「朝鮮独立党の処刑」
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時事新報に掲載された「朝鮮独立党の処刑」を文字に起こしたものです。
- 『福澤諭吉全集 第 10 巻』(岩波書店、1960 年)所収の論説、「朝鮮独立党の処刑」(221 頁)
- 18850223, 18850226
- テキストの表記については、諸論説についてをご覧下さい。
この社説をより深く理解するために 平山洋「福澤諭吉の西洋理解と「脱亜論」」 ・ 「福澤諭吉「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」と文明政治の 6 条件」 ・ 「「何が「脱亜論」を有名にしたのか」」をご参照ください。
本文
第一段落
弱者は力を恃て粗暴なり、粗暴なるが故に能く人を殺す、弱者は文を重んじて沈深なり、沈深なるが故に人を害すること少なしとは、一寸考えたる所にて成るほど左ることもあらん歟と思わるれども、実際に於ては決して然らずして却て正しく其反対を見るを常とす。
抑も社会の人類を平均して其強弱如何を比較するときは、強者は少数にして弱者は多数なること、他の智愚賢不肖貧富等の比例に異ならず。
愚者貧者の多数なるが如く、弱者の多数なるは掩うべからざるの事実なり。
扨強者の本色は如何なるものぞと尋るに、強き者に敵して勝ち難きに勝つを勉め、苟も己が眼下に在りて制御の自在なる者とあれば、敵にても味方にても之を害するの念は甚だ薄きのみならず、時としては己が眼下に在りて制御の自在なる者とあれば、敵にても味方にても之を害するの念は甚だ薄きのみならず、時としては己が快楽を欠きても弱敵を助けんとするもの多し。
故に強者の敵する所の相手は常に社会中の少数にして、仮令い之を殺せばとて其害の及ぶ所決して広からず。
蓋し之を殺すの術なきに非ざれども、之を殺すを要せざるなり。
容易に殺すの術あるが故に、殺すことを急がざるものなり。
之に反して文弱なる者は、其心事仮令い沈深なるも、力に於ては己が制御の下に在るもの甚だ少なきが故に、苟も人を殺すの機会さえありて自身を禍するの恐なきときは、之を殺して憚る所あることなし。
蓋し弱者必ずしも人を殺すを好むに非ざれども、自家に恃む所のものなきが故に、機に乗じて怨恨を晴らし、且つは後難を恐るるの念深くして、一事に禍根を断たんとするが為に惨状を呈するものなり。
古代の歴史を閲して所謂英雄豪傑なる者の所業を見るに、軍事にも政治にも動もすれば人を殺して殆ど飽くことを知らざるものの如し。
甚しきは無辜の婦人小児までも屠戮して憚る所なき其有様は、古人の武断、甚だ剛毅なるに似たれども、内実に就て之を視察すれば、決して其人の強きが為には非ずして、却て弱きが為に然るものなりと断定せざるを得ず。
不開化の世の中に人を制するの方便も乏しければ、一旦の機会に乗じて他に勝つときは、其機を空うせずして殺戮を逞うし、一は以て一時の愉快を取り、一は以て禍根を断絶して永年の安楽を偸まんとするの臆病心より出るものなり。
往古
第二段落
