「朝鮮に行く日本公使の人撰」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「朝鮮に行く日本公使の人撰」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

朝鮮に行く日本公使の人撰

朝鮮京城駐在竹添辨理公使は今回の變乱後井上大使と共に歸朝し京城には近藤書記官を代理公使として殘し置かれたり世上の風聞に據れば竹添君は多分再び任所に赴くことなく其後任として新公使の拝命ある可しと云ふ其〓〓からざれとも若しも左樣のことなれば此新任公使の撰擇に〓ては特に政府の注意を冀望するものなり抑も政府より締盟の各國へ派遣する公使の任は先方の國の大小強弱に由て輕重あるに非ず其交際の繁緩と本國の之に關する利害の大小とに從て公使の務向きにも自から難易あるものなり今朝鮮國と日本國との交際は如何なるものだと尋るに〓の〓の人文如何は姑く闇き外國の交際とては其朝野共に〓を知らざる所にして正に入門の事なれば尋常一樣の交際法の外に又思ひも寄らざる事情の多くして樣々の談判もあらん、〓〓もあらん、内〓、〓〓〓實に國交際にあるましき關係の煩はしきは〓〓〓〓〓〓分の〓〓〓〓らしからす事にして外交の正則に於ては一切これを謝絶して苦しからぬものにても情誼に於て然るを得ず、彼の歡心を得て両國の親睦を維持せんとするには煩を厭ふに遑あらず氣長に交りて漸く之を正道に導くこと最も緊要なりとす在朝鮮公使の事務は甚た煩雑なりと云う可し

立視したるのみならず米英獨の諸國に於ても純然たる獨立自主の國として對等の條約を結びたることなれとも獨り支那政府が往古の歴史など再讀して之を悦び其虚文に證して屬邦の虚名を實にせんとするの妄想を抱き往々今日の實際に喙を容れ手を出さんとするの情なきに非ず去りとては我日本を始めとして諸外國の政策は根底より顛倒せざるを得ず外交利害の關する所實に小々ならざるなり殊に我日本國が最も此利害を感するの深きは明治十五年大院君の乱に支那政府より突然朝鮮に出兵して大院君を執へて歸り乱後も其兵を京城に駐在せしめて朝鮮の内治に干渉する其最中に日本政府は在京城の公使舘を自衛するために兵を送りたることなれば日本兵と支那兵と其駐在の趣意は全く異なれとも兵の京城内に屯するの状は相同し支那政府は朝鮮を属邦視して出兵し、日本政府は之を獨立視して出兵したりとあれば支那と日本と其交際は舊に異ならずとするも朝鮮に對するの一事丈けは全く相反對するものにして両政府の主義相反すれは其政府より派出せられたる兵士の思想も自から相反す可きは勢に於て免かる可からず仮令ひ公然たる敵對の實を呈せざるも両國の兵が京城内に相和して弟の如く兄の如く相互に親睦ならんとするは到底望む可らざることなり左れば去年十二月の變乱にも樣々の原因あることならんと雖とも日支両國の兵が平生の親睦冥々の間に厚からざりしも其原因中の一ならん兼て政府の御眼鏡を以て此至繁至難の朝鮮事務に當る可き人物をとて人撰に人撰して信任せられたる竹添公使其人と雖とも遂に災難を免かるゝを得ずして日本國に大損害を被りたり畢竟するに人の罪に非ず勢の然らしめたるものとでも申す可き歟

故に今度若し竹添公使が再び赴任せずして新任公使を命ずることならば近時文明の主義に明にして萬國交際の事情に通したる人物を撰擇し文事に活溌にして怠ることなかる可きは無論又この上にも所望と申すは他國駐在 公使と違ひ朝鮮には公舘の護衛兵ありて此兵は公使の命令に從ひ運動するの約束にして此點より觀れば在京城日本の公使は文職に兼るに武職を以てする者なるが故に其人を得ること最も易からざる可し文人は平生柔順にして至極重寶なるが如くなれともまさかの時には文〓にして事を誤り、武人は萬一の變に當りて甚た頼母しけれとも平生無骨にして亦事を誤ることある可し文質彬々其十を得んとす〓易なる人撰に非ざるなり方今諸外國に派遣せられたる我公使の員は少なからず何れも皆大切たる職掌にして在英は在英にして大切なり、在米は在米にして大切なり英にも米にも佛にも露にも皆其人を得て各其職分を盡し政府に於ても定めて遺憾なきことならんと雖とも獨り朝鮮に限りては三四年以來別に難事あること他諸國に異なるが故に特別の難事に處するに特別の人を得んこと冀望に堪へず公使の任は其赴任の國の大小強弱に由て輕重あるに非ず其交際事務の繁緩と自國に關係する利害の大小とに從て難易ありとの言は我輩の自から信じて疑はざる所なり