「我輩の所望空しからざるを知る」
last updated:
2019-09-08
このページについて
時事新報に掲載された「我輩の所望空しからざるを知る」を文字に起こしたものです。
- 『福澤諭吉全集 第 10 巻』(岩波書店、1960 年)所収の論説、 「我輩の所望空しからざるを知る」(213 頁から 215 頁)
- 18850207
- 本来は二段落(斯く申せば…から二段落)ですが、適宜改行しました。
- テキストの表記については、諸論説についてをご覧下さい。
本文
第一段落
我輩が今回朝鮮事変の始末に付て望む所は決して多ならず。
朝鮮の土地を侵略せんと云うにも非ず、
其内治に干渉して我日本の保護国にせんと云うにも非ず。
唯去年 12 月の一挙に我日本国が大不敬大損害を被り、
其事に付き朝鮮の方は片付きたれども支那の方は今に何たる沙汰を聞かざるが故に、
之を聞て満足せんことを求むるのみ。
去年 12 月京城の事変に際し、
清兵の方より我に向て発砲したるは天下皆之を知るの事実なり。
故に我輩は支那政府に掛合い、
毫も遺憾なき結局を見んことを願うものなり。
即ち今回の事変に付ては支那に向ても多を求るものに非ず、
唯支那人が我日本国に対して不法を働きたるが故に、
其不法の賠償を得んとするに過ぎず。
苟も其賠償を得ざる限りは、
千年の遺憾、
決して之を忘るべからず。
我輩の論説、
其行文に時として緩急の加減もあらんと雖ども、
是れは唯文章上の波瀾にして、
云わば言語応対の会釈たるに過ぎず。
且我輩とても礼儀の何ものたるを知らざるに非ざれば、
文章は至極婉順温和を旨とすと雖ども、
一片報国の精神は自から之を抑制せんと欲して得べからず。
我輩の筆のあらん限り、
我輩の舌の存する限り、
之を紙に記し之を口に説て退屈せざるのみか、
我輩の寿命のあらん限り之を怠らずして、
尚これを子孫に遺言し、
以て我輩の志を継がしめんと欲する者なり。
在昔、
平相国清盛入道が臨終の遺言に、
吾死するも仏に供するを以て為すこと勿れ、
経を読むを以て為すこと勿れ、
必ずや頼朝の首を吾墓上に懸けよ、
子孫臣隷この言を服して敢て怠る勿れとのことあり。
今我輩は清盛に比して地位も異なり又其憤る所の事柄も同じからずと雖ども、
曲を被りて之を伸ばさんと欲するの志は則ち相同じ。
我輩は今日死するも固より供養読経を願わず、
唯支那談判の始末如何を地下に聞て瞑せんと欲するものなり。
第二段落
斯く申せば我輩の心術甚だ以て怨恨不良にして執念深きが如くに聞ゆれども決して然らず。
我輩の性質を自から云うも異なものなれども、
怨恨の執念あるに非ざるなり。
殊に内の政治論などに於ては最も淡泊を極め、
専制主義も一利一害、
民権主義も一得一失、
唯時の天下衆庶が十年にても二十年にても多数多量の幸福を享れば夫れにて沢山なりとは平生の持論にして、
加うるに今度の如き急場に臨ては、
成るべき丈け内の議論をば静にして、
少々の不平をば之を堪忍し、
例えば斯る大事件に就て其局に当るものは、
心配も多き代わりに、
事成れば巧名も大なるが故に、
青雲の士は窃に之を羨むの内情もあらんかなれども、
斯る内情は中心より洗うが如くに忘れて、
只管其当局者をして自由自在に運動すべきの余地を与え、
其人の平生を問わず、
其私の関係を論ぜず、
唯日本人にして日本国の国権を保全拡張する者なれば甘んじて之に委任して疑う勿れと、
懇々丁寧、
世人に勧告する程の次第にして、
眼中人なし、
唯日本国あるのみとは、
正に我輩の心事を写出すものなれば、其の淡泊無私は看客諸君に於ても洞察せらるる所ならんに、
独り彼の支那談判の一事に限りて執念深き言を吐くは、
即ち我輩の眼中に日本国あるが故なり。
開闢以降、
我帝室は一系万世の君にして、
日本国は尺寸の地を外人に汚されたることなく、
日本の兵は一介の士卒たりとも外人に弓を引かれて其始末を黙々に附したるなし。
然るに今度に限り、
我兵は先ず支那兵に砲発せられて、
今日に至るまで事の始末を見ず。
去れば我輩が此始末を見るに非ざれば地下に瞑するを得ずと云うも、
諸君に於て深く怪しむ程のことには非ざるべし。
否な、
御同感ならんと信ずるなり。
固より此始末たるや、
全く外交政略に係ることにして、
最も機密を要するものなれば、
我輩は漫に喙を容るるを好まず、
又其時日の如きも民間より傍観して漫に之を急ぐことを為さず、
唯謹て政府の挙動如何を待つのみにして、
其これを待つの情を形容して云えば、
鳳凰が正に其卵を孵化しつつあるものの如し。
春暖何れの日か其雛を見るべきや。
鳳雛一声、
世界の耳を驚かすは蓋し遠きに在らざるべし。