と談判して何の手もなく平和の條約を取結び首尾よく歸朝復命するや世人或は不審を抱き朝鮮は固より與みし易きのみ同政府との談判するの本意なくは何ぞ井上大使を煩はさん、一介の使者尚能く其使命を全うするを得べし抔漫評するものもありしかども我輩は全く之れに反對し井上大使は朝鮮政府とのみ〓〓して歸朝したるには相違なしと雖ども大使の此行先を事變の實况を取調べたるならん右事變中支那兵民が我れに加へたる大不〓大損害に對して〓日我國より支那政府に談判するの際には大使の實况調査書に據て其虚實を斷すること勿論の次第にして唯此〓〓のみにても尚井上大使の出張を煩はすに足るなり〓〓我政府の特に井上全權大使を派遣したる所以なれば我輩は事の甚た妥當なるに服するなり

京城事變の實况は既に井上大使の調査を經たり對ぢの炯眼を以て實况を視察せしことなれば右事變中支那人が我れに加へたる大不〓大損害は掩はんと欲するも掩ふ可らず〓な其〓知する所なりしならん斯くて大使は實况調査の上朝鮮政府と談判し同政府も其罪を謝し剰さへ償金を出す〓〓なりたれば大使は直に支那の使節とも談判せんと思はれしならんに其使節なる呉大澂は我と談判するの全權を帯ひざるを以て然らば追て此方よりと云はぬ許りの趣にて一先づ歸朝復命せしことならん即ち日本國民が今日に於て我政府の早晩支那と談判するを期待する所以にして政府にても亦何樣かの手續を以て其談判に取掛ることなる可しと思はるゝなり

右の如き次第なれば我政府が支那と開談に及ぶ可きは疑なきが如しと雖ども其開談の手續は如何、更に遣清全權大使を發す可きや或は榎本公使を〓談判せしむ可きや其邊の模樣は我輩の知る所に非ずと雖ども兎に角談判に取掛る以上は嚴に其返答の期限を約し其一答にて和戰を兩斷するの處量に出ざれば事紛糾錯綜して徒に時日を費すことともならん元來支那の外交は緩慢不斷を以て有名なる其證據は一にして足らずと雖ども近く其一例を擧くれば昨年七月佛國公使バテノウトル氏が時の兩江總督曾國?に上海に會して和戰の決答を要求するや佛國方にては其軍艦を支那海に集めイザと云はゞ直ちに火蓋を切て放たんづる勢を示し斯くて佛國公使よりは月の十二日を以て向ふ八日間に決答なければ之を合圖に絶交せんと申納れたるに支那政府にては兎角緩慢を事として豫期の八日も過き去りたれば佛國は更に八日の猶豫を與へたるに又も決答に及ばざれば又々之れに猶豫を與へてクルベイ提督が遂に鶏籠を砲撃したるは八月五日即ち決答要求後實に二十四日なり右の如く支那政府は外交上の緩慢を事とし火蓋を切りたる佛艦を其目前に横たへながらも尚和戰一言の返答なく二十四日間を經過したり若し之れと談判するに一報の電信一介の使者を以てして其返答を聞かんとしたらば小細事件の答辨を得るにも尚ほ數箇月を費すこととならん况して和戰の決着の如き石〓〓に返答を望むと一般にして未來永劫之を聞くの期なかる可し故に我輩は我政府にて若し支那と談判せんとせば極々手詰めの返答を望み時刻を限りて事局を結ぶの覺悟あらんことを希望するなり若しも此覺悟なき時は何程早く談判を開くとも日本國民をして直に其事の結末を目撃せしむることなく徒に不愉快なる歳月を送らしむるの恐なきを得ず然るが故に我輩は我政府が一日も速く支那との談判を仕遂けんことを〓望すと雖ども政府には自から政府の都合もあらん又事を處するの釣合もあらん其都合の爲め釣合の爲め今日早々談判を開きても手詰めの沙汰には運び兼ぬる塲合にて且は目下嚴冬の時節渤海の寒風、天津の堅氷、使節船艦の來往不自由にして〓〓談判を延滞す可しとの豫測もあらば或は一時の〓宣にて支那政府に向ひ朝鮮事變に就きては既に實况調査を了りたるか故に是より大に貴國に掛合はんとする所あれども都合に由り何月何日頃まで其談判を見合す可ければ左樣領承ありたしと〓と此方より〓會し置き、時來て迅速活發に談判することと定むるも亦今日の一策ならんか我輩は我政府が早く支那と談判し速に事局を完結することを望むや切なりと雖ども若しも此望の今日に達し難きの事情もあらば?ひに談判を始めて徒に時日を遷延せんよりは斷然其談判を中止し置きて速談速結に便宜なる時を待つの愈れるに若かずと信するなり