「東洋の禮西洋の理」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「東洋の禮西洋の理」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東洋の禮西洋の理

東洋の禮西洋の理   豊浦生

歐羅巴の社會は理窟の世の中にして東洋諸國支那日本抔は全体に禮儀の世の中なり歐羅巴の世界にも理窟を解せざる無智の者あり東洋の社會禮儀を知らざる士君子に乏しからずと雖とも其全体の形に見はれたる所より之を視れば全体に歐羅巴は道理亜細亜は禮儀の國なりと云ふも太だしき過言にはあらざるべし歐羅巴の社會は事々物々理窟を以て其事物の基本となし理窟に適はざるものは何事にまれ是を無用無益なりとして顧みず或は眞に無用無益の物あらば強て謂れなき道理を附會して無理に其物を理窟がましく形容することあり反之東洋諸國に在りては事々物々禮儀を以て其事物の基本となり苟も禮儀に反するものは仮令ひ其物に如何なる理窟あるも之を有害不徳なりとして擯斥し其際更に理窟を挟むことなし啻に理窟を挟まざるのみならず却て理窟を挟むを以て無禮とする者の如し日常の交際に於ても西洋の人は可成言語擧動の禮譲を除き他人を尋問するにも先づ其用向を済ませ然して後氣候等の雑談に及ぶことなり我日本にては然らず他人の家に至れば先づ以て一家内の御機嫌を伺ひ氣候の挨拶より米作の豊凶物價の高下に至り然して後漸く其尋問の用向きに取掛ることなり其太だしきに至ては金談の爲めに銀行に行き尚氣候の挨拶をなす者あり若しも當地に於て如此事を爲したらんには忽ち世人の輕蔑を受け世人に狂者視せられんのみ又日本人の理窟を好まずして西洋人の理窟がましきは金錢取引上に於て最も其差異の著しきを視るべし例へば我日本にて朋友と共に茶屋又は料理屋に至て食事抔をなすに互に其勘定を爭ひ今晩は拙者が振舞うべし否其勘定は拙者が拂はんと其爭論は小生等の屡聞く所なり若し當地に於て如此事を爲し豫め朋友の承諾を經ずして濫りに其勘定を濟ます時は太だしき無禮にして却て朋友の爲めに嚴責さるゝことなり故に豫め其朋友に向ひ此勘定は拙者之を引受け支拂して然るべき哉と一應其承諾を經て後に仕拂ふべき者なり一方は金を拂ふを以て禮となし一方は之を拂はざるを以て理となす東西の風俗雲泥の差違ありと云ふべし其孰れか禮あり孰れか禮なきは小生の知らざる所なれとも其理窟の一點に至ては東の西に及ばざるものゝ如し盖し他人の飲食したる〓の代價を自ら支辨すべき理由もなく又自から食したる物を他人に拂はしむるの理由もなし我食したる物の價を強て他人の拂はんとするは我嚢中に其蓄なきを察し我身代の薄きを〓みたるの所業なれば是を無禮として怒るに亦其理由なきにあらざるなり前例の如きは〓に〓〓のことにして何れを理ありとし何れを理なしとするも〓したる大事と云ふにもあらざれとも斯く日本人が一〓に禮の一方を重くし却て理を輕く取るべ〓〓〓〓〓らず〓〓〓〓〓〓〓〓金をも拂ふの風俗は社會全般の事物に流行して凡そ至細より至大に至り悉く此風俗の爲めに制せられざるはなし近世に至り稍々其風を一變して禮理の位置を轉倒するの勢なきにあらざれとも數百年の間に養成したる人生の習慣は一朝一夕に革むべきにあらず古來我日本の商賣世界には彼の違約金なるものあるを聞かず開港通商以來西洋人が我職人又商人の兎角約束通りに其事を行はざるを視て違約償金の個條を設け若し其約束の期限までに此事を行はざれば幾千弗の償金を出すべし抔の條約を取結ぶこととはなれり然れともこは唯外商との取引上に於てのみ聞く所にして内地の取引に違約償金の事あるは太だ希有のことなり啻に希有の事のみにあらず違約償金抔の掛合をなすものあれば之を不廉耻なりとして擯斥するの状なきにあらず然るに西