「要求の程度は害辱の量に準ず」
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時事新報に掲載された「要求の程度は害辱の量に準ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
要求の程度は害辱の量に準ず
今回伊藤全權大使が北京に至り清廷の全權大臣と朝鮮事變の始末を談判するに當り我れより要求する所の諸點は何に何になるや我輩の未た聞知せざる所なり然れともジヤパン・メール新聞并に東京日々新聞などの教ゆる所に依れば我政府が支那政府に對して要求する所は在京城の支那兵及び日本兵を互に相引きにする事但し支那兵を朝鮮より引揚けたればとてこれにて朝鮮爲〓〓所屬の邦との疑問を决定するにはあらざる事又去年十二月六日に支那の將官が兵を率ひて日本公使の守護する大闕を攻めしは甚だ不埒なる擧動に付清廷にて此等將官を〓責すべき事と云ふに在りて要求の次第は全体に公平輕少决して支那政府が之を承諾するに苦しむが如きものにあらずと云へり此説果して伊藤大使が携帯する所の訓令と齟齬する所なきや否や又我政府より要求の次第は此等の數點のみにて他に何事をも申出てざるや否やは固より我輩の知らざる所なり唯我輩一個の考を以てすれば我政府が支那政府に要求する所は必ずしも日支兩國兵が互に京城を立退く事と當日の支那將官袁世凱輩を懲戒令に當つる事のみにも限るまじと思はるゝのみ
我輩は今回我政府が支那政府に要求する所の諸點を知らずこれを知らずと雖とも其諸點の何れも皆公平正當にして支那政府もこれを受けて不平を唱へず日本國民もこれを得て十分の滿足表すべき甚た完全のものたることは申すまでもなき事と信するなり唯我輩の聊か其意を得ざる所ありと云ふ一事は世間内外の論者中往々我政府に向て朝鮮事變に關する支那政府への要求の極めて輕少ならんことを勸告するの言に「日本政府の要求は其受身たる支那政府かこれを甘受するに差支なき程度に止まらざるべからず」云々と唱ふるに在り而して其差支なき程度とは何樣の程度を意味するものなるか嘗てこれを明示せざるが故に人々唯銘々の考次第にて其程度を〓定し或はこれを十と爲し或はこれを百と爲し十人寄れば必ず十種の程度あるを免かれざることならん程度の種々なるは避くべからざる事としてこれを恕すべしとするも此程度をして支那政府の甘受するに差支なきものたらしめよと云ふい至ては実に合點の行かざる申條なり人あり來て我れに害辱を加ふ我れこれを囘復せんとするには先つ我被りたる害辱の分〓を勘査しこれを回復するの方案を定め然る後にこれを致害者の目前に提出して其應諾を求むるのみ誰か又先つ致害者の了見を聞き彼れが欲するまゝに我要求を形造して而して後に徐ろにこれを其膝下に捧け謹て其承諾を請ふ者あらんや若し果して斯る方法を以て損害回復の眞法なりと云はんには我損害回復の事は一切これを致害者に委任し其〓意に回復法を講せしるむ方却て其宜しきを得ることならん然るに今我日本の要求を支那の甘受するに差支なきものに形を造れと云ふは果して何〓なる要求を爲すべしと云ふの意にや人の心の同しからざる其〓の如し况んや被告と原告と双方に立別れなる塲合に於てをや我れ彼れの爲めに謀りて忍ぶべしと爲す所のもの彼れ自から謀りて忍ぶべからずと爲し我れの輕しと爲す所は正しく彼れの重しと爲す所たることも甚た多からん果して然らば先つ支那政府の意見を承はらざるより外は我要求の程度をして彼れが甘受するに差支なきものと爲すの工風はなかるべきなり
致害者の罪を惡むの傍らにも亦事情の憐むべきものあるを察し正當懲罰の法は斯く斯くなるべきなれとも彼れ元來惡意なく又費力なし依て其罪を減したる上にも又これを減し十分寛恕の沙汰に從ふの塲合なきにもあらず其一例を擧くれば今回朝鮮事變に關し日韓條約の如きもの即ち是なり朝鮮の罪は一价の使節を東京に送り二名の兇徒を刑し十三萬圓の償金を出すより大なるものにあらずとの趣意にはあらず唯朝鮮の無資無力なるを憐み勘定外の寛典を以て其罪を免したるのみ然るに今朝鮮を御するの法を以て支那に對し四百餘州の富我れに幾十倍する者あるをも顧みず我要求をして不相當に輕少のものたらしめよ彼れが甘受するに差支なきものたらしめよと云ふは我輩其何の爲めなるかを解すること能はざるなり今回の朝鮮事變たるや我日本國は被害者にして支那國は致害者なり今我要求を提出するに當り彼れこれを甘受するやせざるやを問ふに及はず我れは先つ我方案を定め直ちにこれを其致害者に要求すべきのみこれを甘受するとせざるとは致害者其人の事なり我々被害者の與り知る所にあらざるなり