世の文明開化は人を文に導くと云うと雖ども、文運の進むに兼て武術も亦進歩し、人を制し人を殺すの方便に富むが故に治乱の際、仮令い屠戮を逞うすべきの機会あるも、時の事情に要用なる外は毒害の区域を広くすることなし。 例えば戦争に降りたる者を殺さず、国事犯に常事犯に、罪は唯一進に止まりて父母妻子に及ばざるのみか、其家の財産さえ没入せらるることは甚だ稀なり。 例えば近年我国西南の役に国事犯の統領西郷南洲翁の如き、其罪は唯翁一人の罪にして妻子兄弟の累を為さず、今の参議西郷伯は現に骨肉の弟なれども、日本国中に之を怪しむ者なし。 蓋し我政府が南洲翁の罪を窮めて殺戮を逞うせざるは、政府の力の足らざるに非ず、其実は文明の武力能く天下を制するに余りありて、西南の変乱再び起るも復た之を征服すべきの覚悟あればなり。 一言これを評すれば、能く人を殺すの力あるものにして始めて能く人を殺すことなしと云て可ならん。 之を文明の強と云う。 古今を比較して人心の強弱、社会の幸不幸、其差天淵も啻ならざるを知るべし。 左れば彼の古の英雄豪傑が勇武果断にして能く戦い又よく人を殺したりと云うも、其勇武や唯一時腕力の勇武にして、永久必勝の算あるに非ず。 其果断や己が臆病心に迫られたるの果断にして、其胸中余地なきを証するに足るべきのみ。 文明の勝算は数理に根拠して違うことなく、野蛮の勝利は僥倖に依頼して定数なし。 僥倖にして勝つものは其勝に乗じて止まることを知らず、数理を以て勝つものは再三の勝を制すること容易なるが故に、其際悠々として余地あるも亦謂れなきに非ざるなり。
第三段落
源平の事は邈乎たり。
吾々日本の人民は今日の文明に逢うて、治にも乱にも屠戮の毒害を見ず。
苟も罪を犯さざる限りは其財産生命栄誉を全うして奇禍なきを喜ぶの傍らに、眼を転じて隣国の朝鮮を見れば、其野蛮の惨状は我源平の時代を再演して、或は之に過ぐるものあるが如し。
吾々は源平の事を歴史に読み絵本に見て辛うじて其時の想像を作る其際に、朝鮮の人民は今日これを事実に行うて曾て怪しむものなしとは驚くべきに非ずや。
日本なり朝鮮なり、等しく是れ東洋の列国なるに、
第四段落
去年 12 月 6 日京城の変乱以後、朝鮮の政権は事大党の手に帰して、政府は恰も支那人の後見を以て存立し、政刑一切陰に陽に支那人の意に出るとのことは、普く世界中の人の知る所ならん。 彼の国の大臣にして独立党の名ある朴泳考、金玉均等の諸士は、兼て国王陛下の信任を得て窃に国事の改革を謀り、一旦事を挙げて失敗し、俗に所謂負けて国賊なるものの身と為りて、其死生行方さえ文明ならず、現政府は之を捜索すること甚しき其最中、先ず其党類を処分するとて、本年 1 月 28 日 29 日の両日を以て大に刑罰を行い、金奉均、李喜貝、申重模、李昌奎の 4 名は、謀反大逆不道の罪を以て死刑に、其父母兄弟妻子は皆絞罪に処す。
- 李点?、李允相の 2 名は謀反不道の罪を以て西小門外に斬に処し、其家族の男は奴と為し女は婢と為す。
- 徐載昌、南興喆、崔興宗、車弘植、崔栄植の 5 名は情を知て告げざる罪を以て、当人のみ死刑に処して、家族は無罪。
- 英昌模は既に死後に付き其罪を論ぜず。
- 洪英植は孥戮の典を追施す。
- 又金玉均、徐載弼、徐光範の父母妻子は 2 月 2 日を以て南大門に絞罪に処せらる。
第五段落