洋に在ては其趣全く之に反し違約償金の掛合は恰も貸金の返濟を催すに異ならず啻に之を不廉耻なりとして擯斥せざるのみならず却て其償金を掛合はざる者あれば之を商賣を知らざるの素人として其無智を懲笑することなり固より理に於て取立べきの償金なれば遠慮なく之を取立べし理に於て愧づべからざるものは他に復た愧づべきの謂れなし愧づべからざるものを耻として取るべきの金を取らざるは之を評して無智と云はざるを得ず我日本人が西洋人の所行を視て無遠慮なり不作法なりとして常に之を輕蔑するは吾人の聞見する所なり去れとも能く其事情を索むれば西洋人の眼中に無遠慮又不作法と云へる元素なく理窟に適う事なれば何事にても之を理の當然と思ひ之を理の當然と思ふが故に遠慮なく之を斷行することなり去れば日本人の無遠慮と思ふは西洋人の當然なりと思ふ所にして自ら好で無遠慮を働かんとして此無遠慮をなすにあらざるなり日本人の無遠慮を無遠慮なりとして其事を遠慮するは盖し理の當然の斷行するの勇敢なきものなり一國内の取引に於ては此勇敢なきも差したる差支へあらざるべしと雖とも苟も外人を敵として通商をなす以上は宜しく此勇敢の氣を養成して斷行無遠慮の風を養はざるべからず西洋各國には結婚違約償金の訴訟屡ありて古來我日本に於て曾て聞かざる所なり其未だ違約とならざる以前は當人どちの意尚相投じて互い變らし變るなと天に誓ひ心に約し誠に愛らしき一對の情男情婦なり然るに一朝其氣の變ることあるか但しは其父母親屬が身代の不釣合なるを以て其縁談を斷はることあるに至れば今までの情男情婦は忽ち違約償金請求の原告被告となりて法廷に出で婦は其償金を受取らんと云ひ男は之を出すましと互に青筋を立て其理非を辨論するは恰も天女の下界に降りて貸金の返濟を催促するに異ならず色も戀もあらばこそ誠に苦々敷事どもなり已に近頃或る貴族の總領息子殿が女役者のホウテスキウと云へるに惚れ込み遂に夫婦約束をなせし所英國の貴族が役者を女房にしては家の面目先祖に對して濟まず抔と親類中が頻に異存を唱へしかば男も不得止其趣を詳細に書面に認め破談の儀を先方へ申遣たる處其女は直に之を〓柄として違約償金の請求を法廷に持出したり扨て法廷にては原被對决の上双方より種々の證據物又證據人抔を〓〓して之を取調へたるに愈〓〓を違約したるに相違なきに付其〓を參坐人に告示し其償金は何〓を以て相當とすべきやと裁判官が參坐人に問ひしに參坐人一同之に答て英貨一萬磅を以て相當とすと云ひしかば裁判官は心中竊に餘り法外なる償金なりとは思ひしかども已に參坐人の極めし以上は復如何ともすべからず依て其息子殿は英貨一萬磅即我五萬圓の償金を取られたり古來比類の結婚違約裁判は誠に屡のことなれとも五萬圓の償金は此度を以て始とすと云ふ日本にて役者抔云へる物は假令ひ何樣の事あるも决して理窟がましき事を云はず事々物々遠慮を以て旨とすることなれとも西洋にては然らず社會全般の仕組は道理の世の中なれば假令ひ愛敬を賣り人情を第一とする女役者と雖とも取るべき道理のあるものを取らざるは損なり法律は國民の權理を保護する爲めのものなれば其訴を法廷に持出すも决して愧づるに足らずとする事なり斯く云へばとて决して小生が我日本にも結婚違約償金の訴訟を盛にすべしと云ふにはあらず兎に角に日本人抔は只管禮の一方を重じて物ごとに遠慮深く西洋の人は一國に理窟を以て主とするが故に其所行無遠慮に近し遠慮深き者は人に制せられ無遠慮の者は人を制す世界古今の實相なり近くは讀者諸君の一身上に就て之を考ふるも果して其然る所以を發見する所あるべし禮は人間社會の大本一人の身に取ては行はざるべからざる事なれとも此國と彼國との交際に於て只管に禮をのみ重じ徒い遠慮深きは之を得策と云ふべからざる者の如し日本人も今少し無遠慮の氣を養成して此無遠慮の世の中に處したき事なり