「共和黨勝て米國の黨閥破れんとす」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「共和黨勝て米國の黨閥破れんとす」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

共和黨勝て米國の黨閥破れんとす

今は既に過去となりぬ去年十一月の四日は米國大統領改撰の當日なりしを以て米國合衆黨は六月六日チカゴ府に會してブレイン氏を大統領にロウガン氏を副大統領に指名し共和黨は七月初旬を以てクリヴランド氏及びヘンドリック氏を正副大統領候補に指名せしかは八千里外の我國人も東隣の大統領は誰れか取て之れに代らん、落機山下の鹿は果して何黨の手に落ちんと改撰當日の前後は頸を延て其消息の來るを待ちしに豫期に後るゝこと數日華盛頓府發の電報は共和黨勝を占めクリヴランド氏大統領に撰はれたる旨を確報せり我國人は既に此確報に接して米國新大統領の何人たるを知れり左れば我國人の今後知らんと欲する所は唯此新大統領の就職は米國に對して如何なる影響を及ぼす歟の一點に在るなり而して其影響の如何は來る三月クリヴランド氏が大統領の位に即て白屋の椅子に倚るの後に非ざれば之を詳知する能はずと雖ども我輩は唯今日より過、現兩〓の有樣に照らして未来の影響は斯くもあらんと其〓想する所を以て之を我國人に報道せんと恰かも思考觀想するの際、兼ねて米國紐育府に在留したる一社友十一月十二日桑港發の郵船に搭して先日歸朝したるを以て此程就て其説を叩きしに其條談縷話する所頗る肯綮に中たるが故に左に其言を筆記して讀者の意に投せんと欲するなり

抑も我社友が紐育府を發して桑港通ひの汽車に乗組みたるは大統領改撰投票の當日前一日即ち十一月三日なりしを以て固より其大統領の何黨よる出つ可きやを知るに由なく斯くて日又一日を汽車の旅行に費しチカゴ等の地を經てカリホルニヤ州の桑港に近づく其中に最早改撰の當日も過ぎ去りたれば先つ停車塲に就て改撰の結果如何と尋ぬるに此所の停車塲にては「無論合衆黨の勝利なり、ブレイン氏は若干票の多數を得たり、北米合衆國三十八州の大統領も最早大丈夫Bの字で御座る」と云ふかと思へば彼處の停車塲にては「クリヴランド氏は大多數なり、共和黨萬歳」などゝ唱へ米國人の習として黨派の奇癖骨髄に徹し各其黨に利なるの説を爲して勝敗の確報を受け取るまでは毫厘も譲らず其黨勢を張るが故に中途の報告區々にして一日中に幾回となく反對の報道を耳にし斯くて桑港に着して東來の確報如何と問ふに此時までも未た新大統領の何人たるを知ることを得ざれば其儘郵船に乗組みて十二月八日横濱着港の後始めてクリヴランド氏の勝利と爲りしことを聞知したりと盖し從來の慣例にては大統領改撰の當日投票を計算すると間もなく其結果の報告を受け取るを常とせしに今回改撰の報告の斯く久しく延滯せしは目今共和合衆の兩黨恰かも相頡頏して投票の數も亦互に相密邇し暫時其勝敗の知れ難かりしが故なる可し右の如き次第にて本年米國大統領の改撰には共和黨勝利を占めてクリヴランド氏新大統領に撰はれたり斯く共和黨の勝を得たるは米國に對して如何なる影響を生す可きや、利害如何との質問あらば我々之れに答ふるに曰く利なりとの一言を以てして可ならん今其故如何と云ふに近年米國の大統領は引き續て合衆黨より出で千八百六十一年アブラハム・リンコルン氏が合衆黨より大統領に推撰せられてより現大統領アァサア氏に至るまで人を換ふること六人年を經ること二十四年なるも其大統領は孰れも合衆黨の人ならざるはなし乃ち其人名と就職時限とを揚くれば左の如し

 大統領人名 就職時限

 アブラハム・リンコルン 千八百六十一年より六十五年

 アンドリウ・ジヨンソン 千八百六十五年より六十九年

 ユウリーヤス・エス・グランド 千八百六十九年より七十七年

 ルサホルド・ビ・ヘイス 千八百七十七年より八十一年

 ゼイムス・アブラハム・ガアヒルト 千八百八十一年三月より同年九月

 チヰスタア・アレン・アァサア 千八百八十一年より八十五年

右の如く年移り人換はるも合衆黨の權力は依然として今日までも持續し大統領は四年毎に更代するも政府は常に合衆黨の政府にして共和黨の勢力は中央大政府の國内に向て一歩も進むる能はざりし、盖し彼の合衆黨が斯く久しく米國政府を専らにしたるは決して偶然の事に非ず今を去ること二十餘年前米國に南北戰爭と云へる内乱あり此内乱は奴隷の存廢に關して南北其利害を同じうせざるに起りたるものにして固より政治黨派上の戰爭に非ずと雖ども當時南北と區別して其南部に行はるゝ氣風精神を察すれば北部は合衆黨の氣風を帯び何部は共和黨の精神を存するの痕跡なきを得ず試に其痕跡とも云ふ可きものを擧けんに米國南部は木綿を首とし天然耕作の産物に富みて自由貿易に利なれども北部は人爲製造を専らとするの地にして勢保護貿易に左袒するの傾あり而して今共和合衆兩黨の貿易上の意見を問へば共和は自由を主張し合衆は保護を賛成すとすれば共和黨の精神は南部に利して合衆黨の氣風は自から北部に利なるものゝ如し左れば南北戰爭は政黨の爭には非ずと雖ども事の成跡より觀察すれば恰かも共和合衆兩黨の戰爭なるが如き觀相を呈し北部の戰捷は取りも直さず合衆黨の凱旋と云はざるを得ず即ちリンコルン氏以下の大統領が續々合衆黨より出てグラント氏が南北戰爭の際に軍功ありしを以て大統領を再勤したるが如き孰れも皆な合衆黨が戰捷の勢を以て米國政府を専らにしたる事相にして共和黨も甘んして其下風を仰きたる所以ならん然るに近年に至りては合衆黨専權の久しき、遂に一種の黨閥を成し腐敗弊害往々言ふに忍びざるものありて今回共和黨の勝利は米國に取りて恰かも此腐敗弊害を掃除するの一新期限と爲るものゝ如し其次第は請ふ之を次號に記さん(以下次號)