右は本月 16 日時事新報の朝鮮事件欄内に掲載したるものなれば、読者も知らるる所ならん。 抑も此刑戮は国事犯に起りたるものにして、事の正邪は我輩の知る所に非ず。 刑せられたる者と刑したる者と、孰れが忠臣にして孰れが反賊にても、我輩の痛痒に関するなしと雖ども、今の事大党政府の当局者が能く人を殺して残忍無情なるの一事に於ては、実に驚かざるを得ず。 現に罪を犯したる本人を刑するは国事に至当のことならんなれども、右犯罪人の中、車弘植の如きは徐載弼の僕にして、変乱の夜、提灯を携えて主人の供をしたるまでの罪にして死刑を免れず。 壮大の男子を殺すは尚忍ぶべしとするも、心身柔弱なる婦人女子と白髪半死の老翁老婆を刑場に引出し、東西の分ちもなき小児の首に縄を掛けて之を絞め殺すとは、果して如何なる心ぞや。 尚一歩を譲り老人婦人の如きは識別の精神あれば、身に犯罪の覚えなきも我子我良人が斯る身と為りし故に、我身も斯る災難に陥るものなりと、冤ながらも其冤を知りて死したることならんなれども、3 歳 5 歳の小児等は父母の手を離るるさえ泣き叫ぶの常なるに、荒々しき獄卒の手に掛り、雪霜吹き晒らしの城門外に引摺られて、細き首に縄を掛けらるる其時の情は如何なるべきや。 唯恐ろしき鬼に掴まれたる心地するのみにして、其索の窄まりて呼吸の絶ゆるまでは殺さるるものとは思わず、唯父母を慕い、兄弟を求め、父よ母よと呼び叫び、声を限りに泣入りて、絞索漸く窄まり、泣く声漸く微にして、終に絶命したることならん。 人間娑婆世界の地獄は朝鮮の京城に出現したり。 我輩は此国を目して野蛮と評せんよりも、寧ろ妖魔悪鬼の地獄国と云わんと欲する者なり。 而して此地獄国の当局者は誰ぞと尋るに、事大党政府の官吏にして、其後見の実力を有する者は即ち支那人なり。 我輩は千里遠隔の隣国に居り、固より其国事に縁なき者なれども、此事情を聞いて唯悲哀に堪えず、今この文を草するにも涙落ちて原稿紙を潤おすを覚えざるなり。 事大党の人々は能くも忍んで此無情の事を為し、能くも忍んで其刑場に臨監したるものなり。 文明国人の情に於ては罹災の人の不幸を哀むの傍に、又他の残忍を見て寒心戦慄するのみ。 抑一国の法律は其国の主権に属するものにして、朝鮮に如何なる法を設けて如何なる惨酷を働くも、他国人の敢て喙を容るべき限りに非ず。 我輩これを知らざるに非ずと雖ども、凡各国人民の相互に交際するは、唯条約の公文にのみ依頼すべきものにあらず、双方の人情相通ずるに非ざれば、修信も貿易も殆ど無益に帰するもの多きは、古今の事実に証して明に見るべし。 然るに今朝鮮国の人情を察するに、支那人と相投じて其殺気の陰険なること、実に吾々日本人の意相外に出るもの多し。 故に我輩は朝鮮国に対し、条約の公文上には固より対等の交際を為して他なしと雖ども、人情の一点に至ては、其国人が支那の覊軛を脱して文明の正道に入り、有形無形一切の事に付き吾々と共に語りて相驚くなきの場合に至らざれば、気の毒ながら之を同族視するを得ず。 条約面には対等して尊敬を表するも、人民の情交に於て親愛を尽すを得ざるものなり。 西洋国人が東洋諸国に対し、宗旨相異なるがために双方人民の交際、微妙の間に往々言うべからざるの故障を見ることあり。 今我輩日本人民も朝鮮国に対し又支那国に対して、自から微妙の辺に交際の困難あるを覚るは遺憾に堪えざる次第なり。
第六段落
蓋し彼の事大党衆が支那人の後見に依頼して斯くも無慚にしてよく人を殺すは、必ずしも其殺気の活発なるに非ず、苟も殺すべきの機会に逢うて、一事其政治上の怨恨を慰ると、又一には独立党の遺類を存在せしめては後難如何を慮かり、機に乗じて禍根を断絶せんとするの心算なるべしと雖ども、如何せん、爰に一国あれば其国人に独立の精神を生ずるは自然の勢にして、之を駐めんとするも留むべからず。
故に今度幸にして独立党の人を
註
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