「遣清大使」
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時事新報に掲載された「遣清大使」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
遣清大使
近日世間に喧しき問題は遣清使の一條なり此事に就ては或は朝鮮變乱の始末に付き我政府より特命全權大使を命して清廷に談判を開くこと去十二月朝鮮へ派遣したるの例の如くなる可しと云ひ或は電信郵便を以て在北京榎本公使に全權の命を傳ふ可しと云ひ又或は斯く大切なる事を電信郵便などに附す可きに非ず仮令ひ特派出の大使とまで行かざるも然る可き官吏を擇ひ之に大政府の旨を申含めて訓令使と爲し榎本公使へ訓令を傳ふ可しと云ひ世話區々にして頓と取留めたることもなし俗に所謂下馬評議にして信するに足るものなしと雖とも我輩も亦この下馬中の一人として評議するときは聊か説なきに非されば試に之を左に記して大方の教を乞はんとす
凡そ一國の政府より他國の政府に遣る可き使者の身分は先方の國の大小に由ることも時としてなきに非ざれとも大抵は其用向きの輕重に凖するを通法なりとす全体實用のみを云へば國交際は素と國の政府と政府との關係なるが故に其間に往來する使者は大使にても小使にても差支へあることなし或は電信郵書を以て掛合ひするも用は足る可しなど思はるれとも今日の實際に於ては决して〓權に淡泊なるものに非ず外交の事は虚實常に相半して實用固より重しと雖とも外面の体裁も亦甚た輕からず故に我輩の所見に從へば今回いよいよ支那政府に向て談判とあれば必すしも特に全權大臣を命して其威儀を嚴〓にし其取扱ひを鄭重にし正々堂々我大日本國の軍艦に搭して天津に乗込み北京に入ること缺く可らざるの要と信するものなり
若しも然らずして榎本公使に電報郵通し又は一段丁寧にして所謂訓令使の方便に由り以て事を辨せんとする歟、左りとは事物の釣合ひに於て少しく不揃なるが如しと申すは元來今度の朝鮮事變たる曾て我輩が云へる如く朝鮮の土地に起りたることなれとも其事柄は支那に關係するものにして我日本國が朝鮮に對し又支那に對する關係を比較するば支那の方こそ實に重大なりと云ふ可き程の塲合なれば其事を鄭重にす可きは固より至當のことなり然るに曩に朝鮮へは特命全權大臣を遣り支那へは然らずとありては事に於て少しく不釣合ひなるが如し又或は事の實際に於て清廷との談判は大使なくして和戰孰れかの局を結ふこともあらんなれとも國交際は唯當局二國の間にのみ包み込む可きものに非ず其成跡の顕はるゝに於ては恰も世界萬國に披露するの姿なるが故に世界中の人民が何と評す可きや是亦特に注意を要する所なり些末の事を取扱ふに鄭重に過るも不都合なり重大事件を輕々に處するも亦不都合なり此邊に就ては必す世界の評論に掛ることなれば當局國に於て豫め心を用ゆ可きは固より論を俟たず然るに今度朝鮮の變乱に就て支那との談判は事柄の重大なるものたること世界に明白なる以上は我政府に於ても必其重大なる價に從て之を鄭重に處せらる可きや疑を容れず我輩の深く信する所なり又或は政府が此事を重大なりと認めて其談判を開くの緩なるは何故と疑ふものもあらんなれとも是れは政談を知て事實談を知らざる者の言のみ北京に行くには天津よりせざる可らず天津河口は年の十二月初旬より氷合して二月下旬ならでは渡航す可らざるを常とす即ち器械的の障碍にして鬼神に非ざるより以下は之を如何ともす可らず即ち我外務政略の緩慢なるに非ず天津天時の寒冷なるが故なり今や二月も既に下旬に入り二週内には白河の堅氷も解ることならん我輩は唯我大使の溶暖を望て北京に入り日支の間に結ぼれたる困難を白河の氷と共に解けしめんことを祈るものなり